2010年2月26日 (金)

スピードスケートのスピード

 今迄意識した事無いけど、スピードスケートの短距離種目のタイムを見て、ふと思った。
 これって、ピストバイクで記録するタイムと似ているな!って、、、、、

 500mで35秒、1000mで70秒弱、、、これって、バンクを走るピストと似た速度である。純粋な平均速度で言えば50km/hオーバーである。自転車という道具を使わずに、幾ら氷上の低摩擦とは言え、そんな速度で走る訳だ。そして、エッジを介して動力を伝えて走る。

 考えてみれば、凄い話だ。ゼロスタートからのタイムだから到達最高速度としては、更に高い速度なんだろう。アルペンの滑降で100km/hオーバーとかボブスレーの速度も凄いけど、重力による速度というのと、脚の力による速度という面では、チョット見方が変わってくる。純粋に速度を生み出すエネルギーとしては脚力が支配している点が凄い。まぁ、タイムが似ているからといって、自転車競技と重ねてみる事はナンセンスかもしれないけど、速度が似ていれば空力的な抵抗は似たようなモンだろう。そう考えると、動力を速度に換えるという効率で考えると、ピストバイクと氷上のスピードスケートとういうのは似たようなモノなのかもしれない。となると、あの速度を生み出すには、あの下半身が必要と言う事なのかもしれないし、その速度域を生み出すためには、双方の競技のトレーニングというのが共用できるのかな?という気もする。

 そういえば、スピードスケートの選手の下半身と競輪選手の下半身っていうのは、よく似た形である。そして、スピードスケートの代表選手の何名かが行っていた方法と、競輪学校でのメニューのいくつかの方法が同じなのも、それを意味しているのかな?と思ったりする。実際、過去のスピードスケートの代表選手を見ると、冬季がスピードスケート、夏季が自転車競技とエントリーする選手も居られたし、スピードスケートの代表選手のトレーニングに競技用自転車が用いられている事も少なくないし、趣味として接して居られる方も少なくない。

 この二種の競技を並行されている方が多いのは、皆知っている事だが、速度域やタイムを考えると、この二種の競技の動力伝達効率は同じ位なのかな?と言う事を、何となく考えてしまうのである。('10/2/19記)

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2009年4月21日 (火)

羨望のGW16連休!

 水曜日のニュースだけど、一部企業ではGWが16連休って所もあるそうだ!!!!

 これを、不況の深刻化と嘆く声が多いようだが、正直、凄く羨ましい。やる事がない事無い。一日24時間が足らない現状では、この超長期連休っていうのは、、、、、

 地元では、マツダ関連が年末年始が豪快に休みだったり、週休三日だったりと、最近は羨ましすぎる休日取得を眺めていたのだが、多分、GWも凄いんだろう、、、、。

 悲しいかな、自分の勤務先は、原則、週休二日だけど、実際は週休は1日って状態が長く続いている。そして、年末、年始、GW、盆とあるけど、丸一週間休みって事は超稀、、、、ホントは良い事なんだろうけど、自分は嫌だ。

 希望は、在宅勤務でPCで遠隔作業でOKでは?とも思う程。

 そういえば、入社後十数年が経過するけど、平均残業時間を振り返ると、、、、

・初年度~5年目:コンピュータネットワークシステム運用、システム開発系職場
 この時代は、仕事の納期が自分次第であり、残業する意識は殆ど無い状況。それ故に、平均残業時間は月平均で10時間未満、勿論、休日出勤は行わない。
 その間、単車乗りまくり、ツーリング出掛けまくり、飲み屋徘徊しまくり、、、、、そういう生活。金は無くとも時間が大事って考え方。

・5年目~8年目:国の補助事業実施、研究所立ち上げ、材料開発、システム開発、、、
 この時代は、補助金事業故に期限が止めどもなく訪れて、学会、研究会も続けざまに訪れる時代。書類整理、実験、実務と多忙を極める。平均残業時間は月平均で95時間以上、最長では年末年始での製品のベンチマークシステム、デモンストレーションシステムの開発のための連続徹夜勤務で月の残業時間で200時間を超えた。忙しい時は、忙しいのに併せて行うけど、終われば、何もしないのがコンセプト。月平均残業時間が過剰になったので、労働契約で委託労働契約?っぽい取り決めで、見なし残業時間を95時間として、残業時間に制限を掛けずに1年以上勤務した時代。この残業コストのためか、断り続けてきた管理職に強引にならされる、、、、不幸の始まり。

・8年目~13年目:試作品の試験、製品開発
 補助事業の成果を実用化、検証、試験する時期。補助金業務がなくなった分、負担も減る。試作品製造を他人に行わせるということで、月平均の残業時間で45時間程度。但し、管理職のために残業手当は無し。管理職手当のみ。年収は大幅に減ったけど、それ以上に仕事が減ったのが嬉しい。

