2018年7月18日 (水)

災害後の祭り等

広島湾での花火大会、今年も例年通りに開催するそうだ。恐らく、宮島水中花火大会も開催だろう。
一方で、地元の牛田では、毎年恒例の盆踊り大会は中止だという。因みに、先日は牛田ほおずき祭りは普通に開催されていた。

災害で自粛というのは判らないではない。豪雨直後の週に開催予定だった『ライフスタイル博広島2018』は中止となった。こちらは、豪雨の次の土日で、交通網も寸断されたり、行方不明者捜索活動真っ直中だったから理解出来るけど、個人的には、盆踊りくらいはやっても良かったのでは?という気がしないではない。

勿論、被災した当地での開催は無理だろうけど、周辺地域全体が自粛というのはチョット違和感がある。特に、集落単位の盆踊りでは尚更である。そもそも、盆踊りというのは先祖を祀るとか、そんな意味もある。盆踊り自体、被害者に鎮魂を捧げる意味があるようにも思う。
集落単位の盆踊りは中止すべきでないように思う。

中止するのは、地域広域に跨る大きな祭り、イベント事ではないだろうか?交通網が不完全で、物流に影響を与えかねない。

全く個人的な意見だけど、広島湾での広島みなと夢花火大会こそ中止すべきのような気がする。開催会場といえば、矢野、坂、熊野の目と鼻の先である。どうも違和感を感じる。

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広島の山

豪雨災害で土砂崩れ、土石流の発生したのは、標高で300m以上、多くは標高500mクラスの山の谷筋だ。標高の高い山は、以前も紹介したように、複数の山体が連なった連山的な形態をしている。更に、標高で150mを超える山は、高度が高くなる程に勾配が急になっている。
標高で150m以下の山は勾配が緩いのに対して、標高の高い山は勾配が急なのである。

逸れ由縁い、標高の高い山は山頂付近からの土砂崩れが発生しやすく、それを起点に崩れた土砂が土石流となり麓迄一気に拡がるのが特徴である。

今回、広島県南部地域の山地においては、5000箇所以上の土砂崩れが確認されたそうだ。殆どの土砂崩れ箇所、土石流発生箇所は、高い標高の山の斜面であり、土砂崩れが頂上付近で発生しているのは、勾配の急な山地となっている。

勾配が急か否かの判断は?というと、地図の等高線の間隔で見るのが一番正確だけど、実感として急か否かを判断しようと思えば、山頂迄車で上れる舗装路が付いているかどうか?でも判断可能かもしれない。

広島外から引っ越してきた友人の話を聞くと、海岸線の道路を走っていると、切り立った山が迫るように連なっている広島は、独特の地形で平野が少ないという印象だそうだ。急勾配の高い山に隣接する平地、、、、平地が便利だといっても山の斜面が崩壊すると麓の平野も甚大な被害を受けるのが特徴なのかもしれない。

山というのは、これからの時代、危険な存在のようにも見える。危害を及ぼす可能性の低い山がどこで、どの辺りに住むか?のが安全か?というのは、低い山の少ない広島では答えが出しづらいようにも思える。

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2018年7月10日 (火)

ヤンキーと女性

これ、どっちもヒステリック。感情先行で冷静な判断が出来ない人が多い。
こういう人と対峙するとき、感情先行のヒステリックな攻撃に乗って同じように言い合うと収拾がつかない。
こういう場合、時間が無駄と考えて、低姿勢かつ笑顔で腰を低く対応するのが一番。

ただ、こういうヤンキー気質な人、ヒステリックな女性というのは非常に多い。

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梅雨明け宣言も、、、、

西日本豪雨の翌日、例年より早い梅雨明け。
月曜から、オーバー30℃の晴天が続くという。
停電、断水の被災地は、過酷な避難生活が強いられる。
ところで、元の生活に戻るのはいつか?というと、同時多発的な被害と物流寸断で全く見当が付かない。

