理科離れ?
木曜日のクローズアップ現代ネタだ。
そのネタで問題となっているのは、子供たちの理科離れ対策に理科の指導時間を大幅に増やすカリキュラムが今年度から施行されている事で明らかになった問題で、何でも、教える側が教える事が満足にできないという事だそうだ。
そして、その問題は教える側が『ゆとり教育』で育ったから?だとか、、、、
番組の流れでは、理科離れ対策の先生がしっかり教えられるようにするために、いろんな取組があるよ!って話。
でも、、、、見ていて違和感、、、、、ゆとり先生に教える側の理科の内容が、省かれた知識を知識として教えるというモノ、、、、、、
それは、違うだろう?っていうのが、正直な感想。
理科に限らず、教える側に必要なのは定型的な知識ではないのである。それが抜けているのが番組に対する不満だ。
もちろん、知識は必要だが、最初に知識ありきで知識を前提とした問題を解明するのではないのだ。もちろん、ここでいう知識は新たに習う知識のこと。知識でも習得した知識は必要なのは当然で、知識は増えるものだが、増やし方の問題だ。
ゆとり教育如何に関わらず、現代日本の教育の崩壊は、新しい分野を解くための手法、知識、公式を最初に伝えて、それを利用できるかどうかで評価するスタイルがNGなのだ。
新しい知識というのは、古い知識を組み合わせて見えてくるモノであり、古い知識の連動性、相似性を理解して新しく生み出した考え方を知識として体系立てて身につけるのが教育のスタイルであるべきだ。
つまり、先の記事にも書いたけど、理科を学ぶというのは、目に見る新しい問題を自分で判断できる素地を得る事であり、それは、既知の知識を連動させ、相似性を見抜き、問題を解決して判断する能力を身につける事。つまり、自分の知識を構築する能力が大事ではないだろうか?
電気回路で流れの話をしていたけど、そんなのは、普通に川の流れ、道の混雑さという身近な場面に置き換えて連動性を気づかせるような教育こそ必要なのではないだろうか?
そもそも、理科というターゲットに絞られた問題提起の番組構成というか、文部科学省の提言が間違いだ。理科だろうが国語だろうが数学だろうが歴史等々、、、全部、おんなじである。学ぶという手順に科目の違いは無い。学ぶという事で問題を解決して未知を推論する手順を身につけるのが共通の目的であり、それに気付けば、科目の違いなんぞ些細な事だ。それに気付いた教える側こそが必要ではないだろうか?
自分を振り返ると、未だ知らないことだらけだが、理解している範囲では、工学系科目の考え方に限らず、受験科目の全てが同じ構成のように見える。
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