・13年目~現在:他企業との共同研究、学会、研究会参加、採用、マネージメント
 定型的な業務は皆無。経営者直轄で抽象的なリクエストを具現化させるのが殆ど。いわば、思い付きだけで処理可能。過去に前例が無い程、楽。楽は最高。他企業との共同研究、学会の参加で息抜きしながら、御老公生活。残業時間というか、提示勤務外の出社時間で45時間程度だが、実質、脳を働かせる時間は極小。
 頭の中は、単車、自転車が走り回ったり、デジカメ、PC、家電がやってきて、関心は健康、ダイエット、、、、、そういう、私的願望が脳内活動の99%を締める状況。

 今は、思い付き=給料であり、人が思い付かないアイデアに自分なら、幾ら!って思いで付き合っている。言ってみれば、人が出来ない、思い付かないアイデアが出れば、それだけでOKと思う。そのアイデアでコスト改善で金額が算出されたら、その貢献金額から逆算すれば、遊んでもOK?とさえ思う。

 理想は、誰も思い付かない、出来ないアイデアと一度提供したら、その効果を食い尽くす迄、遊んで暮らしたいっていうのが願望。GW16連休などと言わず、GMとかGYが欲しい。GMっていうのは、Golden Month、GYっていうのはGolden Yearみたいなもの。何ヶ月も、何年も、、、、休めるなら休みたい。それに相応するアイデアを生みだし、それが評価される世界が好み。アイデアの対価が納得出来る世界とは、本来なら自営業なのだろう。

 自営業には、自分で思い付いたアイテムが必要、そのアイテムが市場性を持ち、独自性を持ち、優位性を持つのが大事。
 今は、そういうアイテムは数えるしかないけど、それを商売にする自分の同族企業は、これから大事にじっくり育てるつもり。その先の夢は、、、、GW16連休が日常となるような体制だ。

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2008年12月 5日 (金)

蒟蒻ゼリー反対声明?

 先日、蒟蒻ゼリー復活を喜んだ記事をアップしたけど、月曜日に消費者団体が反対声明だそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081201-00000044-yom-soci

が、ネットニュース。

この人達は、正月に餅、ぜんざい、しるこ、雑煮、、、、食わないのだろうか?餅には、加熱時間、熱湯へ浸す時間なんぞパッケージに書いてあるの見た事無いけど、文句言わないのは、餅を食うにあたって皆が配慮するのを常識としているから。

で、蒟蒻ゼリーってダイエット食を子供に食わせる配慮が無い事が最も責められるべきだが、、、と思ったりする。言うなれば、筋肉マニアが摂取するプロテインは普通の人が食うものでもない。
 これが一般的で無いなら、もっと身近な例で、ピーナッツは幼児に食わせると大事になるが、常識的に5歳以降迄食わせないとされているが、そんな注意書きは見た事無い。ピーナツの破片を肺に入れて大変な事態になる子供もいるけど、それに対してニュースには為らない。

 そんな中、餅やピーナッツのように危険でありながら表示されていない商品に較べると、蒟蒻ゼリーは非常に不憫な気がするのは自分だけだろうか?

 消費者庁創設って話もあるようだし、消費者団体も結構色んなメッセージを発信しているようだ。消費者保護のため!って言えば、聞こえが良いと言えば良いけど、、、、なんだかなぁ?って思うのが正直な意見。

 似たような話ではPL(製造物責任)法っていうのもそう。その一環かもしれないが、最近の機械類には、色んなシールが貼ってある。眩しいとか、巻き込まれ注意とか、、、、直感的には、大きなお世話って感じ。

 他にも労働災害関連もそうだ。労災が起こる。原因を探す。手順化する。指導、教育する。、、、、これって必要?有効?って感じ。

 確かに怪我は良くない。事故も不幸な現象だ。でも、それって、商品や場所を提供する側の責任か?というのは常に思う。それを言うと、刃物は売れない。下手すると、工具も売れない、、、、、蒟蒻ゼリーも以ての外、餅もNG、ピーナッツも駄目、、、、、、チョコも駄目、、、、、、、ぜ~んぶ駄目。って感じに為りかねない。

