2009年11月13日 (金)

理科離れ?

 木曜日のクローズアップ現代ネタだ。

 そのネタで問題となっているのは、子供たちの理科離れ対策に理科の指導時間を大幅に増やすカリキュラムが今年度から施行されている事で明らかになった問題で、何でも、教える側が教える事が満足にできないという事だそうだ。
 そして、その問題は教える側が『ゆとり教育』で育ったから?だとか、、、、

 番組の流れでは、理科離れ対策の先生がしっかり教えられるようにするために、いろんな取組があるよ!って話。

 でも、、、、見ていて違和感、、、、、ゆとり先生に教える側の理科の内容が、省かれた知識を知識として教えるというモノ、、、、、、

 それは、違うだろう?っていうのが、正直な感想。

 理科に限らず、教える側に必要なのは定型的な知識ではないのである。それが抜けているのが番組に対する不満だ。

 もちろん、知識は必要だが、最初に知識ありきで知識を前提とした問題を解明するのではないのだ。もちろん、ここでいう知識は新たに習う知識のこと。知識でも習得した知識は必要なのは当然で、知識は増えるものだが、増やし方の問題だ。

 ゆとり教育如何に関わらず、現代日本の教育の崩壊は、新しい分野を解くための手法、知識、公式を最初に伝えて、それを利用できるかどうかで評価するスタイルがNGなのだ。
 新しい知識というのは、古い知識を組み合わせて見えてくるモノであり、古い知識の連動性、相似性を理解して新しく生み出した考え方を知識として体系立てて身につけるのが教育のスタイルであるべきだ。

 つまり、先の記事にも書いたけど、理科を学ぶというのは、目に見る新しい問題を自分で判断できる素地を得る事であり、それは、既知の知識を連動させ、相似性を見抜き、問題を解決して判断する能力を身につける事。つまり、自分の知識を構築する能力が大事ではないだろうか?

 電気回路で流れの話をしていたけど、そんなのは、普通に川の流れ、道の混雑さという身近な場面に置き換えて連動性を気づかせるような教育こそ必要なのではないだろうか?
 そもそも、理科というターゲットに絞られた問題提起の番組構成というか、文部科学省の提言が間違いだ。理科だろうが国語だろうが数学だろうが歴史等々、、、全部、おんなじである。学ぶという手順に科目の違いは無い。学ぶという事で問題を解決して未知を推論する手順を身につけるのが共通の目的であり、それに気付けば、科目の違いなんぞ些細な事だ。それに気付いた教える側こそが必要ではないだろうか?

 自分を振り返ると、未だ知らないことだらけだが、理解している範囲では、工学系科目の考え方に限らず、受験科目の全てが同じ構成のように見える。

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2009年11月 5日 (木)

炭素繊維複合材料の話

 先日、表題の話で議論する機会があった。
 そこでの話。炭素繊維複合材料で、マクロ的には複合元の材料の弾性率に比例した物性となるけど、ミクロ的には、構成繊維の大きさ(繊維系)に逆比例した物性になるって話を自信満々にされたけど、これ聞いて会話した内容、、、、それって、粉末冶金材料の物性改善の手法と似ていない?或いは、一般材料でも当て嵌まらない?って話。

 最近は炭素繊維を樹脂、炭素、メタルと複合化した材料開発を行っているけど、一寸前は、複合炭化物とか、セラミックス、サーメットの開発も行っていたのだが、そこでいい材料っていうのは、微細化された材料、、、或いは、超微粉を用いた焼結材料っていうのがある。

 ふと考えたのは、炭素繊維の複合材料の繊維系の物性への影響っていうのは、粉末冶金での焼結材料の粉体粒子径の物性へ与える影響と一緒の部分があるだろ?って話。

 この話、週末のテレビで塩船で海を渡る話で、塩を微細に粉砕して付ける事で強度を上げるなんて話があったけど、多少被る部分がある。

 そう、これって常識の話の一つだが、人によっては、学問に特化しすぎると、似たような事例が他の分野で大量に転がっているのが気付かないのかもしれない。まぁ、自分が気付いたと錯覚しているだけかもしれないが、、、、、

