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2025年2月17日 (月)

交通違反を回想

交通違反、遡ってみると、、、多いのか少ないのか良く判らない。
一番最初の違反は、昭和56年3月、原付で福島町の路地を走行中、一方通行標識に気付かず交番の目の前で捕まった。所謂、青切符である。これが最初。自宅から己斐方面に向かう時だ。その次の二回目の違反は、昭和57年5月、これは可部自動車学校に通うのに高陽町A団地近辺の道路を走行中に33km/hオーバー、一発免停赤切符である。で、確か7月頃に家庭裁判所に出掛けたのも最初。それから暫くは違反は無しだったけど、三回目が昭和60年10月、大学生活で東広島市で生活しているとき、2号線を走行中、検問で引っ掛かってタイヤにガラス片が刺さっているのを理由に整備不良で検挙、、、これは正直納得していなかったのを覚えている。次の四回目が昭和62年の12月頃、後輩を後に乗せて旧河合塾があった通りで見事33km/hオーバー。二度目の免停である。更に一年後の五回目が平成元年の梅雨時6月頃だったけど、瀬野川阿戸線で、原付で追い越し禁止違反。追い越し禁止違反が続き六回目が平成2年の10月にも、、、こちらは、西条から阿戸に抜ける峠で前の車のウォッシャーが直撃してきたのでガンマで一気に追い抜いたときに運悪く検挙。そして最後の違反が七回目で平成6年の10月で、呉高専前で速度違反20km/hオーバーというところ。

因みに、交通事故は、昭和59年12月にスーパーホークⅢで車に追突して全損、大腿骨骨折事故が最初。これが一番酷い事故。二回目が昭和61年7月にXZ400Dで右折渋滞中で前のカローラに追突事故。自分の過失と考えているのは、この二件。他は全て四輪での事故。間隔は大きく開いて平成25年6月頃で、これは雨の日に車で走行中、脇道からスマホ+傘さし運転のキャバ嬢が横っ腹に突っ込んできた事故。次が平成29年7月で、自宅のある団地で、やはり脇道から逆走しながら無灯火で横っ腹に中学生が突っ込んできた事故。こちらは父兄が狂っていて少し事故処理に苦労したのを覚えている。最後が平成30年11月で、なだらかな右に旋回する道路を確認のため一時停止中、脇道から逆走してきた女子高生自転車が突っ込んできた事故である。単車では自分が悪い二件、四輪では自分が悪いとは思えない自転車が突っ込んでくる事故が三件。という感じ。

違反は赤切符の一発免停速度違反が二件、青切符が五回で速度違反は一件、追い越し違反二件、進入禁止違反一件、整備不良一件であり、事故については全て物損扱いで免許の点数に影響したものは無いのが、或る意味不思議。出費で一番バカらしいのが反則金である。赤切符は初回は未成年だったから罰金は払ってないけど、二回目は学生には厳しい35,000円。これからも罰金、反則金は払いたくないものである。

印象として、事故は四輪、違反は二輪、、、そんな印象。違反としては一時停止を完全遵守で心掛けていれば殆ど防げる印象。速度違反は、車列の先頭を勢い良く走るのを止めれば、捕まることは殆ど有り得ない。更に、計測困難な曲がりくねった道では速度違反取り締まりは無いと言っても過言ではない。つまり、真っ直ぐで誰でも出せるような道、例えば高速道路、バイパス、幹線道路で速度を出さなければ捕まらない。山間部の農業連絡道とか、誰も通らない曲がりくねった道なら大丈夫。事故を防ぐには、暴走自転車への対応さえしていれば問題なし。暴走自転車というのは脇道からミサイルのように飛び出してくる。これを避けるためには、、、、路地が入り組んだ道路では完全に規制速度を遵守すれば大丈夫。

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