団地を襲った土石流の除去と対策は?といえば、広島市北部豪雨でガレキ撤去だけで数ヶ月を要したけど、同じ様な所が、散在しているので、同等以上の時間を要するだろうし、砂防ダム等の整備は?といえば、北部豪雨後4年経過しても完全には出来上がっていないので、相当な年数が掛かりそう。今回の土石流発生地は?といえば、北部豪雨被災地である八木地区以上に重機搬入が難しそうな狭く勾配の急な谷筋が多いので、ガレキ撤去、整地には相当な時間が掛かりそうだ。畑賀地区、坂地区、口田地区、矢野地区、熊野地区、呉地区と報道されただけで六ヶ所もある。全てを同時に進めるのも簡単ではない。何と言っても、広島だけでなく、近県も同様に被災している。

更に、今回は団地だけでなく、物流網も寸断されている。復旧には資材搬入が必須であり、そのためには物流網が機能しているというのが大前提である。その前提が崩れているのが厳しい。
物流の大動脈である山陽道は志和トンネル付近での土砂崩れで、恐らく復旧には一週間以上は掛かりそう。
国道二号線、中野付近での流出は、想像以上に広範囲であり、この道路の復旧には数ヶ月を要するかもしれない。まぁ、東広島バイパス、西条バイパスを使えば東西の流れは維持できるけど、従来三路線あった道路が一路線で賄えるか?というと、明らかにキャパシティオーバーだろう。
鉄道といえは、先ずは山陽本線だけど、瀬野駅界隈での土砂被りは、土砂の撤去で一週間程度か?ただ、問題は、本郷河内間での鉄路での線路流出、、、これは、復旧に数ヶ月かかるかもしれない。貨物運搬には大きな影響を及ぼしそうだ。また、芸備線の三篠川鉄橋流出も厳しそう。

広島呉間の広島呉道路、国道31号線の復旧も相当掛かりそうだ。

梅雨明け後、この夏は猛暑が予想されているけど、この復旧工事は迅速さが求められるが、その作業は過酷を極めそうだ。

今回は坂地区、広島湾の西岸エリアの被害が多いけど、梅雨明け後のベイサイドビーチ坂も今年は営業どころでは無さそう。観光収入の面でも打撃は小さくない。

こんな状態で、最近多発している地震の総仕上げとして、南海トラフでも生じて、津波が瀬戸内にも侵入してくると、トドメだろう。瀬戸内での津波高は2~3mと言われているけど、低地の広島市内は、港湾部から二号線を過ぎて平和公園辺り迄が浸かる可能性がある。
そうなれば、物流は完全に分断されて、どうにもならなくなる。

まぁ、そんな最悪なシナリオは無いだろうけど、可能性としてはゼロではないような気がするし、何か、嫌な予感もしなくはない。

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2018年7月 9日 (月)

季節の変わり目

一般に秋の日は釣瓶落としって言う。
これは、秋の太陽がつるべを落とすかのように早く沈んでしまうという意味だけど、秋の日没時間は日に一分以上早くなっていくので、季節が一気に進んでいくような感じ。
何月か?といえば、これを実感するのが秋分過ぎの10月頃だろう。10月の最初といえば、大抵は蝉が鳴いているし、日中の気温も真夏日の30[℃]を記録することもあるけど、10月終わりといえば、完全に秋。寒さを感じる程。10月が夏の終わりの月という感じ。

一方で、その反対は2月だろう。秋分直前のこの季節。日の出の時間は日に一分以上早くなっていくのだ。2月始めといえば一番寒い季節だけど、2月終わりといえば、春の陽、春の気を感じる頃。日の出の時間は一ヶ月で40分位早まるのだ。2月が冬の終わりの月という感じ。

自転車で早朝走行していると、2月が一番季節の変化を感じる時だ。日照時間が7時20分程度だったのが、6時40分位まで早まる。この恩恵を凄く感じる。

個人的には、季節は冬が好きだけど、夜が明けるのが早い方が好き。夏は朝が早いけど、暑すぎるのが嫌い。

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2018年7月 7日 (土)

大雨

大雨特別警報での雨。
我が家は、1999年購入時は、警戒地域外だったけど、2014年の豪雨災害後の再調査で、団地全体が見事?警戒地域指定内に入っている。
それ故に、結構ドキドキしたけど、前回の2014年豪雨に続き、今回の大雨でも特に異常無し。

