分断感
ワクチンに対して思う。最近、接種者と非接種者が更に乖離しているような印象。
ただ、乖離した原因を考えると、どちらの側の考え方が変わったのかと考えると、接種者側の意識が変わったのが反発の度合いを更に強めているような印象を受ける。
そもそも、非接種者というのは、元々は未接種者が多かったように思う。
打ってない人の多く、恐らくだけど、最初は混雑の中を並んで打ちに行くが面倒臭いというのが殆どでは無かっただろうか?ただ、接種先行国の状況が漏れ聞こえるに連れて、未接種者の意識が変わったんだろう。具体的には、打てるタイミングを見計らって打とうという考えから、もう少し様子見して考えようを経て、今では打たないという選択をしようという風に変わっている。
一方で、接種済みの人というのは、どうかというと、ワクチン前はワクチンが希望の光という報道が多く、ワクチン接種が部分的に始まった頃は、ワクチンを競って打ちに行くという光景が見られていた。並んで打ちに行く人は我先にという意識だったんだろう。
しかし、接種が進んでいくと副反応事例が報告されるようになって、接種済みの人の意識は、非接種者に対して嫌悪を感情を抱き始めた様に思う。具体的には、接種して集団免疫形成に副反応を我慢しているのに、非接種者は集団免疫のタダ乗りだという意識だ。この副反応が接種者と未接種者の分断の第一歩の原因だったんだろう。
その後、副反応が倦怠感、高熱に留まらず、死亡例が報告され、一部では重大な影響を将来に渡って残すという説が出回り始め、副反応の重篤化、長期化が多数報告される様になるにつれて、接種者の非接種者への意識は更に対立していったのでは無いか?
具体的には、言われる様に接種したのに、なんで自分達だけ、リスクに怯え、酷い副反応に怯えなければならない?恐らく、苦しみを受けない人は卑怯だ、、、、そんな意識が芽生えているのでは無いだろうか?
接種者と非接種者の意識の乖離は、ワクチンによるネガティブな情報が出れば出る程、広がっていくのだろう。これが更なる対立を招くような気もする。
自身も当初は非接種に対する風当たりは差程感じなかったけど、最近は結構感じるように思う。それでも、極力対立しないように心掛けているけど、やはり人間である。対立の空気感を感じると、つい対立の意識が出てしまう事がある。良くない考えとは判っているけど、対立してくる人に対しては、行く所まで行ってしまえ的な感情が出てしまうもの。
この分断、接種政策を仮に見直したとしても、消える事は無さそう。この対立が消えるのは、接種が正解だったという結末になるか、接種が不正解の場合は、接種による悪影響が完全に取り除けるようになるかの二通りの場合しか、接種者と非接種者の分断は解消しないように思う。
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