2018年12月 6日 (木)

煽り運転のニュース

カズホの裁判で、一段と盛り上がっているのが煽り運転関連のニュース。
煽り動画が結構ニュースを賑わせている。夏にはバイクを煽るシルバーのルノーの動画、秋にはランクルが軽四を煽る動画、冬になるとワゴンRが大学生の運転する車を煽る動画、、、、色々と出てくる。

そんな煽り運転だけど、煽り運転には二種類ある。
一種類は四輪と四輪、もう一種類は四輪と二輪である。

この二つのパターン、チョット煽りの発端というか、原因が違うような気がする。

四輪と四輪は、煽りは悪いけど、煽りを誘発する行動、例えば、割り込みとか、携帯操作ノロノロ運転、追い越し車線ノロノロ運転、指示器無し停車、、、、そんな運転が原因
で火を付けるパターンが多いだろう。実際、集中力を欠いた運転するドライバーや、行動があまりにも緩慢なドライバー、そんなのは少なく無い。初心者、高齢者ドライバーにそういうパターンが多いけど、その運転のリズムの逸脱の度合が激しいと、イラッとするのは仕方ないとも言える。そのイライラの度合が限度を超えて煽りを喰らう、、、仕方ないとも言える。

一方で、四輪と二輪では状況が違う。二輪を運転しない四輪運転者が持つ敵意が原因。車道を走る自転車を見ると、其処にいるだけで邪魔と感じて幅寄せ、車線を普通に走っている単車が居ても存在を無視した割り込み、、、、こういうパターンだ。

幸い、四輪運転中に煽り運転を受けた経験は無いが、二輪運転中は無くはない。単車の場合は、無視してきた割り込みを行うドライバーには、どうにでも対応出来る。悪意が無い場合は注意を促す。悪意を感じると面倒臭いから機動性を活かして消えれば済む事。
ただ、自転車の場合は、相手に悪意があると機動性も無いので、どうにもならなかったけど、最近はドラレコがあるので安心。証拠を採りつつ、警察通報、そして引き渡しが出来る。

煽り運転で一番困るのは、理不尽な絡み。これは自転車を運転中に一番感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 5日 (水)

ハロウィンの横転トラック

トラックを横転させた人、十数名の身元を特定したという。これ、立件するそうだ。

逮捕者は四名、書類送検は11名、計15名を処分。

逮捕者は
東京都世田谷区深沢6  会社員 糀原翔大(20)
川崎市高津区新作6    とび職、黒木裕太(27)
山梨県富士吉田市松山  土建業 川村崇彰(22)
東京都目黒区八雲4    美容師 国分陸央(20)
との事。名前も顔も全国放送で、、、、アホだな。

こいつらとは別だけど、煽り運転して全国ニュースになるカズホ容疑者も、、、知名度抜群。

後々の生活が大変そうだな。

ただ、あの映像で、あの場所、あの時間帯に軽トラックというのも違和感があるし、あの軽トラックも荷台サイドにグリーンのホタルイルミネーションが飾り付けられていたのも違和感がある。横転前の映像ではトラックの荷台をステージとして提供していたような印象さえある。

横転させるのはアウトだけど、なんか釈然としないというか、スッキリしない印象が強い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月26日 (金)

スピードスケートのスピード

 今迄意識した事無いけど、スピードスケートの短距離種目のタイムを見て、ふと思った。
 これって、ピストバイクで記録するタイムと似ているな!って、、、、、

 500mで35秒、1000mで70秒弱、、、これって、バンクを走るピストと似た速度である。純粋な平均速度で言えば50km/hオーバーである。自転車という道具を使わずに、幾ら氷上の低摩擦とは言え、そんな速度で走る訳だ。そして、エッジを介して動力を伝えて走る。

 考えてみれば、凄い話だ。ゼロスタートからのタイムだから到達最高速度としては、更に高い速度なんだろう。アルペンの滑降で100km/hオーバーとかボブスレーの速度も凄いけど、重力による速度というのと、脚の力による速度という面では、チョット見方が変わってくる。純粋に速度を生み出すエネルギーとしては脚力が支配している点が凄い。まぁ、タイムが似ているからといって、自転車競技と重ねてみる事はナンセンスかもしれないけど、速度が似ていれば空力的な抵抗は似たようなモンだろう。そう考えると、動力を速度に換えるという効率で考えると、ピストバイクと氷上のスピードスケートとういうのは似たようなモノなのかもしれない。となると、あの速度を生み出すには、あの下半身が必要と言う事なのかもしれないし、その速度域を生み出すためには、双方の競技のトレーニングというのが共用できるのかな?という気もする。