 ところで、炭素繊維複合材料で面白いのは、材料複合化において破壊の方向性というか形態を制御することで強度を保つ考え方、、、、、一般に、材料の複合化では高弾性率材料比率を上げるほど物性は向上するけど、考え方としては、破壊の形態を破壊の視点を高弾性材料から発生するようにデザインすることで、弾性率比率を超えた強度を発揮させる方法もあるという、、、、こういうのは、素直に素晴らしい考え方だと思うけど、更に言えば、壊れる強度で材料を比較するよりも、壊れないで使える範囲の強度が幾らか?が大事であり、そういう点では複合材料の評価は未だ発展途上のようでもある。

 果たして、元来的に複合化する事が難しい炭素繊維と樹脂の複合材料は、従来材料と見立てる時、どのような材料として扱うのがベストなんだろうか?疲労の有無、限界の高低、、、いろんな尺度があるけど、その辺が明らかにはされていないようにも思う。複合材料の場合、弾性率一つとっても、それを通常の弾性材料と等価に考えて良いかどうか?は、その成り立ちや破壊の形態から考えても安直には扱えそうにない。

 そんな事を考えながら見つめると、結構楽しい。

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2009年10月 6日 (火)

口で言うほど研究は、、、、

 政治家、評論家、企業の経営者、、、、この辺りは、研究って言葉を剰りにも安易に、安直に、気安く使っているような気がする。

 そもそも、研究とか開発というのは金が掛かる。でも、何故するか?っていうと、儲けるためだ。儲ける必要っていうのは、価格勝負では立ちゆかないから。言い値を通すためと言っても良い筈である。
 言い値を通すには、どうするか?っていうと、マーケットというか、市場が欲する機能を高いレベルで供給する事だろう。

 では、何が望まれているか?これが問題。何が望まれているか?っていうのは、その業界の動向、業界の常識で諦められているモノ、それを解決するに役立ちそうな技術の進み具合次第で刻々と変化しているものだ。

 思うには、そのような動向を見抜く嗅覚が一番重要だ。それで、感じたモノ全てが製品という形では結実しないだろうが、それを想像し、時代の流れに応じて次の一手が打てるように体制を整える意識が重要なのだ。

 勿論、時代の流れとともに、そのターゲットは刻々と変化する訳であり、取り組む事象を常に見直し、刷新し、進めるべきは進め、諦めるべきは諦める、、、そんな決断力も重要なのだ。

 そう、研究って言葉を根付かせて行うには、組織的な体制が必要不可欠なのだ。

 第一には、市場動向から次代のトレンドを見抜く技術的常識を経営的センスに加えて持つのは当然で、その次代において要求されるモノは何か?を嗅ぎ付ける嗅覚を持つ経営者、営業のトップ、経営判断のトップが必要だろう。

 第二には、その抽象的な要求を具体的なアイテムに置き換えて、今の技術レベルをどうすれば得られるか?とか、何が必要か?という具体的な分野に絞れるような技術開発系のマネージャーが必要だ。

 第三が、細分化されたテーマを実践に移す部隊であり、当然、その領域の常識たる知識を身に付けるっていうのは大前提だ。

 そのような体制によって、時々刻々と変化する次代の理想を具現化するに必要な技術を先読みして取り組むことが研究や開発では無いだろうか?
 余所がやっている事に乗っかるとか、誰かの真似するとか、、、、人が出したから似たようなの出すとか、、、それは、チョット違うような気がする。

 余所が出してきた成果や、華々しいアピールといったモノは、目に見えない過去の継続の上に成り立っており、それを見ずして、やれ!研究、それ!研究っていうのは違和感を感じる。

 本来、研究のような行動自体は内密で泥臭いモノなのだ。そして、その泥臭い取り組みをダメ元で繰り返さない限りは、成果としては決して現れないものだろう。

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2009年10月 2日 (金)

常識の下と上と、、、

 昨日の講習会や、業務、或いは、趣味で思う事。
 それは、常識という考え方だ。常識といっても道徳的な意味合いでなく、モノの道理についての話。自分が知っているかどうか?でなく、全く別の意味での話。

