2009年12月 6日 (日)

新型インフルエンザワクチン

 今日、二歳の長男に新型インフルエンザのワクチン予防接種を受けさせた。
 予定は明日午前中だったんだが、今日の夕方、小児科の前で偶然、看護婦さんと会ったのだが、小児科の土曜午後の予約者ワクチン接種が終わったタイミングだったため、『明日の予定を今は可能?』って聞くと、『OK!』の返事で、急遽繰上接種したのである。

 これで、取り敢えず下の子には予防接種一回目完了となった。二回目は1/17頃なんだそうだが、次は小学一年の娘だ。その予約も併せて済ませた。

 ただ、娘の小学校では既に200人以上がインフルエンザ感染となった模様、娘のクラスで言えば、娘以外全員が感染したらしいが、未だ元気で不思議な気分。 果たして、感染していないのか?感染しても発症しなかったのか?は不明だが、どうせ感染発症するならば、年末の押し迫り過ぎない時期の方が望ましいと思ったりする。

 因みに、二歳の息子は生まれて今まで病気で病院に行った事は無い。風邪もひかない。健康診断と外傷のみ。実は我が家は夜間診療病院に行った事は皆無なのだ。

 果たして、元気なのか?鈍感なのか?よくわからないけど、、、まぁ、自分自身も物心ついて以降、風邪引いたとか、熱が出たとかの記憶はない。風邪引いたら水泳!って事は記憶があるけど、病気には縁遠い。遺伝的に皆元気なんなら良いけど、そうではないだろうなぁ、、、

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2009年12月 4日 (金)

単車のメカニズム

 単車で峠を走る。上り坂、下り坂とあるけど、どちらを走るにしても基本は、フロントタイヤに荷重は載っていても、フォークの自由度を奪うような腕の荷重は載せないのが鉄則。つまり、身体は腕で支えない。下半身で支える。下半身で支えながらも、重心位置を何処に持ち込むかを留意しながら身体の重心をコントロールする。つまり、アクションを開始する前の重心位置を身体の重心を動かす事で、新しい重心位置に移行させるような感覚。いってみれば、動きを不安定にしている。不安定な動きを解消するには、車体を安定させる。安定させるのは前輪に載せた荷重を抜く操作が必要。それがトラクション。トラクションを掛けるには、不安定な状態から安定した状態に移行させるための体位の入れ換えとアクセル操作だ。

 そういう事を念頭に入れて、この動きを得るためには、アクションとして何を支配的に行うか?それを考える。そういう操作を行う時には、何が必要か?で見えたモノを取り入れる。そんな感じだ。

 そういう考え方は、動作に留まらず、機構についても考える。速くアクセルを開けるためには、どういう挙動が必要か?その挙動を得るには何が適切か?それを考える。その操作を行う時、操作系の位置関係や作動性は何が大切か?何処を押さえるべきか?それこそが、個人の拘りであり、個人の実践を支えるバックボーンというか機材の要点だったりする。そして、機材やセッティングを作り出す時に、その拘りを最も近道に与えてくれる構成に何を選ぶべきか?が道具選びの第一歩である。

 勿論、道具であるからには、それを使う場面で、どう使う?がイメージできていないと選べないから、そういう理想を描く事も大事なのである。

 因みに、ここで考える事っていうのは、本に載っている事でなく、自分で行う上で感じた事に限定して考えるのが大事。人の話や一般論を欲張りに取り入れようとするほどに、自分の感覚で得たモノの情報が希薄になって、拘るべきモノが与えてくれる信号が感じ取れなくなるからだ。感じたモノを一つずつクリアにする。これが大事なのである。その積み重ねが、多くのモノを見抜く力を養うものであり、それが経験というものなのだ。

 これは、単車に限らない。チャリンコでも同じだ。何処に痛みも感じない乗り方、楽勝の高回転ペダリング、、、、色々あるけど、基本は、同じ考え方が通用する。自分のモデルを創る事。自分のモデルだけを自分で検証する。モデル作りは自由だが、検証に際しては、道理に適った理屈が必要。そういう意味で、子供やバカには出来ない世界があるのは事実。理屈や知識無しに答えを出せる人も稀に存在するが、それは極一握りの天才である。多くの一般人には、感性だけで答えは出せない。まぁ、感性だけで答えが出せる人っていうのは、ジャンルを問わず誰にも真似できない特技を持っているが、何の取り柄もない奴には、感性なんぞ無い訳であり、自分を含めた凡人の多くに必要なのは、やはり、細分化して考えた時に正誤を判定するだけの知識や論理だ。