 そういえば、スピードスケートの選手の下半身と競輪選手の下半身っていうのは、よく似た形である。そして、スピードスケートの代表選手の何名かが行っていた方法と、競輪学校でのメニューのいくつかの方法が同じなのも、それを意味しているのかな?と思ったりする。実際、過去のスピードスケートの代表選手を見ると、冬季がスピードスケート、夏季が自転車競技とエントリーする選手も居られたし、スピードスケートの代表選手のトレーニングに競技用自転車が用いられている事も少なくないし、趣味として接して居られる方も少なくない。

 この二種の競技を並行されている方が多いのは、皆知っている事だが、速度域やタイムを考えると、この二種の競技の動力伝達効率は同じ位なのかな?と言う事を、何となく考えてしまうのである。('10/2/19記)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2009年4月21日 (火)

羨望のGW16連休!

 水曜日のニュースだけど、一部企業ではGWが16連休って所もあるそうだ!!!!

 これを、不況の深刻化と嘆く声が多いようだが、正直、凄く羨ましい。やる事がない事無い。一日24時間が足らない現状では、この超長期連休っていうのは、、、、、

 地元では、マツダ関連が年末年始が豪快に休みだったり、週休三日だったりと、最近は羨ましすぎる休日取得を眺めていたのだが、多分、GWも凄いんだろう、、、、。

 悲しいかな、自分の勤務先は、原則、週休二日だけど、実際は週休は1日って状態が長く続いている。そして、年末、年始、GW、盆とあるけど、丸一週間休みって事は超稀、、、、ホントは良い事なんだろうけど、自分は嫌だ。

 希望は、在宅勤務でPCで遠隔作業でOKでは?とも思う程。

 そういえば、入社後十数年が経過するけど、平均残業時間を振り返ると、、、、

・初年度~5年目:コンピュータネットワークシステム運用、システム開発系職場
 この時代は、仕事の納期が自分次第であり、残業する意識は殆ど無い状況。それ故に、平均残業時間は月平均で10時間未満、勿論、休日出勤は行わない。
 その間、単車乗りまくり、ツーリング出掛けまくり、飲み屋徘徊しまくり、、、、、そういう生活。金は無くとも時間が大事って考え方。

・5年目~8年目:国の補助事業実施、研究所立ち上げ、材料開発、システム開発、、、
 この時代は、補助金事業故に期限が止めどもなく訪れて、学会、研究会も続けざまに訪れる時代。書類整理、実験、実務と多忙を極める。平均残業時間は月平均で95時間以上、最長では年末年始での製品のベンチマークシステム、デモンストレーションシステムの開発のための連続徹夜勤務で月の残業時間で200時間を超えた。忙しい時は、忙しいのに併せて行うけど、終われば、何もしないのがコンセプト。月平均残業時間が過剰になったので、労働契約で委託労働契約?っぽい取り決めで、見なし残業時間を95時間として、残業時間に制限を掛けずに1年以上勤務した時代。この残業コストのためか、断り続けてきた管理職に強引にならされる、、、、不幸の始まり。

・8年目~13年目:試作品の試験、製品開発
 補助事業の成果を実用化、検証、試験する時期。補助金業務がなくなった分、負担も減る。試作品製造を他人に行わせるということで、月平均の残業時間で45時間程度。但し、管理職のために残業手当は無し。管理職手当のみ。年収は大幅に減ったけど、それ以上に仕事が減ったのが嬉しい。

・13年目~現在:他企業との共同研究、学会、研究会参加、採用、マネージメント
 定型的な業務は皆無。経営者直轄で抽象的なリクエストを具現化させるのが殆ど。いわば、思い付きだけで処理可能。過去に前例が無い程、楽。楽は最高。他企業との共同研究、学会の参加で息抜きしながら、御老公生活。残業時間というか、提示勤務外の出社時間で45時間程度だが、実質、脳を働かせる時間は極小。
 頭の中は、単車、自転車が走り回ったり、デジカメ、PC、家電がやってきて、関心は健康、ダイエット、、、、、そういう、私的願望が脳内活動の99%を締める状況。

