2017年2月18日 (土)

日本の政治

なんだか、くだらない。未だ、アメリカのトランプさんの方が面白い。
都知事ネタなら敵を作って攻撃するのは得意そうだけど、攻撃して何を実現したいのかが、全く見えてこない。
元都知事ネタも、尖閣を購入するとか言って問題を複雑にした挙げ句、糞みたいな当時の政権の外務大臣等の歴史の経緯を無視した発言の挙げ句、今のゴタゴタに到っている。

正直、元都知事、政党を渡り歩く今の都知事、物事の流れを考えない過去に政権を取った今の野党、、、、どれも、糞だ。

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2017年2月 4日 (土)

トランプ大統領、始動!

政権発足後、内外からバッシングのニュースが流れている。ニュースによると支持率が半数を切ったとか、不支持率が過半数を超えたとか、そういう報道。
でも、支持率は半数を切っても40%以上あるのも事実。
難民、移民に関する大統領令に反対する意見が多い一方で、それを支持する人も半数程度は居るそうだ。

アメリカでのテロと言えば、やはり911が鮮明な記憶として思い出されるけど、あんな事件を体験すれば、やはり理屈では判っていても、本能でイスラム教、イスラム圏に対する畏れの感情が根強くあるのも理解出来る。そりゃぁ、本能的に拒否する気も判らないではない。
外から見れば、アメリカファーストという姿勢に拒否反応を持ちかねないけど、どの国の指導者も自国優先を掲げるのは、当然と言えば当然である。他国から見れば、魅力ある市場から排除されれば商売が難しくなるという、他国側の論理で、それも、各々の国の自国優先主義から出た言葉とも言える。
アメリカファーストを掲げ、どんな施策を執るか?は、指導者の考え方次第であり、その部分に国毎の違いが生まれるのも或る意味当然である。

新大統領の持つ考え方による施策の結果、ホントにアメリカファーストを体感出来る結果になるかどうかは判らないが、既存の手法とは異なる手法に、影響力のある大きな国が舵を取って進むと、その変化に併せて回りも大きく変わるというのは間違い無い事実。
その変革が如何なる結果をもたらすか?極めて楽しみである。

トランプ大統領の支持層がラストベルトに住む人々と言う事で、象徴的な自動車産業の復興を掲げ、アメ車が日本で売れない事を問題視していた。アメ車といえば、広島在住の自分から見ればフォードを真っ先に思い浮かべる。昭和59年頃、オートラマが立ち上げられ、『オートラマに愛に恋』というキャンペーンで、安全地帯の熱視線という曲が流されていたのを覚えているが、そんなオートラマは日本フォードに名を換えて、昨年日本市場から撤退ということになったけど、フォードの車、結構面白い車が多かったような気がする。フォードブランドでもヨーロッパフォード製だけど、Kaという車が売られていたけど、あんな車、あれば欲しいのだが、、、
フォードではないが、90年代ではトヨタがGMのキャバリエを売るというのもあったけど、このような出来事は、背景に各々の時代の日米自動車摩擦が大きく影響しているのは事実。
二輪では、ハーレーが身近になったのは、大型二輪免許が教習所で取れるようになったのが最大の理由だけど、免許制度が変わったのも、ハーレー等を売りたいアメリカの圧力のお陰だ。

どんな形であれ、消費者に別の選択肢が提供されるというのは、結構楽しみだ。もしかしたら、税制改正で、大排気量の自動車の維持費が今の1/2、1/3になるとすれば、アメ車等大きな車が日本で再び脚光を浴びるかも知れないし、そうなると結構楽しみ。
個人的には、カマロのZ28とか、コルベットのZR-1とか、維持費がもっと抑えられれば相当に欲しい存在だったりする。