ただ、自宅から少し出ると、比較的安全と評価されていた筈の団地や区画が結構崩れている。余所の道路は、崩れた土砂が流れ出して泥まみれ、、、、

朝の民放の災害特別報道番組を見ると、自宅を選ぶために見回った地域の多く、南区丹那、安芸郡府中町、口田南、矢野、坂、海田、瀬野等々が大きな被害で崩れている。

余談だけど、瀬野、畑賀近辺の道路流出、二号線陥没ということで、夏以降、安芸区スポーツセンターを利用するのは無理っぽい。

今回のがけ崩れ、土石流の発生場所を、ハザードマップと重ねてみると興味深い事がある。

それは、、、、土石流、がけ崩れ、則面崩落というのは、ハザードマップで危険指定されていない箇所の方が多いということ。

崩れた場所は、多くは標高200mレベルの高度を持った山沿いで、山に降った雨水の量が山の高さに相関するという考え方に沿った地域が多い。実際に集計してみると、大きな山の山沿いで、住宅裏から山頂迄の高度差で100m程度あるような場所。地域的には、海に向いた斜面での崩落ばかり。
逆に、小さな山の山沿いで、住宅裏から山頂迄の高度差が30m程度、海と反対向き斜面では崩落が殆ど無い。

ハザードマップを頼りに場所選びするのも大事だけど、地形的、方角的な傾向、更には、足を運んで地質、地盤等を調べる方が、もしかしたら安全かもしれない。

ハザードマップでも太鼓判が押され、地形的、包囲的にも崩れた土砂の影響や、あふれた氾濫水の影響を受けないと考えられる場所を選ぶのが大事っぽい。

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2018年7月 6日 (金)

新しい東西

昔の東と西といえば、社会主義と資本主義。アジアの東西の境界線といえば、38度戦、北朝鮮と南朝鮮の境界。38度線が東西の境界。そこを防衛戦に南朝鮮にアメリカが防衛ラインを定めていた。

しかし、今の時代、昔ながらの東西冷戦という言葉は似合わない。

今の時代の東西といえば、社会主義圏と資本主義圏ではなく、東洋と西洋かもしれない。
東洋といっても東は中国を宗主国とした中華思想圏と、西は西洋を中心とした欧米等西洋思想圏かもしれない。

アジアにおける中国中心から見た序列から言えば、大陸の中国に半島の朝鮮が寄り添う。そして、本来は島国の日本が朝鮮に続くというのかもしれないが、地続きでない地理的な要因から、明治維新によって急激に西欧化が進んだため、第二次大戦以前に思想的には西欧思想の圏内にシフトしており、先の大戦以前に、東洋の島国ながら、既に西欧の離島的なポジションになっているような気もする。

そういう意味で、新しい時代の東西の境界というのは、南北朝鮮の境界である38度戦ではなく、対馬海峡が新しい東西の境界となるような気もする。

北主導の南北統一ということになれば、南朝鮮在留の米軍の撤退もあるだろう。北主導での内乱に統一が進めば、もしかしたら北+反乱した南と米軍の闘いも無い話ではないかもしれない。

北主導の統一朝鮮が中国の従属国として中華圏の前線基地として存在するようになれば、西側の防波堤としては日本列島がその役を担わされていくような、そんな未来も強ち有り得ない話ではなさそう。

明治維新以降の日本の急激な西欧化によって、二つの大戦の前から西欧文明の導入により変化していたが、その変化、膨張の過程における大戦が、日本と中国、朝鮮の間には修復不可能な溝を生んでいるが、この溝は、大戦における被害云々以前に、大戦前にアジアの序列を飛び出して西欧化の道を歩んだ日本への妬みと恨みが最大の原因のようにも思える。特に中国を中心として半島、島国という序列を見出し、西欧化に成功した島国を許せないという感情は未来永劫消えるものではないだろう。

半島の北主導の統一と中国への帰依が進めば、その思想の拡大というのは、西欧の思想とは相容れないものであり、そこに新しい東西思想の壁というモノが生まれるのでは無いだろうか?