 今は、思い付き=給料であり、人が思い付かないアイデアに自分なら、幾ら!って思いで付き合っている。言ってみれば、人が出来ない、思い付かないアイデアが出れば、それだけでOKと思う。そのアイデアでコスト改善で金額が算出されたら、その貢献金額から逆算すれば、遊んでもOK?とさえ思う。

 理想は、誰も思い付かない、出来ないアイデアと一度提供したら、その効果を食い尽くす迄、遊んで暮らしたいっていうのが願望。GW16連休などと言わず、GMとかGYが欲しい。GMっていうのは、Golden Month、GYっていうのはGolden Yearみたいなもの。何ヶ月も、何年も、、、、休めるなら休みたい。それに相応するアイデアを生みだし、それが評価される世界が好み。アイデアの対価が納得出来る世界とは、本来なら自営業なのだろう。

 自営業には、自分で思い付いたアイテムが必要、そのアイテムが市場性を持ち、独自性を持ち、優位性を持つのが大事。
 今は、そういうアイテムは数えるしかないけど、それを商売にする自分の同族企業は、これから大事にじっくり育てるつもり。その先の夢は、、、、GW16連休が日常となるような体制だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年12月 5日 (金)

蒟蒻ゼリー反対声明?

 先日、蒟蒻ゼリー復活を喜んだ記事をアップしたけど、月曜日に消費者団体が反対声明だそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081201-00000044-yom-soci

が、ネットニュース。

この人達は、正月に餅、ぜんざい、しるこ、雑煮、、、、食わないのだろうか?餅には、加熱時間、熱湯へ浸す時間なんぞパッケージに書いてあるの見た事無いけど、文句言わないのは、餅を食うにあたって皆が配慮するのを常識としているから。

で、蒟蒻ゼリーってダイエット食を子供に食わせる配慮が無い事が最も責められるべきだが、、、と思ったりする。言うなれば、筋肉マニアが摂取するプロテインは普通の人が食うものでもない。
 これが一般的で無いなら、もっと身近な例で、ピーナッツは幼児に食わせると大事になるが、常識的に5歳以降迄食わせないとされているが、そんな注意書きは見た事無い。ピーナツの破片を肺に入れて大変な事態になる子供もいるけど、それに対してニュースには為らない。

 そんな中、餅やピーナッツのように危険でありながら表示されていない商品に較べると、蒟蒻ゼリーは非常に不憫な気がするのは自分だけだろうか?

 消費者庁創設って話もあるようだし、消費者団体も結構色んなメッセージを発信しているようだ。消費者保護のため!って言えば、聞こえが良いと言えば良いけど、、、、なんだかなぁ?って思うのが正直な意見。

 似たような話ではPL(製造物責任)法っていうのもそう。その一環かもしれないが、最近の機械類には、色んなシールが貼ってある。眩しいとか、巻き込まれ注意とか、、、、直感的には、大きなお世話って感じ。

 他にも労働災害関連もそうだ。労災が起こる。原因を探す。手順化する。指導、教育する。、、、、これって必要?有効?って感じ。

 確かに怪我は良くない。事故も不幸な現象だ。でも、それって、商品や場所を提供する側の責任か?というのは常に思う。それを言うと、刃物は売れない。下手すると、工具も売れない、、、、、蒟蒻ゼリーも以ての外、餅もNG、ピーナッツも駄目、、、、、、チョコも駄目、、、、、、、ぜ~んぶ駄目。って感じに為りかねない。

 大体、何が危険か?何が大丈夫か?どうしたら危ないか?っていうのは、成長と共に学び身に付けるもの。その危険は育児の段階で親が伝えるモノの筈。

 もっと言えば、同時公開の記事にもあるけど、そういう予知が出来ず不幸な事態に陥る事自体が、種族淘汰の宿命と捉えることは冷酷だろうか?そんな気さえするのである。

 消費者保護は大切だが、保護の意味合いが違う。保護とは、消費者が自分で判断するための情報を偽り無く提供できる指導を請け負う程度で十分な筈。危険かどうかは、消費者が判断すべき。判断能力をもぎ取るような体制が、判断が出来ない人間の増殖に加担するようなものだ。他の記事でも再々書いているけど、自己判断出来ない奴は、俺的には存在価値無しとまで思う。危ないと書いてないからやったっていうのは、どう考えても変である。燃えさかる火を前にして、ここ安全だからどうぞ!って言われて火の中を歩く奴なんか居ない筈。本来なら見りゃぁ判る話。消費者保護を唱う制度や団体は、消費者が判断する際の情報を正確に表示しているかを監視するだけで他には何も必要ないのでは無いだろうか?
 自分の身を守る、、、これは、子孫を繋ぐ意味で親が子に伝えるのが生物の掟だ。そこを社会とか組織で行う事自体ナンセンスであるっていうのが持論だ。もっと言えば、自分で判断出来ないような個体は消えて無くなっても仕方ないとさえ思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月19日 (木)

