高齢者問題
これが色んな分野に影響を及ぼしている。介護疲れが原因の家族間による嘱託殺人、高齢者の運転免許問題、交通事故問題、年金財源不足の問題、、、、、
色々考えると、高コストを掛けて社会で高齢者の生活を負担しているというのが問題の根源のようにも思える。
今の時代、35歳になると健康診断受診を進める。早期発見早期治療で早く直す!というのが基本。こういう体制と医療技術の進歩、民衆の意識の変化によって日本人の平均寿命は飛躍的に延びている。今や男性で80歳、女性で85歳近辺である。しかし、70年代、80年代といえば70歳前後、更に遡れば50代、60代である。
この平均寿命が伸びた理由というのは、医療技術の進歩、介護の普及の賜物といってよい。
しかし、寿命が延びる事によって、リタイヤした世代を支えるための年金支出は増加の一途を辿っている。社会の人口構成の中で高齢者比率が増加する程に、それを支える世代の負担は増加する。社会自体を維持するためのコストの増加は歯止めが利かない状態である。
平均寿命が延びたといっても健康な状態で生き続けている人というのは多いようで少ないのも事実。高齢者世代になると多くが病院に通っている。病院といえば老人の社交場であたり、リハビリ病院は通う人で満員御礼状態、介護型老人ホームは完全に不足、、、、そんな状態である。
こういう現状に対して、IMFは2030年には消費税を15%に、2040年には20%に増税すべきとの提言を発表、、、、
結局、社会が現在のままに進むと、それを維持するコストが増大するということである。増大するコストの原因は社会を構成する人工の高齢化、高齢人口の増大、生産年齢人口の減少が原因である。社会において生産性を生まない人口を支えるために、その財源の確保が不可欠ということである。
結局、医療費増大、高齢化社会を支えるためのインフラ改良が不可欠で、そのための財源を消費税で賄えという話である。
こういう現状を見て思うのは、健康診断なんて任意受診にして、早期発見早期治療を一般化させる必要は無いのでは?とも思う事も少なく無い。
何も気付かず生きて、不具合を感じた時には手遅れ、過度な治療、介護は無しで、昔の寿命に従って人生の幕を閉じる、、、これがベストかもしれない。
医療コスト、介護コストは無くなる。生産平均年齢も下がる。年金支出も抑えられる。言う事無しである。
不具合を感じるまで普通に生きて、気付いたら終了、、、、自分的にはこっちの方が良いように思う。
失われた健康、不健康状態の進行を強引に食い止め、薬漬けで延命する。最終的には生きているだけでも幸せという論理で介護しつくすのが正しいという道徳が果たして正義か?自然の摂理に当て嵌まっているのか?というと、これが必ずしも当て嵌まっていないから社会に歪みが発生して現役世代が多くの負担を背負い幸福感を味わえなくなっているのでは無いだろうか?
個人的には50歳で役職定年、55歳で定年退職、年金支給は60歳から、、、55歳から60歳は支払われる退職金を使って暮らせ、、、、健康診断を義務化、強制化するのではなく個人の自由意志に任せる。そして、過剰な介護等は行わない。命の火が消えるのを自然に任せるというのが正しいのでは無いだろうか?
そうすれば、過剰な医療体制が進んだ90年代以降とは異なり、80年代以前の平均寿命に戻るのでは無いだろうか?つまり、80歳を大きく超える平均寿命ではなく、70歳に届かない平均寿命に留まるだろう。そうすれば、支給すべき年金の期間も60歳からの10年となるし、高齢者の交通事故問題、介護問題等々の問題は無くなる。そうすれば、社会の支えるべきコストも抑える事が出来る。生産力を確保するために若年世代の社会参加が一段と高まる筈である。
新しい人が入れ代わる事で、技術革新も進むだろうし、思想の固着化という弊害も解消出来るはずだ。
正直、還暦すぎたら社会参加というよりもリタイヤ、、、そして、過剰介護、過剰医療を止めて、社会の代謝を高める方が良いように思う。
自身、自分の親に対しても思うし、自身も自分の子供に対しても思う。子供が成人するころには還暦になっている。その後、10年以内に人生の幕を閉じる、、、これも悪くないように思う。
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