2021年9月17日 (金)

加齢フォルム

勤務先では始業時に揃ってラジオ体操を行っている。ラジオ体操は広場で行うけど、広場に向かって歩く中で周りの姿勢を見て思う。
それは、後ろ姿で年齢が判る。後ろ姿、横からの立ち姿、、、、そこには明確に老いの年数が見て取れる。

老いというのは実年齢もだけど、実年齢に見合った身体の緩みである。

身体の緩み、、、それはまとわりついた贅肉、失った筋肉で支えられない骨格という部分。

見るからに、人間として機能出来ないような体型である。

この体型の特徴は、やはり何と言っても猫背、なで肩、くねった背骨であろう。

肩が前に出る、、、背筋が失われている。すると猫背になる。肩胛骨あたりから首に掛けての脊椎が前方に傾いている。そのバランスを整えるように下腹部が前方に出て身体を支えている。見るからに老人である。運動自体が出来そうになり。勿論、自転車、バイクなんて乗れそうにないし、見るからにぎっくり腰になりそう。

持病的には、生活習慣病、糖尿病に罹患してアウトな状態さえ想像される。

背中が丸まった猫背、こういう体型の人を見ると、程なくして腰が曲がって所謂老人体型に陥りそう、、、、。

歳を取ると、、、、腹筋、背筋、胸筋、、、、この辺りが失われる。すると、上半身が支えられなくなり、猫背、なで肩、ストレートネックになる。これが揃うと、、、、爺さんだ。

パッと見、40代後半以上の運動習慣の無い人、殆どが爺さん体型。50代も後半を過ぎると爺さんだらけだ。爺さんは嫌だな。

爺さんがバイクにのると、力が抜けていると言うよりも、支えるべき部分の芯が無いので単車にへばりついている感が凄い。爺さんになっても単車に乗れるようにするには、やはり体幹を鍛えておく必要がある。爺さんになってもピストとかロードに乗れるように保つには、同じく体幹を鍛える必要がある。

こういう文書を記録すれば、自戒出来る。今の運動を続けようというモチベーションにもなる。大切な事だ。

不思議なモンである。サイクリスト、ライダー、ドライバー、、、、老人のオーラが出ている。恐らく、自分も傍目から見れば爺のオーラを出しているんだと思う。

顔を見なくとも年齢が判る。これって、姿勢から来るんだろう。雰囲気、空気感というのは姿勢、仕草から醸し出されるモノ。

気を付けよう。

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2021年8月28日 (土)

中高年

人の多く集まる場所に出掛ける。街中、ショッピングセンター、、、、見れば、結構オッサンが多い。
そして、日本人のオッサンの共通特徴、、、それは、如何にも老け込んだ感じ。

デブは、なで肩、二段腹、ブヨブヨ、、、、ガリは、骨と皮だけ。ただ、猫背、、、、

ハッキリ言って、胸筋が発達して、背骨が真っ直ぐ保たれているって、滅茶苦茶少ない。殆ど居ない。

如何にも不健康である。

こういう中高年、加齢を重ねて高齢者になると、間違いなく身体の自由度が失われていく。

実際、高齢者というとフォルムを見ただけで高齢者と判る。

こういう風にはなりたくない。身体は元気に保てるよう過ごしたい。

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2021年8月15日 (日)

還暦迫ると、、、、

この記事は2021年公開の記事。年齢は?というと、57歳に迫っている。還暦間近、定年間近だ。完全にお爺さん、シニアである。

最近、加齢が進んで高齢化するにつれて趣味が低年齢化している。

バイク趣味の熱量が増えている。自転車趣味の熱量も増えている。
昔好きだったマンガ、アニメにも関心度合が高まっている。

少しずつ幼児化している。成長ではなく退行現象である。

着実に身長も縮んでいる。

もしかしたら、赤ん坊くらいになるのだろうか?

また、街を歩いていて、学生時代の街並みを一気に鮮明に思い出したりしてしまう。懐古的な記憶が纏めて思い出されてくる。

これもオッサン化、お爺さん化の現象なんだろう。

定年退職迄3年弱。使える時間が増えたら、退行した精神年齢になった自分の欲求を適えるべく時間を有効に使って動き回りたい。

年齢が退行しても、学生時代と違って行うべき事は無いのである。入試も、中間テストも期末テストも、模擬試験も何にもないのである。時間は好きなだけ使えるのである。

そう思うと、シニアライフ、凄く楽しみ。

今、活動時間が全く足りていない。一日8~10時間程自由時間が増えるのだ。ワクワクである。

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2021年6月20日 (日)

年齢と睡眠時間

50代も半ばとなると、色んな面で衰えというか変化を感じるようになる。
特に実感しているのが睡眠時間だ。
10代、20代、30代の頃は就寝時刻が午前3時前後、起床時刻が7時台、つまり4~5時間の睡眠で普通に活動出来ていたけど、最近は少し違う。