 何かを進める時、大事なのは、テーマを細分して、その正誤判定を行うに必要な知識だ。そういう考え方が、単車の操作等々に役立つのである。

 持論だが、義務教育を始めとする教育っていうのは、生活における様々なイベントを処理する時の方法論を学ぶためにある。その実践の場は、仕事に限らず、趣味や遊びにも言えるのである。

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2009年12月 3日 (木)

褒め方、叱り方

 我が家は上が娘、下が息子の兄弟だ。
 上が小学校一年生、下は未だ二歳、、、それ故に、叱る頻度は娘の方が多い。下は叱るというか、そういう次元には達していない。

 上は叱ってばかりでは言う事を聞かない。しかし、褒めてどうか?っていうと、世間で言うほど簡単に木に登らない。褒めるといい気になる程度だ。

 しかし、下も二歳で、そろそろ叱るというか、躾ることが大事ということで、躾を厳しく言い聞かせる事を始めたところだが、そうすると、上が変わる。叱っても、褒めても思い通りに動かない癖に、兄弟を躾る、、、叱るように見えると、自分は違うとアピールするためか、予想外にマトモな動きを始める。

 チョット、笑ってしまった。結構、面白い。この辺を使い分ける事も育児のテクニックなのかなぁ?と気が付いたのだが、冷静に考えると、当然といえば当然だ。子供っていうのは、そんな生き物なのである。

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2009年10月20日 (火)

時間配分のプライオリティ

 秋というと、色んなイベントが目白押しである。自転車ネタでいうと、地元なら中国サイクルGPとか、しまなみアイランドライドとか、、、結構、盛況のようだ。
 秋に限らず、日曜日の風景で印象に残るのは、朝9時~10時前は北部に出掛けるサイクリストとよくすれ違う。すれ違う理由は?っていうと、自分は7時台から走って9時台に帰宅するからだが、多くの人は9時台以降に出掛ける様子だ。

 この何処が不思議っていうと、すれ違う人の多くは三十代、四十代という世代で多分同世代が少なくないと思うのだが、、、それ故に不思議だな?って思うのだ。

 何故不思議?っていうと、日曜日の過ごし方は、家族と一緒にというのが基本であり、買い物にしろ、お出かけにしろ、そういうのが優先されるのでは?という思いがあるからである。我が家でのお出かけというと、遠出の場合は9時過ぎ、近場で買い物の場合は10時前に出発というパターン、、、、それ故に、自転車に乗るのは、それ以前の話。だから、チョット早起きして活動して、その後に家族と行動を共にするのである。
 秋は?っていうと、子供が幼稚園、小学校の間は、、、、、運動会、作品展、秋祭り、亥の子祭り、習い事してれば発表会、男と女の子が居れば七五三の前撮り等々と目白押しであり、色んなイベントは勿論、仲間内でのツーリング、サイクリングで予定を入れるのは実質不可能な状態。

 でも、多くの人は、どうにか時間のやりくりをして時間を作られているようで、或る意味感心するのである。

 まぁ、大学生の時代に合コン等で週に数回は飲み歩いていたが、そこで思うのは、平日、週末関わらず、深夜時間帯に繁華街を彷徨くスーツ姿のサラリーマンは、何故、こんな時間に繁華街でふらついているのだろうか?って疑問だが、これも今考えれば、そういう時間を確保する事に成功しているから、それが出来るんだろうと感心せざるを得ないのである。

 正直、自分の生活時間を日単位、週単位、年単位と見て、殆ど時間の隙間が無いような印象。なかなか、自分だけで連続した時間を確保するのは難しいかな?というのが正直な気持ちである。どんなに確保しても年に二~三日程度だろう。それでも夕刻には帰宅するのがデフォルトであり、そう考えると、連続して確保できる時間は10時間未満、、、自ずと行動は制限されるのが現実なのだ。

 そういう現実では、なかなか思い通りの趣味生活は出来ないし、年に僅かのお出かけであっても、当然、家族への配慮は欠かせない。この辺が独身の頃とは大きく懸け離れている。

 日々の時間の隙間の利用法も健康維持のために時間を配分(日頃の運動習慣の確保)すると、ホント自分の好き勝手時間っていうのは一日に1時間も確保し辛いのが現実、、、、歳を取ると、周囲からも、内面からも色んな制約を受けるモノである。まぁ、制約があるからこそ、工夫して、時間の使い方を考えるのだろう。