 そんな世界での常識の定義は何か?っていうと、自分が知っているかどうかは別として、一般に既知の事実かどうか?の考え方で、既知の事実や論理の事を常識と判断している。

 そんな既知の事実=常識と捉えれば、既知の事実は、個人にとっては未知の内容であっても、その世界では知られているとすれば、その中身はやはり常識だと言えよう。この考え方というか、常識って状態の捉え方は至って全うな考えである。一般に、常識を身に付けるという言葉があるけど、それは身に付ければ備わらないモノという意味においても、当人に身に付いている如何に関わらず常識が存在すると言う事だからだ。

 さて、そんな定義で常識を見つめて、色んなモノ、製品、方法、方案、開発、研究といったモノを見てみると、組織というか社会は、常識に対して二通りの存在があるようだ。

 一つは、既知の常識を身に付けていないエリアである。

 この世界では、既知の論理に整合性を伴わない考え方に満ちあふれているものであり、取り敢えず、それでも問題が生じていないというモノから成立している。そう、常識が足りていない世界だ。勿論、その世界に長く属していれば、その無知を含んだ思想自体を常識と捉えているかもしれないが、それは或る意味、とても怖い事だ。その世界の方法論は、常識、つまり、既知の論理から逸脱したモノが多かったりする。

 もう一つは、既知の常識を身に付けたエリアである。

 この世界では、少なくとも既知の論理に対する整合性を持つモノから構成されており、その常識を満たした上で、更に上を目指す世界だ。ここで生まれるモノは、常識では測れないという意味で、独創性と言える。勿論、独創性があっても、その要素は常識の積み重ねであり、常識で説明出来るのは言うまでもない。

 そう分けると、常識の上か下かで世界は大きく異なっているように見える。これから、必要なのは、既知の論理を理解した上での独創性であり、それが無ければ、乗り切れない、、、、そんなイメージだ。

 最近、後進国の追い上げに対して、技術開発云々って言葉をメディアやニュースで耳にするけど、開発する技術とは、既知の論理の上で成り立った新しい考え方であり、あくまでも、新しい考え方は、常識の延長にあるものだが、それは既知の常識を持たないモノには絶対に生み出せないモノ。そういう意味で、一番大切なのは、教育であり、常識の延長に生まれるかも知れないモノを探す根気強さかな?と考えたりする。

 昨日の講習会で、エンジニアの苦労話を聞いて思ったのがそういう感想だ。

 例えば、効率という言葉一つで、高効率を実現するという抽象性があったとする。高効率とは何を持って高効率か?効率を阻害する要因は何か?その支配原因は何か?と原因を探る事が第一で、見方を物理的な見地、熱的、化学的見地から見て問題を潰す行為が常識に則った作業。
 開発という言葉は、そんな常識を前提として、根本を取り除くような構造的な工夫であったり、物性改善のための材質的は変更というターゲットを絞った上での構成のリビルド等によって為されるモノ。

 突拍子が無かったり、或いは、常識を逸脱しては結果を得る事は出来ない。

 車のエンジン等で、多気筒=高性能という理解のみで、4000ccの8気筒をベースに普通車、軽自動車のエンジンを8気筒で作るなんて方法は誰も取らないが、常識が無ければやりかねない。価格重視の分野で必要性能が決められた中で、性能が足らないから多気筒化に走るという考えもコスト負担を招くモノ。
 でも、基礎的な常識を理解していなければ、そんな非常識を普通に行うところも、案外少なくない。そんな印象だ。

 歳や経歴、役職といった邪魔なモノが身に付くと、自分の知らない事を認めたくなくなるモノ。知らない事は認めないという考え方は、己の無知を認めない事でもある。それ故に、知らない事は取り入れない、見ないという状況に陥りがち。すると、進歩が止まる。そいう意見を黙殺しても進歩が滞る。そんなモンだ。しかし、それでは、自分の知らない世間でいう常識レベルの事さえもが理解出来なくなる。結果、どうなるか、時代遅れで通用しなくなるのだ。

