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2021年4月11日 (日)

幸せな寿命

これは何歳?と考えると、、、以前も記事にしたけど、今時の健康診断を35歳から生活習慣病健診を詳しく受けるというのではなく、健診受診は程々に、病気が出たら、それなりに付き合い、強引な治療等を施すのではなく、流れに乗って幕を閉じるというのがベストのような気がする。
まぁ、寿命的には高度経済成長期的な1970年代頃、つまり70歳弱で寿命を迎えるというのがベストのような気がする。

検査をしなければ重大疾病も進行して痛みを感じて気付くパターン。気付くまではストレスなく生活出来ている。気付いたら手遅れ的かもしれないけど、それから数ヶ月で幕を閉じるというのは無駄が無い。寿命の中で残りの数ヶ月以外は気持ちよく過ごせる訳だ。

早期発見早期治療でストレスを少しずつ貯めながら85歳迄延命させられるとしても、生かされた15年の延長期間というのは、楽しめるか?というとそうでも無さそう。

医療に掛かるコストを考えたり、高齢者の生活環境等を整えるコスト等を考えると、強引な延命で高齢化社会をデフォルト化させるのは幸せとは違うように思う。

理想は55歳定年、70歳弱天寿で終了、、、これが人間としてベストな気もする。社会に掛ける負担、子や孫に掛ける負担も最小限で済む。これが85歳、90歳、100歳となると、周りに掛ける負担が一気に増大する。それは違うような気がする。

ぶっちゃけ、遺産相続的な問題も70歳程度で負担を与えないレベルなら相続もアリだろうけど、それ以上生きての遺産なんてものは、それを金銭として考えるのではなく、高齢者が、遺産となる財産を自分の余生維持に使って使い切るのが正しい在り方のようにも思う。
そういう問題も色んな形が社会の悩みの種になっている。

やはり、幸せな寿命というのは、長くても70歳、これで良いような気がする。そうすれば、高齢者運転のリスク問題も生じないし、一番良い。

昔の姥捨て山の話というのは、社会の健全性、つまり過剰負担の発生によって社会が衰えるのを防ぐための知恵とも言えそう。正直、70歳以上が居なくなれば、社会の活力、健全性は大幅に向上するように思える。そういう期限を付ければ、それに迫る世代というのは人生を楽しく過ごすようになるのでは?とも思う。

重い病に苦しむ人も、高度医療で過度な延命というのは果たして正解か?とも思う。余命の中で元気に活動出来る時間を精一杯生きて、静かに幕を閉じる、、、、これも、或る意味正解か?とも思う。

チョイ前は、健康管理に細心の注意を払い元気さを永遠に保ち生き続ける事を考えていたけど、老いというのは不可避である。どんなに注意しても最終的には衰えるモノ。そうであるならば、元気であるなるば良いけど、そうでないのであれば強引な延命によって生かし続ける社会というのは考え物のように、最近は特に思う事が多い。

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