タイヤの縁
ココまで使える!
これが、80年代ライダーの勲章だったような気がする。
この影響は何処から来たか?というと、80年代に流行っていたバリバリ伝説。
主人公のグンちゃんがCB750Fを目一杯寝かせてコーナリングする絵に当時の少年は憧れて峠を走っていたのである。
意味もなく寝かせる。そうすると、タイヤのトレッド端迄接地痕が残る。この接地痕があることがコーナーを攻めているという証だったりしている。
ただ、こういう価値観を持っているのは80年代の峠小僧。2020年代となると還暦オヤジの一部の拘りかもしれない。
そういう自分もタイヤを何処まで使っているか?使えているか?というのを気にしているのは事実。ただ、街の単車を見ると、殆ど使っていないのが実状。
まぁ、タイヤの縁を使えばエライという考え方自体が間違っている。
更に言えば、今時のバイクでタイヤの縁が使えている状態と、昔のバイクのでタイヤの縁が使えている状態、較べてみてどっちが深いバンク角で走っているか?というと、100%昔のバイク。
今の偏平タイヤのバイク、普通に走るだけで、そこそこの接地痕が残る。そう考えると、逆に、今のバイクで寝ている寝ていないって拘るのは、或る意味バカかもしれない。
今のタイヤ、寝ないでも接地痕が付く。今のタイヤ、ラジアルで柔らかい、、、、そんなタイヤで寝ている、寝ていない、、、、そういう議論が起こるのは、考えてみれば情けない話。
接地痕を見て寝かせているかどうか?というのは、昔ながらの旧車で細いバイアスタイヤで縁迄寝ていたら、それはそれで凄いのかも知れない。
ただ、タイヤを見てどうだ、、、そう言う事自体言うのが、今の時代、ナンセンスかも知れない。
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