まぁ、よくわからないけど、そんな風にも思う。

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2018年7月 4日 (水)

広島のお役所仕事

平成26年(2014年)8月の広島市北部豪雨以来、警報発令と休校判断の基準を下げすぎ、、、平成30年7月の台風7号接近の際の広島市の大雨警報とか学校の休校判断とか、それは無いのでは?という印象が強い。
これに限らず、2014年以降の雨等での警報発令頻度が激増、、、、確かに、警報さえ発令していれば、万が一の災害で自治体が非難に晒される事は無いかも知れないが、警報、休校を乱発し過ぎ、、、、正直、責任回避で安易な方向に走っているようにしか見えない。

2014年以降の避難勧告発令時の雨にしても、現実問題、大した雨ではない。雨雲レーダーで言えば、赤色表示以上の状態が長時間、同じ場所を襲うような事態はナシである。
2014年8月時は、雨が降る前の午後10時頃からヤバイかも、、、という形でバルコニーの排水口の蓋の掃除とか、急遽行って緊急事態に備えていたけど、そんな時でも自治体からは何の通達もナシ。
しかし、2014年8月以降は、雨雲レーダーで言えば、もしかしたら一瞬黄色表示になるかも?程度の予想で、緊急メールを配信し避難勧告という有様、、、、警報メールを乱発し過ぎである。更に、2018年7月の台風7号では、殆ど微風レベル+3時間で5分程度の小雨状況という中での大雨警報に学校休校という判断、、、、

正直、意味不明である。万が一の責任逃れのために、取り敢えず警報発令して避難勧告させていれば、後々責任を負わなくても良い、、、的な対応である。

多分、この災害対応のセクションの公務員、及び、自治体の長は、状況判断が行えない定型的作業しか出来ない連中なんだろう、、、、

まぁ、こういう連中が行政を仕切っているから、都市の再開発も行き当たりばったり、利権を生み出す事にプライオリティを置いたような、都市衰退となるような施策を続けるのだろう。
今更ながらだけど、国立大学を田舎に、空港を山奥に飛ばしたりして結果的に、市内を空き地とマンションと電気屋ばかりの魅力に乏しい街にしている現状は、目も当てられない。
公的な再開発が進む前にどうなったか?と言えば、恐らく、企業が広島を見限っているのだろう。昭和の終わりから企業が離散している。企業の離散といえば、キリンビール広島工場が消えてイオン、JT広島の跡地がゆめタウン、これらのショッピングモール、出来た時はそこそこだったけど、今は競争が激しく、出来た時程の勢いは無い。ただ、跡地開発=ショッピングモールという発想が生まれ、変な方向に進み始めた。

行政主導の近代の再開発一発目の段原、東雲地区の今は?というと、空き地+コインパーキング+パチンコ店で寂れまくり。出来て数年賑わった当時のサティ、今のマックスバリューは、殆ど廃墟モール状態でガラガラ。人情の街、原爆被害を比治山の山影で避けられた昔の情緒ある街並みは消え去って、広い道路があるだけである。昔の街並みっていうのは、時代が進む程、或る意味貴重だと思うけど、今の段原、東雲地区には、何の魅力も無い無機質な街に成り下がっている。にも関わらず再開発を進めている。
広島大学の跡地、未だに更地ばかりで、一部がどうでもよい高層マンション、、、何がしたい?一番最初に移転した工学部跡地は、公園+マンション+誰も利用しない情報プラザ、、、時折出掛けても、人が歩いていない。大学移転前に在った学生街は、消滅してシャッター街が残るだけである。
人が沢山いたから、昭和末期のあの時代は、川沿いにファッションホテル化したラブホテル街が新規建設で華やかにオープンしていたけど、30年経過した今は?というと、当時最新のラブホテルが、廃れた気持ち悪い落ちぶれた連れ込み宿的になって残っている。こんな化石的なラブホテル、だれも入らないだろう、、、、昭和59年頃建築された加古町のシルクロード、ウインザーといったラブホテルが未だに残り、廃れた建物で営業しているのに少々驚いた程。ラブホテル街も華やかだったけど、今や場末的な有様である。
広島空港の跡地はどうなった?といえば、企業は無くなり、空港関連も無くなり、免許センターも無くなり、自動車学校も無くなった。残ったのは、特異な連中の溜まり場+廃墟的なアウトレットモールと、人が集まらず空き家ばかりとなった廃墟的ゴーストタウン、、、、魅力あるの?という事態である。
広島駅南口は、結構賑わっていた友愛市場が消えて、高層ビルにマンション、電気屋が乱立した状態。広島駅の通路街を整備したようだけど、中の店は大したこと無い。そもそも狭すぎる。広島百貨店跡に出来た福屋広島駅前店だけど、基本ガラガラ。集客力のあるモノが無い。そこに福屋にわざわざ来て買い物する奴も居ないから仕方ない。今は、高層ビルに電気屋が入っているけど、何処で買っても同じ家電店、持ち帰りが無い家電製品を作って消費者がやってくるか?というと、かなり厳しい。出来て一年だけど、既に混雑は無い。平日ともなるとガラガラである。
最新の再開発地域は広島駅北口エリアだけど、人が集まりそうにない病院、医療センター、テレビ局、警察署、コイン駐車場ばかり、、、再開発終わって人が来るの?としか思えない。イケア誘致中らしいけど、経営者がマトモな判断したら、恐らく見送るのでは?とも思えるような場所だし、、、