午前1時過ぎに就寝、午前7時に起床、つまり5時間+αの睡眠時間を取っても睡魔に襲われる。
午前中、朝9時~11時の2時間、午後は2時~4時の2時間、合計4時間は寝ても良ければ爆睡してしまう。休日は昼寝状態で過ごすことも少なくない。平日は思考力が著しく低下して脳内的には休業状態である。

つまり、9時間程度の睡眠時間が欲しいということ。夜中の睡眠時間では必要睡眠時間の半分程度しか得られていない感じなのだ。

それにしても、午前2時間、午後2時間が活動不能時間なら、実質的な就業時間は朝2時間、午後2時間が限界ともいう。

個人的には給料半分でも良いから、朝2時間、昼2時間の1日4時間労働で済ませたい気もする。

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2021年5月 7日 (金)

認知症の初期症状?

今日、ある人の話を聞いていて、凄い違和感。

先ず、表情に覇気がない。

それから、、、、文章中の単語の読みに滑舌が悪く、同じ単語の発音ミス?読み間違い?

更に、、、、そんなに難しくない単語の読みに違和感、、、、過去に何度か同じ文言を聞いた事があるけど、それとは違う読み、、、、厳密には二通りの読み方があっても、慣例的に統一されている状況なら、普通は読み方を主流的に読む筈だが、、、、

後は、文節間の間合いの長さ、、、これに違和感。

この人、こんな感じだったっけ?

その昔、自分の祖母が高齢者専用賃貸住宅に入居していた時に、見舞いに出掛けて居て周りの人を含めて高齢の方と話をしていた時に感じた違和感、或いは、身近な人で、やはりそういう症状が出始めた方と話して感じた違和感に通ずる感覚、、、

或る程度の時間、話を聞いていると微妙に違和感を感じる事がある。そして、その違和感ってのは大抵外れない。

勿論、表題のような症状の前駆症状もそうだけど、対人で人に勉強を教えている時も、相手の理解度っていうのは話ながら表情や応答で、どのレベルか?ってのも大方判るもの。

それ故に、今日感じた違和感は、多分、外してないと思う。

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2021年4月22日 (木)

何歳まで生きたい?

還暦が見えることになって思うのは、果たして、何歳迄生きたいか?という事。

昔は百歳を願う的に考えていたけど、今は、、、、正直言えば、60歳位で十分のような印象である。

親を見ても、何処が痛い、ココが悪い、、、そういって、周りに何かをして貰いたい的な空気を醸し出しているように思う。自分はそこまでして面倒を見て欲しくないし、そういう状態になって迄、生きたいとも思わない。

もっと言えば、やりたいことが出来なくなって、煙たがられながら生き続けるなんて御免である。

好きなことが出来る内は生きたいけど、そうでないなら終了でも構わない気がする。

腰が曲がって体力が無くなる、、、、そうなって力も出なくなる。平衡感覚も無くなる。反射神経も衰える、、、、生きて何するか?というと、健康管理で散歩?或いは、病院を会話の空間と捉えリハビリに毎日通って、、、というのも違う気がする。

衰えた身体はリハビリ如きで戻らない。延命しても機能維持が精一杯、、、、そうまでして無理矢理生き続けたいとも、正直思わない。

元気が無くなったり、或いは、怪我や病で不自由になったら、それで終わりで良いような気もする。

やりたいことはやったし、思い残すこともないので、そういう時が来たら、それはそれで受け入れて過ごす、、、これがベストのように思う。

自身、何処まで生きたいか?というと、まぁ、長くても70歳迄で十分のような気がする。もっと言えば、60代でOKである。50代というとさすがに寂しいけど、還暦過ぎたら、もう良いような気もする今日この頃である。

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2021年4月19日 (月)

高齢者問題

これが色んな分野に影響を及ぼしている。介護疲れが原因の家族間による嘱託殺人、高齢者の運転免許問題、交通事故問題、年金財源不足の問題、、、、、
色々考えると、高コストを掛けて社会で高齢者の生活を負担しているというのが問題の根源のようにも思える。

今の時代、35歳になると健康診断受診を進める。早期発見早期治療で早く直す!というのが基本。こういう体制と医療技術の進歩、民衆の意識の変化によって日本人の平均寿命は飛躍的に延びている。今や男性で80歳、女性で85歳近辺である。しかし、70年代、80年代といえば70歳前後、更に遡れば50代、60代である。
この平均寿命が伸びた理由というのは、医療技術の進歩、介護の普及の賜物といってよい。

