打った打ってないで対立?
実業家で辛口で有名な方、ワクチンを打った打ってないという理由で、コンビを組んでいた相方と絶縁、、、、
打つも打たぬも個人の判断に委ねられているというのが原則。にもかかわらず、打ってないという理由で、攻撃的文言を放ち絶縁宣言、、、、
最近、気になるのが打った側からの打ってない人への圧力というか嫌悪。
打つのは基本自分の為。それ故に、打った人はそれで自分が安心出来るなら、打ってない奴の事なんて気にしなければよいのに、、、、、
にもかかわらず打ってない人を攻撃する、、、、
この深層心理を推測するに、打ったことを少し後悔している?つまり、リスクの存在を認めたくないけど認めざるを得ない本音が潜んでいるからか?と思える。
つまり、打ってない奴に、リスクを負ってない事を恨めしく思って攻撃的になっている?という風にも見える。
打ちたければ打てばよい。嫌なら打たねば良い。打つのは自分が重症化するのが嫌だからだろう。ならば、打った本人は自分は安心と思える筈。それなら打ってない奴を攻撃するのではなく、可哀想に、、、と慈悲の心で見るのが普通だろう。それを攻撃するってのは、打ったことへの後悔と、打ってない奴への恨み、妬みが根底にある、、、、そうだろう。
恐らく、多くの人がアレに疑念を持ち始めているのではないか?
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