と言う事で、トランプ大統領の今後の手腕には結構期待したりしている。

因みに、余談だけど、国務長官が親露というのは、もしかしたら、米露の距離と縮めて中国を牽制するのが目的か?のような印象も受ける。米露間の関係が熟した頃に、中国と喧嘩するつもりなのかもしれない。
その為の前線基地として、日韓は必須であり、それ故に速い段階での国防長官のアジア歴訪が計画されたのかも、、、、
米中の喧嘩で、一番厄介なのは、軍事力的に考えればロシアが極めて重要。ロシアの干渉を抑えるには、経済的な結び付きを強化するのが有効だし、そんな印象。
米国からみると、今はEU圏よりもロシアとの結び付きを重視した方が良いのかも知れない。
インド、イスラエルの距離感を考えると、米国は、欧州よりの姿勢から、ロシア、イスラエル、インドというラインを抑えて行くのかもしれない。そう考えると、確かに中国は邪魔に見えるし、そのために日韓でバリケードを維持するというのも合点がいく。ロシア、イスラム、インドの対イスラムの距離感を考えると、米国の大統領令に示されたような方針も納得がいく。

トランプ大統領の政策に批判的な人が多いようだけど、ビジネスマンの満足というと、商売繁盛である。つまり、トランプ政策というのは、米国が利益を得るマーケットを最大限確保するというのが目的であり、そのために世界の枠組みを変えようとしていると考えれば、枠組み維持に無用なコストが発生する問題は、極力排除するという考え方だろう。
軍事費、防衛コスト云々も、掛けるコストに見合った利益が得られると判断する同盟関係は維持し、そうでないモノは削減するという割り切った考え方で望んでいるに過ぎないのではないか?

新しい枠組みに向かう際の紛争として、大戦的な規模の国際紛争が近い内に起こるかもしれない。

こういった面でも、実は密かに応援中だったりする。

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2017年1月23日 (月)

トランプ新政権誕生

トランプ氏の大統領就任、イギリスのEU離脱、不安定化する朝鮮半島情勢、、、2017年は色々と変化がありそうだけど、やはり、インパクトはトランプさんの大統領就任だ。

自国優先主義というのは、別に悪くも何ともないけど、トランプさんの自国優先主義というのは、自国の白人優先主義的に伺える。貿易、経済に関しては、自国市場は自国製造物を消費させ、他国製品には関税を掛けて締め出す。自国生産物を輸出によって黒字を得るというのは、期待しないというのかもしれない。

当然、富を生み出す事は厳しいし、産業が成長するというのも厳しい。新しい産業が外から富を持ち込むというのも厳しいだろうけど、それでも富を集めるために、富を経済活動のみで徴収するという既成概念は持っておらず、使えるモノは全て使うという考えなのかもしれない。1980年代以前にアメリカを支えた産業に従事してきた人達で、産業構造の変化に対応出来なかった?させなかった?人の多さが社会問題化しているのだろうけど、変化してしまった産業構造を元に戻す事自体が不可能だが、そこに富を戻すためには、利益を生めない産業構造で人々を雇い生活を支える必要があるが、何で支えるか?というと、恐らくは、使えるモノは全て使うという考え方で、富を世界中から集めるということかもしれない。

もしかすれば、産業分野に限らず、二国間貿易で結果的に大きな赤字を生まないのであれば、それでヨシとする判断が為されるかも知れない。産業分野で黒字、赤字はあれど、結果的にトントンならOKという判断が為されるかも知れない。そのトントンとなるような関税を慎重に定めるという方向かも知れないが、企業活動が複雑化している現状では難しい気もする。

強大な軍事力に拘る理由は、その軍事力の傘に入る国々から、軍事力の傘に入るための費用を言い値で徴収するという戦略かもしれない。金を払える国とだけ付き合い、その国から富を吸い上げて、国内に富を分配するというのが基本のように伺える。

新しい価値観の産業構造を創世し、世界のマーケットから富を集めるという基本戦略から、兎に角、損得無視で雇用を創出し、損分を別の方法、具体的には安全保障の提供で世界から富を補填するという戦略になるのかもしれない。言い値で富を集める上で、アメリカにとって最大の武器は、強大な軍事力である。最強の軍事力に拘るのは、安全を金で買えという事。絶対的な安全であればあるほど、言い値が通るという論理のようにも見える。