 大体、何が危険か?何が大丈夫か?どうしたら危ないか?っていうのは、成長と共に学び身に付けるもの。その危険は育児の段階で親が伝えるモノの筈。

 もっと言えば、同時公開の記事にもあるけど、そういう予知が出来ず不幸な事態に陥る事自体が、種族淘汰の宿命と捉えることは冷酷だろうか?そんな気さえするのである。

 消費者保護は大切だが、保護の意味合いが違う。保護とは、消費者が自分で判断するための情報を偽り無く提供できる指導を請け負う程度で十分な筈。危険かどうかは、消費者が判断すべき。判断能力をもぎ取るような体制が、判断が出来ない人間の増殖に加担するようなものだ。他の記事でも再々書いているけど、自己判断出来ない奴は、俺的には存在価値無しとまで思う。危ないと書いてないからやったっていうのは、どう考えても変である。燃えさかる火を前にして、ここ安全だからどうぞ!って言われて火の中を歩く奴なんか居ない筈。本来なら見りゃぁ判る話。消費者保護を唱う制度や団体は、消費者が判断する際の情報を正確に表示しているかを監視するだけで他には何も必要ないのでは無いだろうか?
 自分の身を守る、、、これは、子孫を繋ぐ意味で親が子に伝えるのが生物の掟だ。そこを社会とか組織で行う事自体ナンセンスであるっていうのが持論だ。もっと言えば、自分で判断出来ないような個体は消えて無くなっても仕方ないとさえ思うのである。

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2008年6月19日 (木)

おいしいダイエット商法

 今朝の地方新聞での話。

 ダイエット、美肌をターゲットとした未承認薬販売で荒稼ぎをしていた会社(美容機器・化粧品販売会社「Dr.エイジレス倶楽部」)の経営者が逮捕されていたという話し。

 罪状は、未承認薬販売という薬事法違反の罪だそうだ。対象商品?は、新陳代謝の促進をうたった「ヒトプラセンタ」で国の製造販売承認を受けていない無承認薬、新聞記事によると、針のない注射器を腹にあてて薬液を注入して使用する。しかし、その効果はなく、あざや内出血が残った購入者もいたとのこと。更に医薬品販売に必要な東京都の許可を得ておらず、昨年11月、同容疑で県警の捜索を受けており、現在は稼働実態がない。

 この業界では、情報の発信がネットのホームページ等が多く、営業実態がどうか?っていうのが見えにくい上に、似たような販売店が異様の沢山ある訳だが、この内、如何ほどがマトモなのだろうか?ダイエット、フィットネス商法っていうと、ブーム的な盛り上がりが多く、学会等で一つ目新しいネタや器具が紹介されると、同じモノ、類似品を扱う販売店が異常繁殖状態で増殖し、数ヶ月の内に価格が1/5程度迄落ち込んで消えて無くなるというパターンが多く、繁殖増殖した販売店も同様に増えては減ってを繰り返しているようである。

 まるで、一つの餌に食らいつくウイルスの如くである。そのように急激に増殖する販売店には、マトモな所から、一度限りの儲け狙いって所迄様々だけど、ネット上のホームページの立派さだけからは、それが企業実態を反映しているとは言い難い。

 特に、ダイエット、美肌、フィットネス関連の顧客っていうと、若い女性、高齢者、メタボを少し気にする中年男ってパターンが多く、彼らが、氾濫する情報の中で本当にマトモな商品を扱う、マトモな経営実態を持つショップから買い物が出来ているか?っていうと、被害者が居るという実態から見ると、かなり厳しい現状が浮かび上がってくる。

 一般に、一目見て怪しい商売があるけど、そういう怪しい商売が堂々とネット上で宣伝されていたり、車関係雑誌、女性週刊誌の広告欄にも掲載されている。誰がどう見ても胡散臭いと思うのだが、少なくとも、公衆の面前に出すことを規制すれば、胡散臭さが感じ取れない被害者も減らす事が出来そう。
 宣伝を打つって事は、公に情報を発信する訳で、発信情報に虚偽記載、誇大広告があれば厳しい刑罰を与えるとか、掲載するメディア、出版側にも罰則を与える等の浄化策を打つべきのように思う。
 このダイエット・美肌業界の隆盛と、携帯出会い系サイト、一攫千金系グッズ販売っていうのは、どれも似たような感じを受けるのだが、規制されることなく伝統的?に存在しているのは間違っているように思うところだ。

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2008年3月29日 (土)

ニュース報道の演出

 最近のニュースは演出が過剰ではないだろうか?

 年金問題、円高、株安、ガソリン価格高騰、物価高騰、食の安全、メタボ診断、、、、、様々なニュースがある。殆どが暗いニュースであるが、そのニュースを伝える際の消費者の声を織り交ぜたニュース映像を見て思う事、、、、

 それは、ガソリン代の高騰に対するドライバーの意義であったり、メタボ診断でサラリーマンがビールの飲む風景を映し、それが適わなくなるかもしれない悲哀の声だったり、様々なニュースを演出する声が織り交ぜられてニュースが成り立っているのだが、いつも思うのは、例えば、ガソリン代がそんなに高いか?と考えると、自分的には、実は気にならなかったりする。勤務後に酒を飲むって頻度を考えても、毎日飲んでいる訳ではない。

 全てのニュースの演出がそうだとは思わないが、自分にとって身近なニュースに限り見渡すと、やっぱり演出が強すぎるのでは?と思ってしまう訳であり、そうなると、身近でない世界のニュースも実態がイメージしにくいから普通に見ているだけで、実は、相当に過剰な演出が為されているのかなぁ?と考えてしまう。

 勿論、ニュース報道の構成が、どんな視聴者をターゲットにしているかによって、見る側の状態によって、それが過剰に感じたり、同意に感じたり、物足りなく感じたりするのだろう。しかし、街の声のサンプリングなんかは、その感想を述べる人が、どういう人か?が全く判らないのだが、その声の内、ニュースを伝える側の意志に沿った意見だけが露出しているようで、そういう意味で、最近のニュースは過剰な演出の裏で、公平性が欠けているのかもしれない。

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2008年2月17日 (日)

ニュース?

