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2021年6月22日 (火)

SDGsな人材育成?

テレビを見ていて少し違和感。
左官業を営む大将が、若手に接する様子が放送されていた。
大将は、昔の若い頃は、先輩の技術を見て、自分で盗めという方針の元に技術を身に付けたそうだ。そのやり方だと、今の時代、若者の離職率は50%を越えていたとか、、、

それで、やり方を変えて、今は、、、、最近、自動車学校で流行りの『褒める教習』ではないが、教えないのではない。取り敢えず、行わせて、ベテランと新人の作業風景を撮影する等して、違いを説明して優しく教えているそうだ。これで上達が早くなっているという。職場で若者の笑顔を増えて、離職率は5%以下に抑えられているという。離職率で1/10、時代が変わったから、やり方を変えて、これからは新人の成長を楽しんでいきたいとの話。

コレ聞いて思ったのは、フーン、、、そうなんだ!って感じ。ただ、思ったのは、こういう育てられ方で育った人は、教えてくれた人を簡単に越える事は出来ないのでは?という印象の方が強く残ったのが自分の感想だったりする。
同じ答えに辿り着く、、、、教えられて、なる程!そうか!で身に付ける人と、教えられず、己が試行錯誤を繰り返し、その上で失敗が重なる状態を己の理解度で理解を進め、失敗する原因の仮定を論理的に生み出して、自分でトライして正解に辿り着く人とは、同じ結果を得たとしても、その結果を得るためにトライした試行錯誤で蓄積された知識レベル、技術レベルには雲泥の差があるのではないか?というのが自分の考え。

自身、技術開発、研究開発を行っているが、モノの開発だけでなく、システムの開発、計測設備の開発も行うが、これらは必要に迫られてゼロから作り出すモノ。ゼロからだから全てが新造である。分野が新規だとすれば、参考となる意見、前任者のサンプルも存在しない。そこから論理を組み上げて作り出すのである。こういう過程を見て、手法であるとか、方法を教えろという依頼、或いは、下のモノからの要請を受けることもあるけど、基本的に、回答は自分で自分なりの方法を見つけろという程度に留まる。敢えて言うならば、取り組もうとしている問題を見て、それに必要な知識の専門分野を紹介する程度だ。自分で解放を得ようとするならば、最低限、これこれの専門分野の知識は必要と思う訳で、その分野を紹介する程度だ。その分野における理解の仕方とか、その辺は、取り組む人が生み出せば良いというモノである。

基本、何かを行う、、、最初につまづくのは簡単な問題である。簡単な問題こそ、素人が独力で越える事が出来る程度の問題なのである。その簡単な問題を克服するためのプロセスの修得がなによりも重要なのだが、そのプロセスをすっ飛ばして、答えを見せて、それを説明することで問題を克服したと錯覚させるのは、正直、指導でも教育でもないだろう。

指導や教育というのは、問題に直面した時に、解決するためのプロセスを身に付けることである。解決のプロセスに必要なのは、着眼力であり、簡単な問題こそ、着眼するための手間をすっ飛ばすのは有り得ないのである。
物事に従事するにつれて、直面する問題は、経験に比例して難易度が高くなるモノ。高くなった難解を克服するには、なによりも経験が重要。経験の蓄積というのは、初期レベルからコツコツと行うのが実は最も近道なのだ。簡単な問題の克服を、優しいSDGs的指導法で得てきたような人が成長してベテランと呼ばれる歳になったとき、だれも直面したことがないような問題に、己で立ち向かって克服出来るのか?というと、かなり怪しいのでは無いだろうか?

仕事に限らず、趣味でも、勉強でもだけど、新しいことを見つけるのが人間としての使命とも言える。正直、新しい事が生み出せない、、、それは人として価値が無いとも言えるもの。新しい知識を生み出す、、、これが、技術を進歩させる事であり、進歩させる事が、即ち文化、文明の進歩ということ。人間が人間たる所以は、新しい価値観を見出す事が出来るからとも言える。そして、新しい価値観、難しい問題、課題を克服するには、知識が必要なのである。知識というのは、過去、先人達が直面してきた問題解決の手法の事。その知識を身に付けるというのは、先人達の知識が体系的に整理された学問を身に付けるということ。その学問を使って問題解決や価値観創成のトライアルを行う事が重要なのである。価値観創成のトライアルとは、一般的には答えの判っている事で自分で出来ない事を独力で出来るようなるためのトレーニングである。そのトレーニングたる行動を、優しい指導という名の下で教わって判った気になるってのは、個人的には大間違いだと思う。

教えるという事は大事かもしれないが、問題解決や技術の習得において、完成形態を見せて違いを判らせるというやり方は、個人的には愚の骨頂だと思う。
問題解決、技術の習得というのは、それに繋がる、それに気付かせるためには、別の難易度を下げた問題のトライを行わせるか、或いは、問題解決に必要な考え方や、論理的な展開方法を説明して理解させる方が先では無いのであろうか?

これは、学習塾等で児童生徒を指導する時にも通用する同じ考え方である。解放を機械的に覚え込ませるだけでは、それと類型的な問題しか解けない、所謂、出来損ないのロボットしか作る事は出来ない。パターンを教えるのもナンセンスである。パターンというのは解き方の手順の結果だけを分別したモノであり、パターンというのは問題解決の方向性で生み出していくべきモノ。問題解決の方向性を身に付けさせるのが何よりも重要である。その辺を理解していないと、習う生徒の到達出来うるレベルなんて知れているのである。

本当に能力を高めるのであれば、近道せずに、回り道かも知れないけど、取り組むべき分野の専門性を身に付け、その分野における学問に潜む、分野の中の技術の進歩が如何に為されてきたかを理解しつつ、進歩してきた手法や学問を歴史を辿るように理解していく事が必要なのである。その歴史を理解するような取り組みが、問題解決における手法を自然と身に付ける事が出来る唯一の方法では無いだろうか?正直、中学、高校の知識をバカにしたような人も少なく無いけど、中学の知識をしっかり理解しておけば、高校の知識もそれなりに理解出来るモノ。それは、大学、大学院でも同じだろう。
大事なのは中高レベルの知識である。大学というのは、基本的、一般的な知識である中高レベルの知識で紹介されたモノから、各自が関心の強い特化した分野毎に学ぶところ。大学では、専門性の高い基本的な知識を学ぶ世界である。そこでは、その分野における知識の進化を学ぶ事で、問題解決の手法を身に付ける世界でもある。そして、大学院以上の高等教育では、現在、未解決だったり望まれている問題や新たな発明をテーマとして掲げ、大学迄で得た知識と問題解決の手法を駆使して、新たな問題に対して自分なりに解決することで、実践的な価値観創成能力を身に付ける場所と言って差し支えないのである。

学校という場に限らず、どんな世界でも新しい世界で活躍するためには、新たな価値観を生み出す能力が必要。その能力は、世界毎の基本的な知識の習得と、問題解決の手法を身に付けずして、絶対に身に付く事はない。答えを示してレールに載せて、その気にさせるような教育なんて有り得ないだろう。

優しく、道しるべを示し、そのレールに載せて教育する、、、、それでは、簡単に新しい価値観や、直面する問題を解決するっていうのは難しいのでは無いだろうか?
今出来ている事を簡単に示す事ではなく、問題を解決する能力を身に付けさせる、、、それに必要なのは何と何、、、、その辺が一番大事なように思う。

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