アメリカが世界の警察となるのではなく、アメリカは世界の警備保障会社になって軍事力という最大の武器を商品として商売するような気もする。

付き合う国というのは、アメリカが提供する軍事力の対価を十分払える裕福な国のみという割り切りで、外交戦略的には、EUから距離を置いて独自性を保つ英国であるとか、中東のイスラエルとか、そういう国々を重視するのかもしれない。

アメリカと付き合う国というのは、アメリカにとって旨味のある国ということ。日本が果たしてアメリカにとって旨味があるか?というと、対中戦略次第だろう。対中敵視であるならば、対中軍事力に必要な経費を負担させる対象としての意味があるだけだ。その為の負担増要求は不可避だが、日本に対しては、日本が安全保障上米国から距離をとらせないように、周辺諸国との距離を維持し、生かさず、殺さずで最大限の軍事費負担を求めてくる事が予想される。

こういう考え方だとすれば、案外、当面は上手く行くような気もするが、懸念が無い訳ではない。就任演説を聴いて思ったのは、イスラム過激派に敵対宣言をした事。これに対峙するというのは、如何に強大な軍事力を持っていても、かなり厳しいのではないか?と思う。

更に、世界の危機といえるような動きを完全に消し去る事は恐らく行わないだろう。自国にとっての危機に対しては徹底的に対応するだろうけど、他国の危機は、対処出来る程度に残し、それを煽り、軍事費負担をつり上げるという方向に進む感じだ。

まぁ、どうすれば、自分の武器の商品価値を高く出来るか?に基づいて行動するだけのような気がする。

判りやすく言えば、、、アメリカの『ジャイアン』化のような気がする。好き嫌いがハッキリして、力で何でも手に入れる、、、、それはそれで、面白いけど、、、。

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2016年4月 4日 (月)

最近の政治

どうも、どこの政党の政策も今一感が否めない。
最近話題の安保法制、集団的自衛権の行使一部容認、、、これ、個人的には基本的に反対ではない。積極的に賛成しないけど、国家単独での周辺諸国との対立という構図が思い付かない。
但し、憲法改正だけは反対。憲法を改正して、様々なリスクのある法案に歯止めを掛けるのは不可欠。

後は、反原発、反核は必須事項。原発全敗、核兵器は新たな法案で非核三原則を明文化すべきと考える。

ここだけは、完璧に大原則として遵守して欲しい。

経済政策については、時代なりに時の政権が判断すれば良いとは思うが、先に挙げたモノは経済情勢如何に関わらず厳守するようなのがベスト。アベノミクス云々なんて、正直、どうでも良い。良かろうが、悪かろうが経済政策にリーダーシップが発揮されたことだけは、旧民主よりマシ。旧民主も行政仕分けを完全に遂行するだけの突進力があれば違っただろうに、結局、ウダウダで終わったような印象しかない。掛け声だけの政治は、もうウンザリ。

今の政府与党の政策は非常に危ういものを感じるけど、それでも民進(旧民主、維新)よりはマシ。

個人的には、小泉元首相の掲げるモノが一番望ましい。もっと表に出て、非民進で新しい枠組みを作って欲しいと思う。小泉さん、もう一度、チャレンジしてくれないものか?

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2015年8月 7日 (金)

市民球場跡地には、、、

少なくとも、サッカースタジアムは違うような気がする。立地的に原爆ドームの北側に隣接したエリア、、、、行政の中心に位置する場所で、更に北側には広島城が拡がる場所。

ここをどうする?というと、未だ決まっていないようだけど、果たして、賑わいを求めるだけの施設で良いのか?と考えると、チョット違うような気もする。

個人的には、原爆投下で失われた生活を体験できるような、投下前後の違いが実感として対比できるような施設が一番良いのでは?と思ったりする。
具体的には、当時、原爆投下前の産業奨励館を再現して、中に当時の生活を忍ばせるものを展示したりはできないモノだろうか?