 テレビ朝日の報道ステーション、古館さんは結構謝罪しているみたい。今回は、『アダルトチルドレン?』って文言の誤った使用で、、、、

 でも、その前に結構色々とテレ朝は謝罪をくりかえしている。

 その前に、この報道ステーションって番組だが、これはニュースなのか?という原点に立ち返って考えると、、、、、、

 この番組は、世の中の出来事を伝えるという報道番組的ではあるけれど、すくなくとも、客観的に事実を伝えるというスタイルのニュースではないような気がする。
 この番組は、時間帯こそ平日の午後10時頃という全番組のニュースステーションから引き続き放送されているけど、この番組は、夜中のワイドショーに過ぎないのでは無いだろうか?

 報道されている事、され方、表現をみると、普通に昼下がりに放送されている各局のワイドショーそのもののように見える。

 ワイドショーならキャスター、司会者の主観等々は全然OKであり、雑紙で言えば、純粋な新聞とは違い、怪しい週刊誌に近い状態ではないだろうか?

 そう考えると、まぁ、堅苦しく考えず、こういうのもアリか?という気持ちで見れば全然OKである。

 ところで、最近の報道系ワイドショーは相当に司会者の主観や演出が過剰に入っているが、物事に対する批判が多すぎである。何事にかんしても否定はOKだが、批判はNGだ。これは、日常生活でもそうだが、否定的な意見の先には改善が見える。しかし、批判は批判で終わってしまう事が多い。報道系ワイドショーは、今見渡すと、殆どが批判型ワイドショーである。

 最近は、CS放送、地上波デジタル放送・・・・と放送形態が多様化してチャンネル数も増大しまくっているが、その割に、コンテンツは今迄通りで、殆どが再放送とか、同じ番組のタイムシフト放送が多いけど、どうせなら、報道番組も色んなパターンで放送したら面白いように思う。

 例えば、

1.完全なニュース・・・・・出来事を客観的事実のみ伝える。
2.批判型ワイドショー・・出来事を批判する論評を加えて演出する。
3.肯定型ワイドショー・・出来事を全て良い解釈で演出して伝える。

 こうすれば、チャンネルによっては、視聴者の意識は随分変わるかも知れない。

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2008年2月 7日 (木)

自己防衛本能喪失

 火曜日の朝は、勤め先で安全についての講演会があった。なんでも、今期に入って労働災害が多発しているためで、この労災対策に有効な方法は?ってノリで絶対的に本質的に事故が起こりえない物理的対策を施すことのススメが説かれたりしていた。

 一方で、最近は?っていうと、毒物が混入されてしまった中国産餃子の問題、もっとジェネラルに言うと、あらゆる製造物における製造者責任、PLの考え方に基づく、リスク要素の告示に非常に神経質になっている。

 普通に、そんな実態を眺めると、確かに大事な事だなぁ!って思うのだが、自分的には、ここまで言う必要があるのか?そこまで配慮すべきか?って気持ちがあるのは否めない。

 大体、何が危険で、どんな事態に陥るか?っていうのは、普通に生きていれば、普通に見えるのが人間で、そういう危険を察知する能力っていうのは、成長過程において身に付けるべきものであり、そこに告示されていないから、告示義務怠慢が負傷の原因というのは如何なものか?と思うのが正直なところ。

 一口食べて変なら食べずに吐き出すってのが自然である。見るからに危ない場所には近づかない。危ない場所に潜む危険要素は自分に見つけ、それに応じた対策を自分で講じるってのが、自然な行動であり、それは本能的に身を守る習性ではないか?
 こういう習性的行為を取れないのだとすれば、最も重要なのは、状況に潜む危険要素を一から十まで対策するのではなく、その危険要素を察知して自己防衛する能力を教育する、或いは養わせる事が最も重要だと思うところだ。

 最近のニュース、周囲の状況を見ると、そこまで言う必要があるの?って気が極めて多い。何故に、そうなったか?というと、平和ボケ、安全ボケで、自分で負った怪我や損害を全て周囲の責任に転嫁する価値観が広まったためとも思える。