 先端、先進という言葉は相対的な意味。つまり、常識より一歩先んじている状態。そして、皆の取り組みにより昔の未知は今の既知となっており、常識は常に進んでいる。そう、先端や先進を維持するには、少なくとも進歩し続ける常識には付いて行かなければならない。そういう意味で、常識外れとならないようにするには、常識を身に付ける取り組みを怠ることは出来ないもの。そのために必要な事は、個人の場合は、常に常識や知識を追求する好奇心を維持する事であり、組織の場合は、活発な新陳代謝を意味する世代交代である。
 逆に言えば、好奇心を持って独創性を発揮する方法を知らなかったり、膠着化した組織は、或る意味、死んでいる状態とも言えるのかもしれない。

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2009年9月19日 (土)

あーなって、こーなって、、、、

 色んな事柄についてだけど、殆ど全ての事柄(使い方、道具、、、、)を考える時に必要なのは何か?っていうと、考える対象の持つ意味というか、動作であれば動作の原則だったり、目的だったりするものが、どんな原則に基づいたモノか?を考える事だ。

 複雑な事象を自分の理解できる原則に抽出した上で本当の意味で頭で理解できるか?どうかが複雑な事象を考える上での必要な事ではないだろうか?

 この考えは、流体機械における設計手法というかハンドブック的な公式が、どんな原則から導き出せており、理想的には何をモチーフにすべきか?を見抜く眼だったり、材料製造における各プロセスでのモノの動くべき理想性は何で、そのハンドリングには何を注意すべきか?を見抜く眼力だったりする。

 これは、実社会における事務仕事、設計業務、開発業務、製造業務に留まらず、運転という行為における事故回避、取り締まり回避だったりする。実際、自分はゴールド免許制度が始まって以来、ずっとゴールド免許だ。大判のゴールド、カード型のゴールド、IC式もゴールドだ。
 当然、そういうのは児童、生徒が学ぶ学問においても然りである。例えば、理科の二分野で人体の組織であっても各器官の役割を図解で理解しておけば、各器官における働き、器官を巡る血管中の成分濃度がどうか?なんて、覚える事は必要なしで判るし、天体の動きでも然りである。天体の動き、昼と夜の概念、方位の概念さえ理解していれば、季節、時刻で方位毎に見える天球の正座なんぞ覚える必要は無いのだ。
 更にひけらかすと、小学生であっても平方根、立方根なんて比較的簡単に求める事が出来る。勿論、電卓や、刻み幅を小さくした繰り返し計算ではなく、論理に基づいて一発で求める方法がある。具体的には、平面図形、立体図形の概念と等積変形的な思想だけで対処できる。

 つまり、どんな物事であっても、それを構成する論理を自分の本当の理解できるレベル迄砕けば覚えることは必要無いし、一生忘れることなく呼び起こす事が出来る。勿論、本質云々という学者のような言う事とは違い、あくまでも自分が本当の意味で理解できるレベル迄分解すると言う事が大事で、こういう癖は、ありとあらゆる分野に科目の当て嵌める事が出来るのだ。自身、最近は殆ど全ての事が自分の理解出来るレベル迄分解していくと殆ど同じように見える。極論すれば、国語も算数も、理科も社会も特定の法則に則っていると思う事が多い。

 前振りが長くなったけど、これは、自転車や単車でも言える事なのだ。今の時勢、スペックで云々する奴が多いけど、構成、材料等々が一体何のため?何を叶えるため?を超越して数字だけで判断すると、意味が見えない場合が少なくない。何だか知らないけど、飾り立てられた数値の大小だけでモノを見るのでなく、数値の大小よりも、そのモノが何のために存在するか?各部の違いがどの様に影響するか?どうすれば些細な違いを感じ取れるか?モノの特徴が自分の趣味に合うのはどの部分か?が大事であり、それには、見定める部分が実際に動いたり機能したりしているときに、その動きが頭の中でイメージ出来る事が重要。イメージとは具体化であり、それにはモノの動きが法則に従った動きをすることを知らなければならないのであり、結局は、そんな部分を如何に自分の理解に組み込めるか?は、過去の生い立ち次第なのである。