投下前後での違いを1/1で対比して印象を与える事が出来れば、メッセージ性としてもインパクトが高くなるような気もするのだが、そういう提案は無いのだろうか?

今の平和記念公園、原爆ドームというのは、惨状を伝える部分が主だけど、失われた物が何かを伝える方が大事ではないだろうか?失われた物の紹介、失われた後に復興、発展を遂げてきた歴史、広島復興の歴史を現地で生に実物を使って紹介する施設の方がメッセージ性としては重要な気がする。
被ばく前の産業奨励館、町並みの一部、被ばく後に復興した企業の取り組み、発進されていった広島発の製品の歴史を集約するような物、博物館やテーマパークとは違うが、体裁としては、この70年の変化と歩みを文面ではなく物で伝えるような施設が望ましいように思う。

CGでの再現映像は見掛けたり、或いは、企業内のミュージアムには相応の個別展示があるが、それが集約された形で現物で見る機会は無い。これを具現化して欲しい気がする。

賑わいよりも、失われた何か、失われたものを取り戻す営みを伝える施設の方が重要なような気がする。

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原爆70年

原爆投下から70年の節目を迎えた。
そんな原爆を伝える被爆者の平均年齢は80.13歳、被爆者自身が高齢化が進んでいる事が問題となっている。
原爆の被害を構成に伝えるというと、被爆者自身の体験の伝承と、被ばく建物、被ばくした物だ。

被ばく建物で有名なのが原爆ドームで、これは誰もが知っている建物。でも、それ以外の被ばく建物というと、あまり知られていないのが現状。残された被ばく建物については、20年前は100棟あったそうだけど、今は74棟に減っている。広島市所有の14棟については保存対象だが、それ以外は民間に保存の補助、助成を行う事となっているそうだ。

因みに、自身は広島生まれで広島育ち、学校は居住区に最も近い公立学校に通ってきた。そして、親も広島育ちで、原爆投下時に父親が市内に居たので、自身は被ばく二世だ。
広島は原爆で殆どの物が失われており、過去を連想させる物は殆ど消失しているが、思い起こせば、実家には被ばくして鉄が解けたようになった、亀の身体、龍の頭を持つ『龍亀』の香炉があったのを覚えている。今でもあるかも知れない。

他には、広島大学理学部旧一号館は覚えている。大学入学年度が昭和59年度であり、工学部の共通基礎科目で有機化学Ⅰ・Ⅱの授業を、その建物で受講した記憶がある。教官は、原田耕造教授だったはず。教室は階段教室で勾配がかなり急な建物。結構薄暗いイメージがあるが、それから真夏でもヒンヤリするような、そんな記憶が朧気ながらある。あれが被ばく建物そのものだったのだ。
当時は、被ばく建物も授業に使われており、理学部内は結構徘徊したような記憶があるが、理学部の校舎は何時も照明が落とされており薄暗い印象だ。

後は、広島陸軍被服支廠だ。これは幼少期に住んでいた家の近所にあり、この界隈で遊んでいたので覚えているが、今日、テレビで映された映像を見ると、昔のままでビックリである。

原子爆弾という核兵器の威力と惨状というのは、一言で言えば凄まじいもの。物の破壊も、人にも世代を越えて影響を及ぼすもの。これから未来では使う事は許されないモノ。それ程までのモノだというのを伝える意味で、ヒロシマは重要な役割を担っている。仮に、今迄使われていなかったとすれば、その惨状をリアルに実感する事は誰も出来なかっただろう。被ばく建物や、被ばくで損傷したモノ、被爆者の伝承を伝えることが、この惨状を再び起こさせない最大の抑止力になるんだろう。核に対しての抑止力を核で行使するのでなく、伝承を抑止力とするという考え方が理解されるのは、なかなか難しいのかもしれない。