しかし、寿命が延びる事によって、リタイヤした世代を支えるための年金支出は増加の一途を辿っている。社会の人口構成の中で高齢者比率が増加する程に、それを支える世代の負担は増加する。社会自体を維持するためのコストの増加は歯止めが利かない状態である。

平均寿命が延びたといっても健康な状態で生き続けている人というのは多いようで少ないのも事実。高齢者世代になると多くが病院に通っている。病院といえば老人の社交場であたり、リハビリ病院は通う人で満員御礼状態、介護型老人ホームは完全に不足、、、、そんな状態である。

こういう現状に対して、IMFは2030年には消費税を15%に、2040年には20%に増税すべきとの提言を発表、、、、

結局、社会が現在のままに進むと、それを維持するコストが増大するということである。増大するコストの原因は社会を構成する人工の高齢化、高齢人口の増大、生産年齢人口の減少が原因である。社会において生産性を生まない人口を支えるために、その財源の確保が不可欠ということである。

結局、医療費増大、高齢化社会を支えるためのインフラ改良が不可欠で、そのための財源を消費税で賄えという話である。

こういう現状を見て思うのは、健康診断なんて任意受診にして、早期発見早期治療を一般化させる必要は無いのでは?とも思う事も少なく無い。

何も気付かず生きて、不具合を感じた時には手遅れ、過度な治療、介護は無しで、昔の寿命に従って人生の幕を閉じる、、、これがベストかもしれない。
医療コスト、介護コストは無くなる。生産平均年齢も下がる。年金支出も抑えられる。言う事無しである。

不具合を感じるまで普通に生きて、気付いたら終了、、、、自分的にはこっちの方が良いように思う。

失われた健康、不健康状態の進行を強引に食い止め、薬漬けで延命する。最終的には生きているだけでも幸せという論理で介護しつくすのが正しいという道徳が果たして正義か?自然の摂理に当て嵌まっているのか?というと、これが必ずしも当て嵌まっていないから社会に歪みが発生して現役世代が多くの負担を背負い幸福感を味わえなくなっているのでは無いだろうか?

個人的には50歳で役職定年、55歳で定年退職、年金支給は60歳から、、、55歳から60歳は支払われる退職金を使って暮らせ、、、、健康診断を義務化、強制化するのではなく個人の自由意志に任せる。そして、過剰な介護等は行わない。命の火が消えるのを自然に任せるというのが正しいのでは無いだろうか?

そうすれば、過剰な医療体制が進んだ90年代以降とは異なり、80年代以前の平均寿命に戻るのでは無いだろうか?つまり、80歳を大きく超える平均寿命ではなく、70歳に届かない平均寿命に留まるだろう。そうすれば、支給すべき年金の期間も60歳からの10年となるし、高齢者の交通事故問題、介護問題等々の問題は無くなる。そうすれば、社会の支えるべきコストも抑える事が出来る。生産力を確保するために若年世代の社会参加が一段と高まる筈である。

新しい人が入れ代わる事で、技術革新も進むだろうし、思想の固着化という弊害も解消出来るはずだ。

正直、還暦すぎたら社会参加というよりもリタイヤ、、、そして、過剰介護、過剰医療を止めて、社会の代謝を高める方が良いように思う。

自身、自分の親に対しても思うし、自身も自分の子供に対しても思う。子供が成人するころには還暦になっている。その後、10年以内に人生の幕を閉じる、、、これも悪くないように思う。

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2021年4月11日 (日)

幸せな寿命

これは何歳?と考えると、、、以前も記事にしたけど、今時の健康診断を35歳から生活習慣病健診を詳しく受けるというのではなく、健診受診は程々に、病気が出たら、それなりに付き合い、強引な治療等を施すのではなく、流れに乗って幕を閉じるというのがベストのような気がする。
まぁ、寿命的には高度経済成長期的な1970年代頃、つまり70歳弱で寿命を迎えるというのがベストのような気がする。

検査をしなければ重大疾病も進行して痛みを感じて気付くパターン。気付くまではストレスなく生活出来ている。気付いたら手遅れ的かもしれないけど、それから数ヶ月で幕を閉じるというのは無駄が無い。寿命の中で残りの数ヶ月以外は気持ちよく過ごせる訳だ。

早期発見早期治療でストレスを少しずつ貯めながら85歳迄延命させられるとしても、生かされた15年の延長期間というのは、楽しめるか?というとそうでも無さそう。

医療に掛かるコストを考えたり、高齢者の生活環境等を整えるコスト等を考えると、強引な延命で高齢化社会をデフォルト化させるのは幸せとは違うように思う。

理想は55歳定年、70歳弱天寿で終了、、、これが人間としてベストな気もする。社会に掛ける負担、子や孫に掛ける負担も最小限で済む。これが85歳、90歳、100歳となると、周りに掛ける負担が一気に増大する。それは違うような気がする。