 こういう状況となった人達や、この事態を当然と思い、義務的に教育する事だけに熱心な管理者っていうのは、なんだか、微妙な存在だ。
 こういう人っていうのは多いけど、こういう人っていうのは、自発的にデザイン、創作して行動を起こすタイプの人とは違い、上役から言われた事を義務的にこなす人が、こういう問題の管理者に当て嵌められているようにも見える。言われた事を、繰り返し、淡々と行う事が得意な人が管理者になり、言われた事さえもが、なかなか出来ない人っていうのが、その教育対象になっているようにも見える。

 そういえば、よくルーティーンの業務という言葉があるけど、全ての仕事に単純な繰り返し作業っていうのは、実は存在しないのである。にも関わらず、ルーティーンという言葉を使いたがるバカってのは、実は、現状における行動に改善しようとする目、好奇心を失っているという証明でもある。極論すれば、繰り返し作業を進歩の無い作業と思いながらも、それを繰り返す事で働いていると思っている奴がいるとすれば、それは存在価値ゼロであり、そういう機械的な作業自体は機械にやらせば良いのであり、それに違和感を持たない奴=ルーティーンに染まった奴=新しい価値が創造出来ない奴=価値無しなのである。繰り返し作業に見えても、そこに何かを感じ、新しいモノが見付けれる奴ってのは、恐らく、日常のチョットした隙に潜む危険も察知できるし、ミスも予防できる。そういうのが本能である。

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2008年1月 8日 (火)

小皇帝が支える中国社会

 1/6のNHKスペシャルで中国の一人っ子政策と熱心な親による教育の実態の特集をやっていた。
 中国と言えば、今年が北京オリンピック、そして、急激な経済発展で世界景気を牽引している一方で、その経済活動の急激な活発化による環境負荷の増大等々と様々な分野で世界の注目を浴びているが、その中国国内での教育の実態っていうのは、他のニュースに埋没して自分自身、忘れていたけれど、結構大きな中国国内問題となりつつようである。

 今の中国の状況がどうか?は正確には把握していないけど、なんか日本の40年前頃をイメージさせるものがある。44年前の東京オリンピック、その後の戦後経済成長、公害問題、受験戦争・・・・日本の場合は、その後、バブル崩壊、教育崩壊と様々な問題を露呈したけど、中国はどうなるか?

 今の中国の勢いは凄いようだけど、この中国という国家の将来を占うに、埋没していた一人っ子政策による小皇帝と呼ばれる子供達がどういう価値観を持って社会を担っていくか?が結構重要な気がする。
 確かに、教育の競争で優秀な子供を育てるっていうのは、或る意味で間違いではないけれど、その先はどうなるか?と考えると、悪い前例として日本の教育の実態がオーバーラップするのは考えすぎだろうか?
 今の中国の教育熱と、日本のゆとり教育以前の受験戦争時の教育熱というのは、凄くオーバーラップして見える。価値観は、他人よりも点数的に優位に立ち、点数を少しでも高く取るというのが全てに超越する正義のような価値観である。
 確かに、前例のある仕事をこなす上では、それで成立するかもしれないが、国際的に人件費の安さによる競争力を失った後には、前例のある(誰でも出来る)仕事だけでは、競争力を維持し続けるのは困難なように見える。

 日本の工業は戦後飛躍的に発展したが、今の日本の工業製品の実態を見ると、オリジナリティーの溢れる製品は殆ど皆無であり、日本の工業の殆どは、価格競争力だけで成立しているように見える。日本製品には世界に誇れる発明と独創性というのが欠けているのは、今の日本産業界を支えるエンジニアの育った時代における教育が、詰め込み偏重の教育で合った事と無関係とは思えない。
 そう考えると、今の中国の教育熱=模倣技術の向上、品質向上といった熟成型の技術力育成には効果的かもしれないが、新たな価値を創造するという力は育まれないように見える。

 教育というのは、国を作る上で最重要課題の一つだが、日本も中国も、教育=知識詰め込み=点数主義って言う点が極めて似ている気がする。結果、早足の社会の進歩は得られても、その進歩は、模倣が基本であり、世界を技術的にリードするという立場には為れないのかもしれない。

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2007年12月28日 (金)

昭和と平成

 水曜日のビートたけしさんが進行を務める番組で、昭和と平成の間、1989年、平成元年という時にスポットを当てた番組を見た。

 番組の中では、昭和天皇、美空ひばり、阿久悠、松下幸之助、中内功・・・といった昭和を活躍した人の生き様と当時の時代、世相を振り返る事で、現代の世相や価値観の原点を探るというモノである。