ヒロシマに原爆が落とされたのは不幸な事だが、新たに開発された兵器は行使される運命がある。そして行使の対象として日本の都市が選ばれたのは、当時の様々な条件から避けられなかったのかも知れない。当時の日本の世相のおぞましさは、そら恐ろしいもの。戦時体制下の社会の異常性、特攻を賛美し、全てを軍に捧げる事を賛美する風潮は、現代の某国を見るようで、非常におぞましいものにしか見えないというのが正直な感想だ。

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2015年3月11日 (水)

戦争の終結とは

原子爆弾を始めとした大量破壊兵器、無差別殺戮するので決して好ましいモノではない。
先日、40年ぶりくらいに広島平和公園の原爆資料館に出掛けたのだが、原子爆弾の被害の恐ろしさを再認識したり、東京大空襲70年の特番番組を見たりしたのだが、一方で、このような大量破壊兵器等の残虐な戦争行為について考えさせられるところが多くあった。

はたして、そういう大量破壊兵器、無差別攻撃を、その残虐性から責めるだけというのは正しい事だろうか?考えると、その解答は簡単に出てこないように思う。はたして、そういう行為がなければ、どんな事態に陥ったのだろうか?仮に、原爆投下が行われず、全土に絨毯爆撃が繰り返されたとして、誰かが生き残っていたのだろうか?等を考えたりする。
当時の軍部がどうかは知らないが、最後の一人になっても戦い抜くなんて、アホみたいな精神論を振りかざしていたのは事実だろう。
攻める方も如何に早く終わらせるか?が重大な課題であり、その判断で行動方針が決定されたのも事実だろう。大空襲や原爆投下がなければ、もっと戦争は長引いたかもしれない。
そんな事を考えると、当時の判断も一つの選択肢として正解だったように思う。

今はISILによる紛争状態の解消が国際社会の課題となっているが、今の精密誘導弾による精密爆撃では、恐らく紛争状態終結には繋がらないような気もする。今のISILの戦い方を見ると、太平洋戦争末期の日本の軍部の戦いを最後迄進めるという論理に、何か近い印象を感じるのは自分だけだろうか?

日本の終戦前の状況では、軍部は、女性、子どもに竹槍を持たせ、上陸してくる連合国兵士と戦わせるという無茶な行為を行わせていたようだが、今で言うISIL少年兵との違いはあるのだろうか?
そういう相手に対して、民間人の犠牲をゼロで精密爆撃という方法は、紛争終結を早める目的からすれば、殆ど効果が上がらないようにも思う。

70年前の竹槍訓練を行う、女性、子どもを含めて、それが民間人だったのか?というと、その判断を簡単にする事は困難だったように思う。当時の無差別な絨毯爆撃や、大量破壊兵器を否定するのは簡単だが、国民全てが兵士だという社会では、相手側から見れば、全てが敵だと考えていたとしても不思議ではないとも言える。果たして、原爆は兎も角、無差別爆撃等が行われていなければ、果たして、当時終戦に向かったか?というと、非常に疑わしかったのでは?というのが個人的な感想だ。

大量破壊兵器等の残虐な兵器によって被害を被る事は悲劇としか言いようがないが、当時の状況を今に伝える上では、その悲劇の一面だけを伝えるというのにも違和感を感じるものだ。そういう事態に国家が陥ったのには、当然理由が存在する。遡っていくと、主張が受け容れられないという理由で国際社会から離脱して突っ走った体制こそに原因があるのだろう。主張が受け容れられないからといって武力に打って出るというのは、今で言うテロ国家と然したる違いは無いだろう。
当時の主張が受け容れられないのは、先に国際体制を作った強者側からみれば当然とも言える。そこに差異を付けられて差別と憤慨するというのは、考え方自体が間違っている筈だ。
当時の世界の体制において、一国が反旗を翻したところで、常識的に考えれば体制をひっくり返す事など出来る筈が無い事は、多くの人が判っていただろうが、戦争を主導した勢力には、そんな事が見えなかったのだろう。いや、見えない程に、思考が狂っていたのかもしれない。そんな体制が主導する国に、敗戦を認めさせ戦争を早期終結させるためには、空襲等の無差別爆撃が一定の効果があったという考え方もアリだろう。そんな事を考えると、ISILのテロ紛争を終結させるには、精密爆撃以外の選択肢の可能性も考慮すべきのように思う。そうでなければ、地上部隊投入というやり方では、攻める側の被害も拡大するだろうし、早期終結は無理のような気もするのだが、、、、