いろんな再開発地域を見ると、殆どがショッピングモール、駐車場、空き地、電気店、、、広島みたいに人が少ない場所に、同じ様な店が過剰に集中、、、だれも行かないでしょ、、、。

最近のお笑いとしては、広島東警察署の後に、ホテル誘致、、、理由は広島駅、平和公園が近いから観光拠点として、、だそうだ。でも、広島東警察署っていうと、広島駅、平和公園、紙屋町地区から遠い、、、恐らく、流行らない。近いといえば、流川の南側の風俗街に近いくらいだけど、あの場所は市内の外れ、、、、ホテルが長続きするとも思えないなぁ、、、

正直、今の市長も知事も、イベント毎に顔出して、仕事やってる感を出しているだけ、、、カープ?サイクリング?、、、、そんな事やってばかりいる場合じゃないと思うんだが、、、、

そうそう、カープと言えば、最近は人気で、カープファンが消費を引っ張っていると言われている。ただ、最近の印象は、カープやサンフレのステッカーを貼った車、特にミニバン、軽四ハイトワゴンが多いけど、コイツらの運転マナーの悪さ、、、糞である。このステッカーを貼った車を見ると注意が必要。基本、下手糞、そして荒い。

サイクリングネタだと、しまなみ海道、とびしま海道アピールが凄いけど、市内の自転車道路行政は最悪。車道を走らせたいのか、歩道内を走らせたいのか見えてこない。意思統一がされていないから乱雑な走行が拍車されて、市内の自転車利用というと混沌さを極めている。正にカオス状態。サイクリングで観光誘致も良いけど、自転車利用者が遵法できるようなインフラ整備でもすれば良いのに、、、、知事は?といえば、カープのシャツ来て笑顔でサイクリング風景をテレビ撮影させている程度、、、、アホすぎる。

広島の再開発といえば、大規模店舗の誘致というのが方針のようである。店舗を作って小売店を集めれば、確かに販売員さんが沢山必要だから雇用が生まれるだろう。ただ、小売店というのは、扱っているモノが特色が無ければ厳しい。同じモノだと値段勝負になる。一品モノ販売ということで近年はアウトレットモールが人気だけど、アウトレットモールだったら何でも成功するという訳でもない。似たようなモノを売っている店舗地域が乱立する程に、一店舗あたり、一地域あたりの売り上げは厳しくなる。広島のキャパシティを考えると、ショッピングモール、電器店は、既に過飽和状態。チョット古い店舗は急速に廃墟化するだろう。再開発で重要なのは、販売店舗を増やす事ではない。製造企業を誘致すること。価値創世する企業を誘致するのが大事だけど、昭和末期以降、企業の離散が止まらない。企業が地に留まるのは価格競争力が維持出来るかどうかの冷静な判断で決断する。コストと言えば、人件費、輸送費、原料費、、、、というものだけど、店舗が増えて求人倍率が増える程厳しい。広島のようなコンパクトシティでは陸海空路を使った輸送コストで魅力をアピールすべきだった筈だけど、以前の記事にも紹介したが、三角州の頂点に輸送拠点を展開する都市構造の大容量化を怠って、輸送コスト、輸送時間が大幅に増加したのが企業流出の引き金だったという。
三角州北部の鉄道拠点、三角州南西端部の空路拠点、三角州南東部の海路拠点、三角州中央の行政学術拠点という都市構造の連携を21世紀に向けて大容量化、物流高速化といった強化するような道路交通網整備を行っていれば、恐らく企業離散は無かったのではないだろうか?