 だから、色々見ながら、あーなって、こーなって!って言えるのは、見る事で、それが何のために、どんな原則に従ってっていうことが判る。それ故に、その部分を感じるためには、どうすれば判りやすい?とか、どういう状態が使えた状態?というのが決めれるのだ。

 見た目の体裁だけで、あーだ、こーだ言うヤツは、あーなって!こーなって!っていうのとは違う。伝聞や数値、仕様だけで物事の因果を考えない人っていうのは案外多い。

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2009年9月 3日 (木)

久々に研修だ

 9月から年末に掛けて、久々に研修に出席する。
 研修とか講習は、学生時代から入社間もない時代に集中しており、ここ十年程は出席する事自体がなかったのだが、ほんと十年以上ぶりで久々である。

 ここ十年程度の活動では、殆どが未体験の分野の活動であったけど、そのために知識を人から聞いて仕入れる活動は行わず、必要に応じて適当に文献を購入して済ませてきたのだが、今回は久々である。

 今回、参加する研修の分野は、自分にとって未知か?っていうと、そうではないし、あえて聞く必要があるか?というと、寧ろ不要かな?とも思うのだが、ここ十数年の先端材料関連の知識が殆ど独学であり、先端材料に限らず、様々な材料を統一的に扱う上で、一応は、それ系の専門家の視点とか、評価法等々の標準的なモノが何か?を知っておくのは悪くないかな?と思ったからだ。

 実際、自分で理解したつもりの概念が一般概念と違えば、それはそれで問題だし、この世界で他の専門家と対峙する時は、概念的にスタンダードなモノを知っておくのは結構重要だと考えたからだ。

 因みに、自身はプログラミング等のソフトウェア開発から、機械、装置類の設計、製作、製造迄一通りは理解しているつもりだが、本来の知識土壌っていうのは、材料、物質関連の評価だ。
 社会人になる迄は、有機材料~有機物関連の物性、評価等が専門で、その後が、セラミックスを中心とした無機材料、それからサーメット系、最近は鉄系、非鉄系金属材料の評価、製造法、方案迄携わり、先端材料では、物性評価、装置設計、用途開発が中心、一般材料では品質、方案、工程といった実務技法が中心で行ってきて、直近では、最近流行?の複合材料の高機能化、用途開発を主に行ってきたけど、振り返ってみれば、ありとあらゆる材料を専門的に扱ってきたのだが、その分野全般に通用する一般概念、常識を今一度知る事で、これまでの知識の修正を行いたいというのが、今回研修に参加する理由である。

 そんな訳で一応、JSME監修のテキストを早速購入して一読したんだが、取り敢えず、書いてある事は理解出来るし、研修自体に出席して落ち零れる事は無さそう。

 ところで、此処までの人生を振り返ると、専門性っていう面で身に付いたのは、殆ど全てが材料関連だ。セラミックス、サーメット、金属、有機、無機、複合材料、、、、処理的にも殆どの処理が行えるし、その特性も概論的には全て把握している。そんな訳だが、過去を振り返ってみると、この道を意識したのは、高校二年の頃。1982年の頃だ。

 1982年当時、意識があったのは京セラって会社。京セラでファインセラミックスを開発したいというのが高校生の自分の願いだった。で、曲折を経て進学した大学の専攻は工業材料を科目として持つ学科だったのを思い出す。
 趣味としては、自転車、単車だったけど、進路としては材料に関心を持っていたのを思い出す。

 そして、30年近く立った今だが、実際に、機械関連の製造業に居ても、業務の半分以上を材料開発に割いている。実際、取得、申請している特許の殆どが材料関連。
 思えば、自分の考えは30年間ぶれていないのである。このぶれないというのが、性格的なしつこさ、諄さから来ているんだろうと思ったりする。それ故に、この世界の関心を未だに持って、今更のように研修に参加しよう!って気分になるんだろう。

 他人がどうかは知らないが、自分の意識としては大事なのは、ぶれない意志ということ。それは、小さな事から大きな事迄、趣味から仕事、家事、育児迄、、、、全てにフラフラしない事。他人に翻弄されない気持ちがやっぱり生きる上で一番大事だと思う。

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2009年9月 2日 (水)