終戦を早めるために行われた様々な行為には、多くの悲惨な状況が生まれるが、それを被害と捉えるべきかどうか?というと、非常に難しい。被災、損害ではあるが、被害とは違うようにも思える。そんな戦争というのは、勝てば正義、負ければ悪である。仮に、同じ行為をしていたとしても、責められるのは負けた方だ。害を被るという被害は、正しい(勝った)方が受けた損害の事で、負けた方の損害は、少なくとも勝った方による被害とは異なるものだろう。敢えて言えば、負けた側の損害というのは、そういう事態に引き込んだ主導部の行為による被害ということだろう。
異論を唱える人は居るだろうが、個人的には、大空襲や原爆投下による被害の責任は、少なくとも投下した側でなく、そういう戦局に国家を追い込んだ主導部にあると考えている。

戦争状態となれば、人権を無視するような酷い行為が行われているだろうが、その行為が責められるのは、あくまでも負けた方が責められるのである。敗れた方が、戦争において残虐な行為は誰もが行っているというのは、そもそも間違いであり、誰もが行っていたとしても、その行為の責任を取らされるのは、敗れた方なのだ。大量破壊兵器や、非人道兵器も然りで、それによって勝者が被害を受けた場合、責任を問われるのは敗れた方だろう。それが戦争なのだ。戦争故に、常軌を逸した行動も生まれるのは、恐らく集団、社会の心理状態を想像すれば、非人間的な行為の異常性自体に気付かなくなるのだろう。それは、恐らく仕方ない事のように思う。ただ。戦争が終結して、我に返った時に、その異常性に気付くのだが、その異常性によって被害を被ったとしても、その責任を負うのは敗者のみというのも戦争の特徴だ。

冷静に考えれば、異常な行為のオンパレードであり、このような行為は、勝者、敗者関係なく、恨み、遺恨を残すのは間違い無いのだが、このような行為の責任の所在を考えると、その時代の、その体制こそが問題なのである。よって、紛争というのは、終結後に、その世代の当事者同士の条約等の約束事を決め合う事で終結させるべきものでもある。
その約束(条約)が結ばれれば、そこで初めて紛争状態、戦争状態は終結し、関係が正常化するのである。条約に明示された義務を果たす事が、過去の清算に相当するのだ。

戦後70年を迎えるにあたり、過去の体制主導により、様々な被害を与えた事は事実だが、一方で、国際ルールに則った戦後処理も確実に行って、その義務を果たした事も事実である。
日本による戦争被害を被った側への反省は必要なのは当然だが、それは国同士の戦後処理の約束によって義務を果たした事を告げる事も重要だ。そして、未来においては、約束事を約束事として守る関係が保てる国々と手を携えていくという宣言で締めくくるべきのように思う。まぁ、約束毎を反故するような体制とは、価値観を共有して手を組めないと言う事だが、、、

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2014年12月27日 (土)

生活の党と山本太郎となかまたち

思わず、吹き出してしまった、、、、、。
舐めているのか?とも思ったけど、まさか、こういう路線を小沢さんが受け容れるとは想像だにしていなかった。
イメージとしては、亀井さんを頼るのか?とも思ったけど、仮に亀井さんと組んでも、世間の印象というか、世間受けは芳しくないだろうと思っていたけど、小沢さんと山本太郎さんの組み合わせには驚きである。

もしかして、『郎』繋がりか?