おいしいダイエット商法

 今朝の地方新聞での話。

 ダイエット、美肌をターゲットとした未承認薬販売で荒稼ぎをしていた会社(美容機器・化粧品販売会社「Dr.エイジレス倶楽部」)の経営者が逮捕されていたという話し。

 罪状は、未承認薬販売という薬事法違反の罪だそうだ。対象商品?は、新陳代謝の促進をうたった「ヒトプラセンタ」で国の製造販売承認を受けていない無承認薬、新聞記事によると、針のない注射器を腹にあてて薬液を注入して使用する。しかし、その効果はなく、あざや内出血が残った購入者もいたとのこと。更に医薬品販売に必要な東京都の許可を得ておらず、昨年11月、同容疑で県警の捜索を受けており、現在は稼働実態がない。

 この業界では、情報の発信がネットのホームページ等が多く、営業実態がどうか?っていうのが見えにくい上に、似たような販売店が異様の沢山ある訳だが、この内、如何ほどがマトモなのだろうか?ダイエット、フィットネス商法っていうと、ブーム的な盛り上がりが多く、学会等で一つ目新しいネタや器具が紹介されると、同じモノ、類似品を扱う販売店が異常繁殖状態で増殖し、数ヶ月の内に価格が1/5程度迄落ち込んで消えて無くなるというパターンが多く、繁殖増殖した販売店も同様に増えては減ってを繰り返しているようである。

 まるで、一つの餌に食らいつくウイルスの如くである。そのように急激に増殖する販売店には、マトモな所から、一度限りの儲け狙いって所迄様々だけど、ネット上のホームページの立派さだけからは、それが企業実態を反映しているとは言い難い。

 特に、ダイエット、美肌、フィットネス関連の顧客っていうと、若い女性、高齢者、メタボを少し気にする中年男ってパターンが多く、彼らが、氾濫する情報の中で本当にマトモな商品を扱う、マトモな経営実態を持つショップから買い物が出来ているか?っていうと、被害者が居るという実態から見ると、かなり厳しい現状が浮かび上がってくる。

 一般に、一目見て怪しい商売があるけど、そういう怪しい商売が堂々とネット上で宣伝されていたり、車関係雑誌、女性週刊誌の広告欄にも掲載されている。誰がどう見ても胡散臭いと思うのだが、少なくとも、公衆の面前に出すことを規制すれば、胡散臭さが感じ取れない被害者も減らす事が出来そう。
 宣伝を打つって事は、公に情報を発信する訳で、発信情報に虚偽記載、誇大広告があれば厳しい刑罰を与えるとか、掲載するメディア、出版側にも罰則を与える等の浄化策を打つべきのように思う。
 このダイエット・美肌業界の隆盛と、携帯出会い系サイト、一攫千金系グッズ販売っていうのは、どれも似たような感じを受けるのだが、規制されることなく伝統的?に存在しているのは間違っているように思うところだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月29日 (土)

ニュース報道の演出

 最近のニュースは演出が過剰ではないだろうか?

 年金問題、円高、株安、ガソリン価格高騰、物価高騰、食の安全、メタボ診断、、、、、様々なニュースがある。殆どが暗いニュースであるが、そのニュースを伝える際の消費者の声を織り交ぜたニュース映像を見て思う事、、、、

 それは、ガソリン代の高騰に対するドライバーの意義であったり、メタボ診断でサラリーマンがビールの飲む風景を映し、それが適わなくなるかもしれない悲哀の声だったり、様々なニュースを演出する声が織り交ぜられてニュースが成り立っているのだが、いつも思うのは、例えば、ガソリン代がそんなに高いか?と考えると、自分的には、実は気にならなかったりする。勤務後に酒を飲むって頻度を考えても、毎日飲んでいる訳ではない。

 全てのニュースの演出がそうだとは思わないが、自分にとって身近なニュースに限り見渡すと、やっぱり演出が強すぎるのでは?と思ってしまう訳であり、そうなると、身近でない世界のニュースも実態がイメージしにくいから普通に見ているだけで、実は、相当に過剰な演出が為されているのかなぁ?と考えてしまう。

 勿論、ニュース報道の構成が、どんな視聴者をターゲットにしているかによって、見る側の状態によって、それが過剰に感じたり、同意に感じたり、物足りなく感じたりするのだろう。しかし、街の声のサンプリングなんかは、その感想を述べる人が、どういう人か?が全く判らないのだが、その声の内、ニュースを伝える側の意志に沿った意見だけが露出しているようで、そういう意味で、最近のニュースは過剰な演出の裏で、公平性が欠けているのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月17日 (日)

ニュース?