ぶっちゃけ、遺産相続的な問題も70歳程度で負担を与えないレベルなら相続もアリだろうけど、それ以上生きての遺産なんてものは、それを金銭として考えるのではなく、高齢者が、遺産となる財産を自分の余生維持に使って使い切るのが正しい在り方のようにも思う。
そういう問題も色んな形が社会の悩みの種になっている。

やはり、幸せな寿命というのは、長くても70歳、これで良いような気がする。そうすれば、高齢者運転のリスク問題も生じないし、一番良い。

昔の姥捨て山の話というのは、社会の健全性、つまり過剰負担の発生によって社会が衰えるのを防ぐための知恵とも言えそう。正直、70歳以上が居なくなれば、社会の活力、健全性は大幅に向上するように思える。そういう期限を付ければ、それに迫る世代というのは人生を楽しく過ごすようになるのでは?とも思う。

重い病に苦しむ人も、高度医療で過度な延命というのは果たして正解か?とも思う。余命の中で元気に活動出来る時間を精一杯生きて、静かに幕を閉じる、、、、これも、或る意味正解か?とも思う。

チョイ前は、健康管理に細心の注意を払い元気さを永遠に保ち生き続ける事を考えていたけど、老いというのは不可避である。どんなに注意しても最終的には衰えるモノ。そうであるならば、元気であるなるば良いけど、そうでないのであれば強引な延命によって生かし続ける社会というのは考え物のように、最近は特に思う事が多い。

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2021年4月 3日 (土)

長寿高齢化は正しいか?

医療技術、介護体制の充実によって社会の長寿高齢化が進んでいる。
これによって平均寿命は飛躍的に延びているけど、この年齢が伸びているのは、診断による早期発見、早期治療だったり、高度医療の発達に寄るところが大きい。

しかし、このような長寿高齢化というのは果たして正解か?というと、自身は必ずしもそう思わない。
等身大で考えると、早期発見早期治療で健康に留意して健康診断を受診する、、、これは正しいか?というと、最近は一寸違うような気もする。

健康診断は程々に、見付かった時は手遅れで終了、、、、極論すれば、それでも良いような気がする。昔なら55歳で定年、そして70歳前くらいで御臨終、、、、これが、神経質な医療体制の行き届く前の社会での常識である。人間の人生を考えると、20歳迄が社会貢献させるための投資時期、そして20~55歳くらいが社会貢献によって社会に生産力を与える時期、そして、それ以上は生命を維持させるコストが掛かり社会にとっては維持負担が掛かる時期、、、そう考えてもおかしくないのではないだろうか?

現代においては大規模自然災害、或いは、認知症云々と交通問題、貧富の差、世代間の差の確執による不幸な親族間の事件、、、、これらが少なく無いけど、この原因を冷静に見つめれば、社会を構成する世代の幅の広さ、特に高齢者世代の高齢度合だったりする。自然災害の被害者といえば、逃げ遅れだったり、そういう施設の被害が少なく無い。交通事故で自動運転云々というのは運転能力が無いのに運転させるために生じる不幸とも言える。世代間の確執問題といえば、価値観の違いによる祖父母世代と孫世代の意見の違いだったり、或いは、過度な高齢化による介護疲れ問題等が思い浮かぶけど、これは、医療技術、介護体制の過保護によって生まれたモノと言ってもおかしくないように思う。

最近、ふと思う。健康に気を付けるのは程々に、終わったら終わったで良いか?と思ったりする。また、自身が仮に長生きしたとしても、子供に面倒を見て貰うつもりも無いし、ヤバイ時期には財産全部処分して介護施設に入所して終了で良いかな?なんて事だったりする。

まぁ、何にしろ無理矢理、強引にあらゆる手を施して長生き、、、、それはしたくない。
長生きしたいけど、医療技術にどっぷり浸かってというのは違うなぁ、、、

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親の介護について

両親が健在、しかし高齢、、、そういう人は少なく無いと思う。
この場合、子供は如何に接するか?
これ、非常に難しい。

両親が健在の場合は、両親だけで住まわせるのが基本だけど、一方が亡くなるとどうすべきか?

その場面に直面していない時点では想像の域を出ないが、自分ならどうするだろうか?

個人的には自立の意志があって一人暮らしを望むなら、そうさせるだろうけど、介護が必要なレベルとなるとどうするだろうか?

恐らくだけど、基本は施設に預けるというのが基本になろうかと思う。

そのために必要な経費は、両親の財産から賄うというのが基本。そして、最終的には個人的には相続権は放棄したい。

勿論、その考えは自身が高齢となって残りが僅かになった時も同じ。最終的には全てを処分して、それで施設入所して終わり、、、、それが理想かと思ったりする。

まぁ、何にしろ、難しい問題である。

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