まぁ、原発を明確に反対して進んでくれるなら、それはそれで良いかも知れない。
原発廃止というのは、今の政党で訴えるところは共産党と生活の党くらい、、、、しかし、潜在する民意においては原発廃止は少なくないという意味では、面白いかも知れない。

『郎』繋がりで、純一郎さんが乱入してくれると、これはこれで面白くなりそうだが、、、、

個人的には、原発無し前提での社会構築を具体的に提示してくれるなら、それはそれで良いと思う。少なくとも、田舎に原発作って都会が利用するというモデルを否定して、地産地消ではないが、都会が利用するなら都会の大深度に原発を作れ的な論調を盛り上げるべき。

原発廃止で、このお笑いのような政党に、純一郎さんとか、或いは、著名人が一つとして纏まれば世の中に革新の目が生まれるような気もする。
原発のない世の中を作るために必要な消費体系はどうするか?産業構造をどうするか?と話を進めていけば、案外、外交、防衛、基地問題等々にも何らかの影響を与えるようにも思える。世の中自体は、高度な複雑システムであり、大前提としての目的を何処に選ぶか?によって、カオスではないが、全てに多大な影響を及ぼすものである。

もしかして、以前の『国民の生活が第一』と『日本未来の党』の合併の際も、底流に原発廃止が根底にあったのかもしれない。あの時は、時期尚早で惨敗となったのだろうけど、あの流れは必要な流れだったようにも思える。

まぁ、あまり期待できるものではないが、それでも気になる。これからの賛同者次第だろうけど、果たして、、、、。

少なくとも、少人数政党なんだから、もっと判りやすい名前に変えないと選挙は戦えない。

次は、『反核生活の党』なんて名称の方が良いような気もする。

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2014年10月20日 (月)

政治と金

地元名産のネギを配って地域をアピール、観劇会で懇親を深める、贈答品に育児用品、化粧品、、、、そういう配慮をしないと、覚えて貰えず、投票して貰えないものなのか?
そもそもの原因は議員個人の製作が見えないので、有権者から見て何しているか判らないから、目に見えて判るメリットを得られる議員を選ぶという体質が原因。
しかし、、、社交儀礼として政治資金から拠出、、、、これは違和感を感じる。そもそも、有権者にお歳暮、お中元禁止となっているけど、これ自体も考えてみれば国民性、風習に合っているか?というと、禁止する程でもないような気もする。普通の人はお歳暮、お中元は、経費ではなく個人のポケットマネーで行うもの。議員も然りで良いような気もする。面識がある人に対してお中元、お歳暮して何が悪い?とも思う。但し、面識が無いような人にお中元、お歳暮を票目当てで行うのがアウトなだけで、その辺の仕組み作りから考え直した方が良いような、そんな印象。
そもそも、後援会活動を本人が理解していないというのは、恐らく、小渕氏に限らない話だろう。そういう関係の中で監督責任とか、うちわ云々とか、、、正直、どうでもいい話。こんな話で論議を遅延させるっていうのは、、、野党も野党、、、勿論、後援会の収支報告書もいい加減過ぎるけど、私的流用とか贈収賄とかそう言う事実が無い事が証明出来れば、報告書作成の責任者の問題で終わりのような気もする。

恐らく、政治家の殆どが、調べ上げればボロがでそう、、、、そんな気がする。

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2014年9月17日 (水)

独立?

イギリスからスコットランドが独立?
元々違う所が集まったので、別れる、、、まぁ、普通かもしれない。
でも、ウクライナからクリミアに続き、東部地域が独立、、、或いは、中国からウイグル自治区が独立、、、、これは、全部同じような気もするし、地域に生活する人の総意を尊重するというのが筋のような気もする。

望まない総意なら従来通りだろうけど、総意として独立を望むなら母体側は拒む権利は無いような気もする。

そもそも、ことなる風習、習慣の民族を都合で纏める事自体に無理があるような気もする。

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