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2009年8月25日 (火)

沐浴~風呂入れにて、、、、

 2歳の息子は生まれた時から風呂に入れている。7歳の娘の方は、生まれてから三ヶ月程は沐浴を担当したけど、その後は嫁が風呂入れをしているのだが、息子の方は、生まれてからずっと自分が風呂入れをしている。

 風呂入れで最初に遭遇したトラブルは、巨大児で巨大頭故に、耳に水が入らないように手の指で塞いで頭洗いを繰り返した結果発症した左手首のド・ケルバン腱鞘炎である。
 丁度一年前の7月~8月が痛みのピークで朝起きたら手の感覚が無い程だったのだが、その痛みの原因が腱鞘炎か?と認識して手首に負担が掛からないような生活に改めて治癒に到ったのだが、、、、

 今回は二つ目のトラブル?である。自分のトラブルではなく、息子の方の問題。
 小児科に連れて行くと、おちんちんの掃除はしっかりしなさい!と健診で聞いていたので、垢が溜まらないように綺麗に掃除していたのだが、ある日、包皮の奥の方に米粒大の白い固まりが透けて見えたのだ。これが三つである。
 息子自体は痛みを訴えることは無いようなので放置していたのだが、これが徐々に大きくなる。大きくなって先端方向に移動しつつあるように見える。

 そこで、色々調べてみると、これは脂肪の固まりで乳幼児には良くある事、、、、ということで気に留めずにいたのだが、念のために二歳健診で医師に尋ねると、先に出てくるので、出てきたら綺麗に取って洗う事ということで、出口に出てきた時に取り除くようにしている。

 合計三個あったのだが、最初の一個目が6月頃に先端にやって来たので摘んで出した。出てきたのは、モロ脂肪の固まりで、ニキビの芯のようなモノ。これを取り出すのは結構大変なのだ。息子は嫌がる。逃げまくろうとする。でも取りたい、、、、取る時は、小さなちんちんの小さな脂肪の固まりだから、これが難儀なのだ。一個目を取り除いた時、その瞬間は嫌がっていたけど、取り除いた後は息子自体は気にしていない様子。但し、おむつの中でオシッコをしている最中はチンチンが浸みるように痛みを感じていた様子。

 その後、二個目が出てきたのが8月頭、但し、海水浴前で海水浴で痛みを感じると可哀相なんで、海水浴終了後に再度除去、、、、二個目は一個目の二倍程のサイズだが、これが大変。取り除く作業は息子との闘いである。それでも、二個目も一個目同様に取り除き、出てきたモノも一個目と同じく脂肪の固まりっぽいもの。

 残すは最期の一個だが、これは未だ先端からは距離がある場所故に、暫くは放置予定。出口に到達してきたら自然と取れるのを促す程度で再度トライするつもりだ。因みに、これは、恥垢といっておちんちんの垢の集まり。恥垢は塊が大きくなることで包皮が自然に剥離するのを促す効果があるとも言われている一方で、そのままでは良くないという意見もある。今回は医師の指導に従って、取れそうな状況のモノに関して取るというスタンスで、無理矢理取るという事はしない。

 いろんな説があるようだが、二個程取れると、おちんちんの皮が剥けやすくなってきたようで、赤ちゃんの仮性包茎を恥垢が改善してくれるって説も尤もなのか?と納得している。

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2009年8月 3日 (月)

短気は損気?

 我が家の娘は小学校一年生である。
 基本、特に大きな期待を持っている訳でもなく、好き勝手育てば良い?って乗りで結構放置プレイ的なんだが、見ていて我慢ならないことがある。

 それは、、、、基本的な事が遅いのである。別に、勉強が遅いとか、、、、そういうのは構わないけど、飯食ったり、風呂入ったりって動作に到るまでの間合いが長過ぎる事、そして、その動作自体も遅いのだ。

 これがイライラするのだ。イライラして怒るのは最終手段だが、約束を決めて一定以上の時間を要すると、サッサと片付けたり、食卓から離脱して他の遊びをしたりするのである。幸い、下の子は割とサッサと物事を片付けるので気にならないが、上の子は鈍くさいのだ。