 テレビ朝日の報道ステーション、古館さんは結構謝罪しているみたい。今回は、『アダルトチルドレン?』って文言の誤った使用で、、、、

 でも、その前に結構色々とテレ朝は謝罪をくりかえしている。

 その前に、この報道ステーションって番組だが、これはニュースなのか?という原点に立ち返って考えると、、、、、、

 この番組は、世の中の出来事を伝えるという報道番組的ではあるけれど、すくなくとも、客観的に事実を伝えるというスタイルのニュースではないような気がする。
 この番組は、時間帯こそ平日の午後10時頃という全番組のニュースステーションから引き続き放送されているけど、この番組は、夜中のワイドショーに過ぎないのでは無いだろうか?

 報道されている事、され方、表現をみると、普通に昼下がりに放送されている各局のワイドショーそのもののように見える。

 ワイドショーならキャスター、司会者の主観等々は全然OKであり、雑紙で言えば、純粋な新聞とは違い、怪しい週刊誌に近い状態ではないだろうか?

 そう考えると、まぁ、堅苦しく考えず、こういうのもアリか?という気持ちで見れば全然OKである。

 ところで、最近の報道系ワイドショーは相当に司会者の主観や演出が過剰に入っているが、物事に対する批判が多すぎである。何事にかんしても否定はOKだが、批判はNGだ。これは、日常生活でもそうだが、否定的な意見の先には改善が見える。しかし、批判は批判で終わってしまう事が多い。報道系ワイドショーは、今見渡すと、殆どが批判型ワイドショーである。

 最近は、CS放送、地上波デジタル放送・・・・と放送形態が多様化してチャンネル数も増大しまくっているが、その割に、コンテンツは今迄通りで、殆どが再放送とか、同じ番組のタイムシフト放送が多いけど、どうせなら、報道番組も色んなパターンで放送したら面白いように思う。

 例えば、

1.完全なニュース・・・・・出来事を客観的事実のみ伝える。
2.批判型ワイドショー・・出来事を批判する論評を加えて演出する。
3.肯定型ワイドショー・・出来事を全て良い解釈で演出して伝える。

 こうすれば、チャンネルによっては、視聴者の意識は随分変わるかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 7日 (木)

自己防衛本能喪失

 火曜日の朝は、勤め先で安全についての講演会があった。なんでも、今期に入って労働災害が多発しているためで、この労災対策に有効な方法は?ってノリで絶対的に本質的に事故が起こりえない物理的対策を施すことのススメが説かれたりしていた。

 一方で、最近は?っていうと、毒物が混入されてしまった中国産餃子の問題、もっとジェネラルに言うと、あらゆる製造物における製造者責任、PLの考え方に基づく、リスク要素の告示に非常に神経質になっている。

 普通に、そんな実態を眺めると、確かに大事な事だなぁ!って思うのだが、自分的には、ここまで言う必要があるのか?そこまで配慮すべきか?って気持ちがあるのは否めない。

 大体、何が危険で、どんな事態に陥るか?っていうのは、普通に生きていれば、普通に見えるのが人間で、そういう危険を察知する能力っていうのは、成長過程において身に付けるべきものであり、そこに告示されていないから、告示義務怠慢が負傷の原因というのは如何なものか?と思うのが正直なところ。

 一口食べて変なら食べずに吐き出すってのが自然である。見るからに危ない場所には近づかない。危ない場所に潜む危険要素は自分に見つけ、それに応じた対策を自分で講じるってのが、自然な行動であり、それは本能的に身を守る習性ではないか?
 こういう習性的行為を取れないのだとすれば、最も重要なのは、状況に潜む危険要素を一から十まで対策するのではなく、その危険要素を察知して自己防衛する能力を教育する、或いは養わせる事が最も重要だと思うところだ。