 そんな事はさておいて、1989年、平成元年がどういう年であったか?を振り返ると、バブル真っ盛りの時代というのは有名だが、自分はどう過ごしていたか?を考えると、大学院進学の年であり、世間のサラリーマンのような形でバブルに接していた訳ではない。
 但し、当時は、大学生活前半の塾講師のバイトという形から、塾を作って経営(運営)するというスタイルに移った時でもあり、一般の大学生以上の収入があったのは確かである。バブルの恩恵を直接受けた訳ではないが、当時は、自分の塾の給料日、バイト講師の給料日、家庭教師代金の受領日を毎月1日、11日、21日と定め、10日毎に十数万円が手元に入るような生活をしており、夏休み、冬休み、春休みの講習シーズンでは、通常月の2~3倍の収入を得ていたような時期でもある。
 まぁ、バブルという時代で、親の子への教育熱が高まり、親の収入も潤っていたために、教育費を存分に支払う事が普通という時代故の生活であったのは確かだが、それでも、バブルの象徴である株や絵画で儲けた訳でないので、それなりの自負は持っている。

 そんな時代への回想とテレビ番組の進行の中で印象深かったのは、モノの価値を定める定価という概念が消失し、価値を決めるのは供給側から消費側に移ったという話と、歌謡曲の評価で、昭和以前の歌詞から内容が社会的普遍的に通用するモノから平成以降では書き手個人に特化したモノに変化したという話である。
 大きくは価値観的には、全てを判りやすい尺度に当て嵌めて、その価値判断は普遍性を有さずに全くの個人主義に変化したという印象である。そういう価値観の変革点が1989年という時代だったのだろうか?ふと、そんな事を考えたりする。

 今の時代もそれなりに好景気であり豊かな時代とされているが、当時と現代では、やっぱり同じではない気がするし、昭和世代の自分から見ても、国としてのパフォーマンスは落ちているのでは?という気がしてならない。

 話が少々跳ぶが、ここ数年の傾向は、全ての分野で懐古主義的な空気を感じる。テレビCMで選ばれている音楽も1980年代モノが多い。工業製品のレトロ志向は車、単車を見ると顕著に判る。最近では、パチンコの宣伝で、仮面ライダー、宇宙戦艦ヤマト、北斗の拳を始めとした昭和漫画を題材にしたモノが多い。通販番組の定番は懐かしCD大全集ということで昭和のヒットソングをまとめたCDの通販は今や定番であるし、民放からNHK迄、深夜の番組プログラム終了後は、昭和の映像と音楽を流すのが定番である。

 この傾向は以前から判っていたことで、当時を懐かしむ風潮が大きいのかなぁ?って程度しか思っていなかったけど、最近は、殆ど全ての商品のキャラクター、イメージソングに昭和をモチーフとしたモノを用いている様を見ると、商品の購入層を1980年代に思春期を過ごした人をターゲットにする事が商売繁盛の秘訣と売り手側のマーケットリサーチの答えが出たんだろうと思えてくる。
 消費を牽引する世代っていうのは、昭和(1989年)以前に思春期を過ごした人達というのが日本の姿のように見える。そうは言っても、既に2007年も終わろうとしており、1990年以降で17年も経過しているのだが、90年代以降の世代による消費の牽引というのが全く見えない日本っていうのは、この先大丈夫か?と思うのは考えすぎだろうか。或いは、もう10年もすれば90年代以降2000年代初頭の消費意欲を刺激するような時代がやってくるのだろうか?
 ただ、回想すると1980年代、1990年代において、その時代における30代以上の消費世代の購買意欲を刺激するような販売戦略は無かったし、1980年代では、とにかく先(未来)を向いた新しいモノに強い関心を示す人が多く、そういう方向で社会は動いていたように思う。現代においては、先に向くというのではなく、懐古するという後ろ向きの方向で社会が動いているようにも思う。

 ただ、マーケットの活性化、社会の活性化に今の40代を刺激するための懐古戦略があるとすれば、それは多分失敗に終わるように思う。当時の奴らは、そんなに懐かしむ傾向は無く、どちらかというと新しい物好きである。新しい価値観には飛び付くけど、経験済みの分野には無関心って奴が多いのも事実であり、どんな時代でも新しい価値を提案し続けるようなマーケット戦略が無いと、40代以上の関心を集めることは出来ないのでは無いだろうか?

 勝手な話かもしれないが、少なくとも、自分からみて、懐古調のギャンブル、懐古調の車やバイクに全く関心は無い。関心があるのは、見た事も無い、想像も出来ないようなモノ。想像出来ないから味わってみたいという気持ちが芽生えるのである。好奇心を刺激するようなモノで無ければ購買欲もそそられない。
 だから、単車でいうとゼファー、W、今のXJR、CB-SF系なんか、全く興味ないし、欲しくもない、面白そうにも思わない。今やビンテージのガンマやGLが自分のお気に入りだが、このような単車は1970年代、1980年代には前例の無いモノで、乗らない限りは判らない代物であり、それ故に、興味を持ち、購入に到った訳である。
 自分のような考え方が普通とは思わないが、やっぱり時代が進むんだから、新しいモノを提案し、好奇心を刺激し続けられるような社会であってもらいたいものである。