ナチュラルっていうか、ニュートラルっていうか、、、

 今月、勤務先の先輩で、一緒に仕事をしてきた方が退職される。
 年齢的には相当上で、部門長を務めた上での定年退職であるが、この方と、仕事や技術に関して話をする事がある。それは、どうして短期的な仕事を請け負うのか?という質問的な話であることが多い。

 自分は、この方の纏める職場に落下傘的に配置されて長くは無いし、その職場の専門性を持ち合わせている訳ではないが、自分の見方で、その職場に関連して活動を行ってきた。因みに、自分の職歴は?っていうと、一所で定型的な業務を行った経験は皆無であり、最長でも5年を目処にして、様々な部門を見て歩いている。設計、開発、システム関連、検査関連、製造関連、、、、、である。何れの部署に対しても、その部門に特化した専門性は持っていないけど、別に気にしていない。

 そのような状態で何を行うか?っていうと、その部署における入力と出力を考えて、その中間行為における目的と、目的を得る為の手法が、自然の理屈に合っているか否かを判断し、無理が或る部分を取り除いて、新しい方法とか製品を提案する事が多い。
 具体的には、製品であったり、プログラム、システム、技術、製法といったモノを新たに生み出す事を職務としている。つまり、新しいモノの創造と、長きに渡り抱えた問題点の解決というのを請け負っているのだが、その際に大事にしているのは、行為に潜むナチュラルな感覚である。
 例えば、どんなプログラムでも機械でもだが、それらは全て、物事のナチュラルさを大事にして、それが乱れない様な形を補う事で成り立っているという考えである。
 公式的、伝聞的に、強引に生み出された形っていうのは、そこで扱うモノの動き(数値の動きであったり、流体や熱の動き)に無理があるのだが、その無理は、モノの動きのニュートラルな感じを阻害する事から生まれるのである。

 つまり、大事にするのは、公式とか技法、伝聞とは別の、自然な現象との適合性であり、ターゲットにニュートラルさ、ナチュラルさがあるかどうか?を見る目であり、それを判定するための工学的な知識だったりするのだ。要は行動に対する目的の意識と、目的を得るために必要な手順が何か?を、自然な理屈に基づいて生み出す事を大事と考えている。
 この考えは、仕事に限らず、単車で走る時も然りである。単車を操るのは、単車の動きたい様に動かす。股の下で遊ばせるという感覚を大事にしているし、自分の望んだ動きを自然に行うには、どのような切っ掛けを与えれば良いか?を考えて実践しているだけだったりする。
 自転車でも然りだ。望むモノ、結果を得るには、自分は身体をどう使いたいか?そうするためには、機材をどう仕上げたいか?を考えて、そのイメージに合う様に具体化するだけだったりする。

 何事も、モノを得れば結果が付いてくるという考え方には否定的であり、結果を得るには、どういう方法が最も合理的で自然か?を考え、それに最も近道となるような補助を作り、その補助こそが、技法、製造法、製品、セッティング、機材選定になるのである。

 話が戻るけど、その方と話をした時に、製品はどう?将来性は?って質問を受けた時の解答として、、、、最近思うのは、流体機械の形状を見て、この形状は、流体の気持ちを無視しているな!って思う事がある。大抵、そういう製品は性能が今一である!って返答となったのだが、モノを生み出す実力がやや欠けてきたかな?っていうのが正直な印象だ。
 これは、仕事に限らないが、比較的若い世代と、単車、自転車といったネタで話をする事も少なくないが、どんな分野であっても、原則を重きとした考えが出来ない、即物的な人が多い様に感じる。
 これは、社内の安全教育とか技能伝承、或いは、作業指導等でも感じる事。機械的に作業を記憶するばかりで、そこに潜む本当の理由を知らない人が多すぎる印象だ。

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2009年8月22日 (土)