都市構造を破壊し、人件費高騰のみを招くショッピングモール類の過剰誘致の跡は、廃れた夢の残骸が乱立した巨大な廃墟シティのようになるような気もする。

広島の魅力というと、ここ三十年で一気に失われたような気がする。

話が、大雨警報の出し方、学校の休校判断に対するお役所仕事に関するモノが起点だけど、広島のお役所仕事を振り返ると都市行政の不満に繋がってしまった、、、、

もうじき還暦、第二の人生は別の地域でノンビリ暮らす方が良いかも知れない、、、、そう思う今日この頃である。

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2018年6月25日 (月)

目一杯、、、、

歩道には広い歩道、狭い歩道と色々である。
そんな歩道を歩く中高生、これは如何なモノか?と思う事が多い。

歩行者が並んで話ながら歩く光景は良く見る。乗り物で並進はアウトだけど、歩行者が二人並んで歩くというのは、会話しながら歩く場面を考えると、一概にアウトとは言えない。
しかし、三人並んで歩くというのは、場合によっては少々ウザイと思う事もある。ただ、三人並んで歩くというのは、まぁ、中高生なら有り得る話だろう。

しかし、、、、

幅が5m以上あるような歩道で、中高生の群れが歩道の幅一杯を占拠して横並びで歩くのは、如何に中高生とは言え、有り得ないという風に思う。恐らく、中高生の当人達は、それは普通の事という認識かも知れない。実際、中学校、高校近くの歩道で幅広い場所では、100%に近い確率で、歩道幅員を完全占拠状態である。

歩道故に、歩行者優先、それ故に、自転車に乗っている時は、気付くまで待つけど、場合によっては、幅員一杯に拡がるだけでなく、後ろ向きで歩いて激突してくる馬鹿も居るので困りもの。

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2018年6月20日 (水)

加計学園

これが話題だ。
加計学園といえば、加計勉さんを思い出す。1980年代以前の広島の予備校といえばYMCA、英数学館があり、1980年代に河合塾が進出してきた時代だけど、その時代の加計学園グループのトップが加計勉さんである。
英数学館といえば、大学進学のための塾、予備校というもので、今の高校とは違うもの。場所は、広島並木通りの平和大通りを挟んだ延長先の地蔵通り沿いに建っていた。
今は並木学院高校が建っている場所だ。

その英数学館には数学の名物講師の清原英毅先生の清原ゼミが開講され、後に理系の生徒を教える清原塾というのがあった。加計学長率いる英数学館の上位クラスといえば、数学を清原先生が講義を担当し、他の科目は他の講師が担当していたけど、その中で森福一先生というのが印象深い。この方は、非常に活動的であり、夏休み等では、県内の閉校となった学校を利用して、泊まり込みエンドレスの授業を、大学教授等の講師を集めての行っており、その授業というのは三十年以上前の事だけど、未だに印象深いモノである。

この加計学園経営の進学塾に対して悪い印象が無いのは、当時、数学系科目で清原先生の清原ゼミ、そして合宿講義等が、年間授業料受講料が全額免除で参加出来た事。そういう授業料免除で参加出来た受講生は、全部で20名チョイだったように思う。
因みに、加計学園グループの大学は岡山理科大学があったけど、学習塾、ゼミに参加した当時の友人は、誰一人岡山理科大学等の加計学園グループの大学には進学せず、殆ど全てが、旧制一期校以上の国立大学に進学し、一部のみ東京六大学、関西六大学に進学した筈である。当時の記憶では、第一希望進学率は95%以上だった筈だ。

当時、加計学園グループのゼミに参加して思ったのは、YMCA系、河合塾系の講義よりも生徒目線で、受講生の立場から見れば有り難いというか、そういう印象が強い。授業の体系も、河合塾等とは明らかに違う印象が強く残っている。

まぁ、自身の記憶は自身が参加した単年のみの記憶であり、その後は知らないが、加計学園といえば生徒目線の良い教育という印象が強い。

野党の加計叩きが目に付くけど、自身にとって加計といえば、英数学館であったり、清原ゼミだったりして、悪い印象は無い。

因みに、英数学館というのは、後に塾ではなく高校に衣替えして今に至っているようだ。

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