 最近のニュース、周囲の状況を見ると、そこまで言う必要があるの?って気が極めて多い。何故に、そうなったか?というと、平和ボケ、安全ボケで、自分で負った怪我や損害を全て周囲の責任に転嫁する価値観が広まったためとも思える。

 こういう状況となった人達や、この事態を当然と思い、義務的に教育する事だけに熱心な管理者っていうのは、なんだか、微妙な存在だ。
 こういう人っていうのは多いけど、こういう人っていうのは、自発的にデザイン、創作して行動を起こすタイプの人とは違い、上役から言われた事を義務的にこなす人が、こういう問題の管理者に当て嵌められているようにも見える。言われた事を、繰り返し、淡々と行う事が得意な人が管理者になり、言われた事さえもが、なかなか出来ない人っていうのが、その教育対象になっているようにも見える。

 そういえば、よくルーティーンの業務という言葉があるけど、全ての仕事に単純な繰り返し作業っていうのは、実は存在しないのである。にも関わらず、ルーティーンという言葉を使いたがるバカってのは、実は、現状における行動に改善しようとする目、好奇心を失っているという証明でもある。極論すれば、繰り返し作業を進歩の無い作業と思いながらも、それを繰り返す事で働いていると思っている奴がいるとすれば、それは存在価値ゼロであり、そういう機械的な作業自体は機械にやらせば良いのであり、それに違和感を持たない奴=ルーティーンに染まった奴=新しい価値が創造出来ない奴=価値無しなのである。繰り返し作業に見えても、そこに何かを感じ、新しいモノが見付けれる奴ってのは、恐らく、日常のチョットした隙に潜む危険も察知できるし、ミスも予防できる。そういうのが本能である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年1月 8日 (火)

小皇帝が支える中国社会

 1/6のNHKスペシャルで中国の一人っ子政策と熱心な親による教育の実態の特集をやっていた。
 中国と言えば、今年が北京オリンピック、そして、急激な経済発展で世界景気を牽引している一方で、その経済活動の急激な活発化による環境負荷の増大等々と様々な分野で世界の注目を浴びているが、その中国国内での教育の実態っていうのは、他のニュースに埋没して自分自身、忘れていたけれど、結構大きな中国国内問題となりつつようである。

 今の中国の状況がどうか?は正確には把握していないけど、なんか日本の40年前頃をイメージさせるものがある。44年前の東京オリンピック、その後の戦後経済成長、公害問題、受験戦争・・・・日本の場合は、その後、バブル崩壊、教育崩壊と様々な問題を露呈したけど、中国はどうなるか?

 今の中国の勢いは凄いようだけど、この中国という国家の将来を占うに、埋没していた一人っ子政策による小皇帝と呼ばれる子供達がどういう価値観を持って社会を担っていくか?が結構重要な気がする。
 確かに、教育の競争で優秀な子供を育てるっていうのは、或る意味で間違いではないけれど、その先はどうなるか?と考えると、悪い前例として日本の教育の実態がオーバーラップするのは考えすぎだろうか?
 今の中国の教育熱と、日本のゆとり教育以前の受験戦争時の教育熱というのは、凄くオーバーラップして見える。価値観は、他人よりも点数的に優位に立ち、点数を少しでも高く取るというのが全てに超越する正義のような価値観である。
 確かに、前例のある仕事をこなす上では、それで成立するかもしれないが、国際的に人件費の安さによる競争力を失った後には、前例のある(誰でも出来る)仕事だけでは、競争力を維持し続けるのは困難なように見える。

 日本の工業は戦後飛躍的に発展したが、今の日本の工業製品の実態を見ると、オリジナリティーの溢れる製品は殆ど皆無であり、日本の工業の殆どは、価格競争力だけで成立しているように見える。日本製品には世界に誇れる発明と独創性というのが欠けているのは、今の日本産業界を支えるエンジニアの育った時代における教育が、詰め込み偏重の教育で合った事と無関係とは思えない。
 そう考えると、今の中国の教育熱=模倣技術の向上、品質向上といった熟成型の技術力育成には効果的かもしれないが、新たな価値を創造するという力は育まれないように見える。

 教育というのは、国を作る上で最重要課題の一つだが、日本も中国も、教育=知識詰め込み=点数主義って言う点が極めて似ている気がする。結果、早足の社会の進歩は得られても、その進歩は、模倣が基本であり、世界を技術的にリードするという立場には為れないのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (2)