緊急地震速報機

 最近、結構大きな地震は頻発している。

 で、その対策に良さそうなのが表題の商品である。その商品の中でも安価かつ手頃なのが、アイリスオーヤマが開発した緊急地震速報機だ。発表は8/19の商品で、↓

http://www.iris-bouhan.com/earthquake/spec_eews.html

である。詳細は民放FM局の地震速報を受信して警報を伝えるもの。価格は8000円程と手頃なのが良い。
この手の速報機は、大元の速報をキャッチして警報を発するもので、速報の配信メディアによって運用コストが大きく変わる。
そういう意味で、民放FM局の電波を利用するっていうのは、月額コストも10円に満たず、殆ど、待機電力以下の世界というのが良い。下手にネットを使ったり、、、、そのような伝送媒体よりも緊急時の伝送は、とにかく簡単で安定的でっていうのが大事。日中とかならテレビがあれば問題無いけど、深夜、早朝はさすがにテレビは消している。要は、24時間付けっぱなしで運用できる機械が一番なのだ。

 発売後、入手可能となれば一台くらい買っておくのも悪くないと思う。因みに、自分も一台購入してみた。

 因みに、我が家は中国地方で震度5を記録した平成13年芸予地震の際でも、花瓶一つさえ倒れなかった程に揺れない地域なんだが、油断は禁物、予断は許さない。

 因みに、この芸予地震の際は出勤しており研究室で作業を行っていた。当時の記憶は鮮明で、地震発生で、P波(初期微動)を感じてから、即座に加熱操作中の焼成炉に近づいて、S波(主要動)の大きさから、緊急加熱停止操作を行い、即座に研究室から出て、四方20mの範囲に何もない広場に移動して地震が治まるのを待ったのを覚えている。
 因みに、同時刻に同じ研究所で作業していた他の作業員2名は、社屋内で硬直していたのも覚えている。

 そういえば、地震速報機より急務なのが、家庭用の火災報知器だ。これも設置義務があるので、近々、見繕って導入予定だ。

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2009年8月15日 (土)

設計と開発

 企業での人事採用では、設計、開発業務って普通に書いてある。
 でも、設計と開発を区別して行っているのは一部の大企業であり、技術的な素地の無い企業では開発といっても開発と呼べるの?ってレベルを開発と言う事が少なくない。

 そもそも、設計と開発って言葉の意味がどうか?によって、その実態、理解は大きく異なっている。
 人事採用可否を担っている手前、そういう言葉を聞く事が多いのだが、その言葉を聞く度に考えてしまう。

 個人の勝手なイメージだが、これらの言葉に持つ印象を羅列してみると、、、、

 設計、これは、手順に従って、仕様を具現化する作業。つまり、決められた手法、公式、手順が存在し、仕様で与えられた条件を満たす解を導き出して、それを作図する作業とでも言おうか?勿論、その中には工夫的要素もあるだろうけど、導入される知恵には大きな飛躍はあまり無いのが実情。スケールアップ、スケールダウン、そんなモノから、既知の論法を利用する業務全般が該当する。

 一方で、開発、、、、これは手順自体を生み出すような作業。つまり、原理現象の原則論に基づいて、選ぶべき手順は何か?の規則を生み出す作業。つまり、無から何か新しい事を作り上げる作業。スケールアップ、スケールダウンではなく、原則に従って新しい価値を見出す業務が該当する。

 で、設計、開発を希望する人には、専門性の確認では、語句、式、法則を字面で覚えているだけか?或いは、そのタームの生まれた理由、必然性迄説明できるか?を見て、設計止まりかな?開発できるかな?って判断する事が多い。
 そして、開発できるかな?って判断した人は、正直、人生の選択の再考を促す事が多かったりする。

 ぶっちゃけ、本当の意味での開発なんて、そう簡単に出来るモノでないし、それが出来る人材も稀なら、それが、どれ程の苦労を伴うか?を理解する組織も稀。そんなもんだ。
 そういう思いがあるのだが、結構気安く、簡単に、開発が重要!とか、開発したい!とか、言う人が多いのは驚きだ。0から1を生み出すっていうのは、公式に現れない概念的な真理を掴まなければ出来ないし、そこに真理を見出すための、問題意識と目的意識から結論を導き出す思考的な展開も出来ないと見えない筈。

