ワクチンの答え合わせを期待
元々は打つのは自由意志。
しかし実際には協調圧力的に打て打て感が凄かったのが現実。
娘の大学では、嫌がって泣き叫ぶ女生徒を押さえつけて接種、、、そんな事もあったとか。勤務先でも管理職会議では、○○の社員なら打つように!という話が経営者からもあったし、、、実際、職域接種の案内では、数回もエライ人から電話があったりした。その度に断るのは非常に面倒臭い。
特に2021年というと打て打て圧力が強力だったのを覚えている。その後、メディアや著名人から、打たない人は有り得ないとか、そんな話が少なくなかったのを覚えている。
で、それから時間が経って2023年、今ではワクチン疑念の意見や、打って後悔って話もチラホラ聞く。ただ、相変わらず接種推奨の声の方が多数派。
さて、どっちでも良いけど、この賛否というかワクチンの真偽、正解不正解の結論を見てみたい気分。
勿論、非接種だから、そっちが正解という意見を期待するけど、勝手なモノである。接種が不正解という結論をどういう形で見たいか、、、、不正解の形というと、接種による惨禍が訪れるパターンもあるだろうけど、出来れば、接種推奨側からの懺悔的な発表を期待したい。惨禍が訪れるのは、少し困る、、、、それは、、、身内で接種している人がいるから。まぁ、もし身内に居なければ惨禍を見てみたいこともあるけど、やはり、それは出来ない。
ただ、現実に、接種推奨側、例えば、政府であるとか製造元から懺悔するような発表は有り得ない。あるとすれば、隠しようのない事態が訪れ、推奨側が懺悔を強いられるような状態しか考えられない。
正直、このワクチン施策、白黒ハッキリしないまま有耶無耶ってのが一番困る。何故かというと、将来、また同じパターンが起こりうるから。将来、再び愚策で社会が翻弄されないためには、今回の愚策が愚策と誰もが認識するような惨禍が起きる必要があるようにも思う。何故に、こんな事を思うかというと、2021年の同調圧には結構参る感じだったから。
さて、どうなるか?
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