 常に、好奇心を刺激する社会とは、即ち、新しい価値やモノが矢継ぎ早に登場する社会、技術革新の早い社会である。即ち、創造力豊かな人が多く居る社会の事。つまりは、既存の価値観の上に新しい発想が出来る人が沢山いないと駄目な筈である。

 そういう目で、ふと周りを見る。自分の勤務先の同僚、部下、上司、関連会社のスタッフ、時々勉強を教えてやる子供達・・・・・こりゃぁ、期待出来そうにない。創造力があり、好奇心があり、独立心があり、って奴が殆ど居ないのが現状。
 もしかしたら、社会を構成する人間のパフォーマンスレベルが下がりっぱなしなのか?そう考えると、みんなみんな、体裁を取り繕い、結果(金)だけを求めるというのが標準という社会になってしまったのだろうか?それなら、最近のモラル低下の問題、公営ギャンブル、公認ギャンブルの異常な普及も説明できる。

 こんな時代に向かった節目が番組で言う1989年という年だったのだろうか?

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2007年12月22日 (土)

『めざましごはん』は誰のため?

 最近、表題のCMをテレビで良く見掛けるようになった。
 まぁ、タレントの優香さんが出演しているので、目が行くってのが本当の所。この優香さんは、志村けんさんとのコンビから印象に残っている。

 さて、このCMだが、これは農林水産省によるCMのようである。最初は、省庁関係なしで業界団体のCMだと思っていたけど、サイトをチェックすると違っていた。

http://www.maff.go.jp/j/soushoku/kakou/mezamasi.html

 確かに、朝食には御飯も良いとは思うけど、サイトの御飯食わないとNGって言い方は一寸違うような気もする。パンでも麺でも良いように思うところだ。
 確かに日本人の主食は米ということだが、米を主食としない余所の国の人でも素晴らしい人は一杯いる訳であり、米食わんと仕事が出来ない!?っていうのは言い過ぎである。

 まぁ、自分も週に5日は御飯で朝食だが、朝食に御飯+おかずをメインに持ってこようとすると、他の食事に較べると時間的余裕が欲しい所。朝の就業開始を最低でも午前9時以降にさせるとか、生活にゆとりが無いと和食中心の朝食ってのは難しい。今の和食減少傾向ってのは、現代日本人の忙しさ故に、準備に時間の掛からない食事っていうのが普及したのが現実である。

 このサイトのCMでは、とにかく御飯を!ってスタイルで、外食おにぎりもOKとしているけど、コンビニ御飯、むすびは米を使ってても、色つやアップのために結構油を混ぜて御飯を炊いたりしているのだが、、、、そして、それは健康に決して良くない筈だが、、、、

 と、そんな事を考えていると、御飯の良さの薦め以前に、これって、昨今の日本人の米離れを食い止めて、米剰り状態を改善し、農政保護施策が第一目的っていうことなんだろうなぁ、、、って思ってしまう。

 御飯は確かに日本人のライフスタイルに合っているけど、御飯中心の和食から日本人が遠ざかったライフスタイルの変化は何か?を考え、それを解消するような施策を打ち出さないと対処療法的、一時的なキャンペーンで終わってしまうんだろうと、素直に思ってしまう。

 そう言えば、少し前は、『牛乳に相談だ!』っていう牛乳消費促進キャンペーンが、日本酪農会議って社団法人でなされていたが、これも酪農家廃業防止というのが一番の目的であったのを思い出す。

http://www1.gyunyu.com/pc/index.jsp

ってサイトだが、なかなか厳しいのが現実である。勿論、私は、朝、昼、夕と250ccずつ牛乳を飲んでいるのだが、そういうライフスタイルを持つ人は結構少ない。

 牛乳にしても、米にしても、健康維持にはお奨めなんだが、健康食材としてのインパクトはサプリ等に較べると弱いのが現実。で、衰退するのだが、普及キャンペーンは生産者保護のためってのが消費者に伝わるから関心を惹かないのが現状。

 自動車等の工業製品では、比較広告OKで、相手を罵倒するのもOKだ、暗に嫌みを言うのもOKだ。昔は『名ばかりのGTは道を空ける』なんてフレーズを出していたメーカーも有ったくらいである。
 本気で健康の良さをアピールするならば、人工的な薬剤系サプリ、濃縮栄養補助食品の持つ、生体との親和性への懐疑を煽るようなアピールくらいOKではないか?下手なサプリでダイエットなんて得られる効果は、即効性がある程、喪失性が高いのは世の真実。簡単に手に入る変化は、簡単に失うのが世の常であり、そういう意味では、真の意味での自然派生活っていうのが一番効果的であり、食スタイルでは、米と牛乳、生野菜ってのは食材の王道である。それをアピールすれば少しは消費が伸びるのでは?と思うところだ。