 でも、なんだか知らないが、募集してくる学生さんは、熱力学が得意中の得意とか、流体力学が得意分野だ!とイイながら、その基本的な知識というか内容の必然性が判らないのは当然、下手すると、言葉も知らない人が多いのにはビックリだ。
 まぁ、企業によっては、そういう人しか雇う資格が無いような企業が多いのも現実だが、、、

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2009年8月 5日 (水)

役割分担

 周りからチョット困った質問を受けた。
 前もチョット記事にしたけど、自分で物凄く嫌悪感を感じるのは、話し相手から、その場に居ない他人、第三者の論評を聞かれる事なのだ。色んな人に同じ質問をして、その解答がどうか?なんて評価する事が一番嫌なのである。

 それとはチョット違うかも知れないが、質問としては、自転車部品を指して、その部品の物性、製造法、プロセス等々全てを作っている人は知っているか?って質問。

 答え、、、、そんなの分かんない。

 或いは、一般的には知らないだろう、、、、って事。ただ、一般的には知らないだろうって伝えた時に、本人が第三者が知らないっていう事はレベルが低いと勘違いするのが嫌な気持ちになるのである。知っているかどうかは、第三者次第である。そして、物性、製造法、プロセス等々について、専門家が専門外の分野を専門的に知っている事自体が稀であり、それが分担であるからだ。

 例えば、自転車部品、CFRP製部品が在ったとして、それを取り扱う側が、そのPAN繊維に何つかってる?とか、開繊はどの程度?とか、樹脂は何?とか、色んな事を知る必要も無いのである。そして、メーカー全てが自社で素材から生産している筈もないのである。
 想像するに、必要な性質を与えるに、部材にどのような特性を与えるか?を見繕うのが構造体を設計する側であり、設計側が有する知識としては、その構造体を得るにはどんな手法があるか程度?迄である。
 その選んだ手法で、素材がカーボンならば、求める形状に対して基本物性で、どの程度欲しいという数値が決まる。そして、その数値を製造メーカーに要求するのである。そして、オーダーを受けた製造メーカーは指定された物性を得るには、どんなプロセスが良いかを決めた上で、実際の製造を行うのである。

 言ってみれば、原料繊維メーカーは繊維については詳しいが、それが使われる先の専門性なんかは本来必要無いし、サプライヤー側も原料素材のプロセスや物性を全て理解している必要も無いのだ。そして、その分担する組織の間での共通ワードが機械物性だったりするのである。

 これは、一般機械でも言える事。例えば、産業機械、流体機械の製造ではどうか?っていうと、素材製造、加工、組立というプロセス、そして、流体設計、各部の設計、各部の素材物性、、、、いろんな専門家が携わるのである。そして一つの製品が完成するのだが、例えば流体設計の担当が、素材の製造プロセスなんか知るよしもないのだ。
 下手すると、流体設計の専門家は、純粋に流路形状の設計法しか知らない場合が多いのだ。構造部品の運動形態に応じた隙間設計、素材選定、、、、そんな事を知らない方が多いのだが、それが普通なのである。

 逆に、そういう事を深いレベルで知っているっていうのは、本来、作る側でなく、創る側なのだ。作るっていうのは、手順としては規定のモノ。創るっていのは手順から起こすモノ。

 そういう訳で、聞かれた事を解答しようとしても、その辺の常識を聞き手が理解していない場合、知らないのでは?って解答は、聞き手に作り手のレベルが低いと思わせ兼ねないのも嫌なのだ。

 そもそも、他人が知ってるか?知らないか?そんな事はどうでも良いのだ。他人が言ってる事に間違いが気付く事があるけど、それも客観的な事で、実際、どうでも良いのだ。他人が知っていようが、知っていまいが、大事なのは、問題に対して自分が知っているかどうかなのである。
 自分が知らないけど、他人がどうかを知りたい。そういう考え方自体が受け入れられないのだ。人が何しようが、何考えようが、どうでも良いのでは?と言える。

 ただ思うのは、ネットの情報では、そんな情報が氾濫して嘘も又聞きも多いようだが、情報の発信者がどう?って事が把握出来ない人は、いろんな情報に翻弄されるのがオチのようである。情報があろうが無かろうが、現実を自分で理解して結論を出せないと、結局、何も出来ないだろう。

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