 因みに、私の食生活は、

・朝食
 月~金は御飯+みそ汁+納豆+牛乳+無糖ヨーグルト+ナタデココが基本で、土日は、サンドイッチ、フレンチトースト、ホットケーキが御飯の変わりに登場。牛乳、ヨーグルトは不変。
・昼食
 食後の低糖ヨーグルト+ヤクルトは毎日。昼下がりには牛乳を毎日。
・夕食
 日曜日以外は毎日御飯+納豆が基本。日曜日はお好み焼き。おかずは、生野菜は毎日、調理野菜は週に4日、海草系は週に1日、肉は週に1~2日、魚は週に2~3日
・間食
 結構食う。基本はクリームパン、カレーパン、チョコレート系菓子、小魚、昆布、黒糖系か?他には、米菓(せんべい、あられ)も大好きで貰えば食う。米菓は高いから自分では殆ど買わない。
・デザート類
 週末になると手作りパン屋さんでのアップルパイは結構食う。子供の誕生会、クリスマスでのケーキも普通以上に食う。週に3日程度はアイスクリームも食う。

 ってところ。スナックは特別規制している訳でもないけど、家族で週に一袋以下。インスタントラーメン類は年に1~2食程度。冷凍食品は殆ど無し。ファーストフードは平均するろと月に1食以下。晩酌は無し。酒は、付き合いで年に5回以下。サプリ類は全く無し。カロリーメート等栄養補助食品も全く無し。スーパーの総菜は、月に3食程度、おかずの足しに買う位。飲料水は、基本はウーロン茶で毎日平均すると1.5リットルは飲んでいる。加糖飲料は皆無。飲むのは無糖のブラックコーヒー(缶、ドリップ、インスタント等々)のみ。これは毎日6~8杯飲んでいる。

 そんな生活である。敢えて、良く無さそうなスタイルは何か?というと、毎日大量に飲むブラックコーヒーかなぁ?というところ。カフェイン中毒かもしれない。飲んで目が冴える事は無い。飲んでも眠る。そんなところだ。

 話が逸れるけど、食順は繊維質→タンパク質→炭水化物→脂肪質の順番が多い。で、一口は30回噛むのが原則なんで、食事所要時間は最低でも30分は掛かる。

 食生活のコンセプトは、例えば、ブドウ糖摂取ならば、ブドウ糖の前段階の麦芽糖、その前段階のでんぷんを多く含む食事を取るということ。そして、でんぷんを分解するのがアミラーゼ、麦芽糖を分解するのがマルターゼで、それを助ける物理消化は顎でかみ砕く事。その運動に連動して唾液腺から唾液が分泌されアミラーゼが沢山分泌されるというシステムをしっかり動かすという考えだ。他にも、脂肪を分解するのがリパーゼ、タンパク質ならトリプシンであり、食材をブドウ糖、脂肪酸、グリセリン、アミノ酸という吸収可能な形に変えるのが消化酵素で、これらを吸収するのが消化吸収器官である。因みに、栄養分を吸収するのは小腸柔突起で、拡げるとテニスコート級の吸収面積になる。
 と、こんな知識は中学二年の理科第二分野で習う事だが、これで習った事を思い浮かべると、自然に複雑な機能は人体に備わっている訳であり、これを使うのが一番というのが考えである。

 因み、身体の各器官の機能は単体で機能しているのではなく、ある動作による変化が生まれると、それを感知して次段階のシステムを働かせるように変化するのであり、その各システム、サイクルの関連性は殆ど未解明である。生化学的に○○回路とか言われているけど、それは複雑のシステムの中の極僅かな一部の様子を人間が名付けただけである。そういう事を考えれば、栄養分の濃縮物質を摂取するというのは、食材を分解させるという身体機能を休眠させる事であり、その機能低下を金掛けて行っているという事である。身体機能を働かせて所要量の栄養分を吸収させるという行為と、分解された栄養分を強制注入するというサプリ摂取行為には、人体機能の活動度に大きな差があるのは一目瞭然であり、絶対に同じ効果を得る事が出来ないというのが持論である。

 因みに、分解された栄養分というのは吸収しやすい物質であり、化学的には不安定な物質である。不安定な物質故に、自然界で存在するには安定な形で存在するのが道理であり、それを利用するために備わっているのが生体の消化機能である。逆に、不安定な物質を濃縮した形で強制吸飲する行為は、生体への吸収プロセスで吸収という反応において濃度感知するメカニズムが上手く働かない。結果、本来生体の有する吸収率っていうのは、確実に低下していくものである。

 そういう意味で、不可欠な栄養分原料として自然な形である牛乳とか米っていうのは、最高のサプリでもあるのだ。何故に、そういう連想が普通の人に出来ないのか?が不思議である。

 キャンペーンどうこうは関係なく、米、牛乳、生野菜・・・・しっかり食うことが一番である。

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