 鈍くさい動きをみると、我が子でもむかつくのである。

 ふと、思うと、、、、鈍くさい、ノロクサイ、鈍い、かったるい、遅い、トロイ、、、、そういうのが性格的に嫌いみたい。

 思うのは、サッサと片付けれる事は極力短時間で終えれば、残った時間を十分に活用出来るという思いがあり、無駄に時間を過ごすっていうのが、どうも性に合わないのだ。
 我が子に対しても、そう思うくらいだから、他人に対しても、当然、思うのだ。

 無意味な動き、無駄な動き、そんな時間の使い方、、、、どうも好きになれないのである。気持ちよいほどにサッサと出来る人、そういうのは傍目に見て気持ちよい。

 ただ、それしか出来ないというか、素早く出来ない人を責める気は無いが、出来ない筈が無い作業が出来ない様を見ると、特にむかつくものである。

 具体的には、携帯電話運転でノロノロ運転するようなオッサンとか、こういうのは特にむかつく。後は、時間を掛ける程度が判断出来ず、なんか異様に遅いのもダメだ。異様に遅いっていうと、自分が基準になるけど、自分の作業の、、、、、そうだなぁ、同じ作業して5倍も時間が掛かる様な状況を見ると多分苛つくだろう。そんな感じである。

 勿論、急いでやってろくな事は無い!って事も判るけど、その逆も然りの筈なのだ。

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2009年7月23日 (木)

金魚すくい

 先週末、地元商店街主催の夏祭りがあった。
 毎年恒例で、家族で出掛けるのだが、そこでの夜店っていうと、毎年同じだが、子供は毎年同じ事をやっている。まぁ、それはそれでよい。で、何やるか?っていうと、くじ、ヨーヨーすくい、スーパーボールすくい、、、、それから綿菓子、かき氷、、、、変わったところでは、地元の商店街ということで、デコネイルってマニキュアサービスみたいなもの。金魚すくいもあるけれど、基本はパスである。去年もパスしたのが金魚すくい。

 金魚すくいについては、一昨年は金魚すくいを行ったのが最後。その時は全部で3匹ゲットだったけど、その夜の内に一匹死んで、翌日に更に一匹、その後数日で最後の一匹も死んだのだが、そんな事もあって昨年は金魚すくいはパス、今年もパスの予定だった。

 そもそも、生き物を飼うっていうのは、自分的には反対だ。犬も猫も、、、、どんな動物も飼うのは反対なのだ。

 生き物を飼うっていうのは、命を預かるってことだから、瞬間的な感情で可愛いから!って理由だけではダメだ。いつ何時も、どんな事があっても、細心の注意を払って飼う事が出来ないと認めれない。それが出来ないと許せないのが自分の考え。

 昨年、カブトムシを娘のリクエストに従って飼育したけど、結構簡単に死なせてしまったのだが、それも結局は飼育するに見合わない世話しか出来なかったから。
 命を奪うような飼い方しか出来ない奴は、飼う資格無しである。犬の世話でも然り。犬は散歩が大好きで、散歩に毎日連れて行き、排泄物の世話もしっかり出来ない奴は買う資格無いのだ。実際、散歩に連れて行かない人も居るし、散歩に連れて行っても排泄物を放置するバカがあまりにも多いが、その辺の世話が全て行える人間以外、飼う資格は無いのである。

 自身、自分の子が世話が出来るかどうか?っていうのは、日常生活で最低でも一つは決めた事が毎日さぼらず続けれるか?で判断するのだが、その辺が曖昧では認めれない。
 自身、幼少の頃から、ひよこから鶏迄成長させた飼育経験、ジュウシマツを大繁殖させて寿命で無くなる迄飼育したり、昆虫、亀、、、、色々と飼育したけど、そういう飼育が出来るかどうかは、飼う側の資質が大事なのだ。そういう訳で、取り敢えず、小学一年生に金魚を飼わせる気は全く無かったのだが、息子の世話をしている時、嫁と娘、娘の同級生でどさくさに紛れて金魚すくいで金魚を三匹ゲットした様子。

 その後、金魚を袋にいれて持って、デコネイルの行列を待っている最中にはしゃいで袋が破れ、水が漏れ始めた、、、、それで、水が無くなっては金魚が死ぬから!って事で、デコネイルを諦めて帰ろう!っていうと、金魚は死んでも良い!なんて言うから、ブチ切れ、、無く子を強引に連れて帰ったのだ。それで、どうにか水が無くなる前に帰宅して、どうにか容器に入れて事なきを得た。帰宅した時には、既に金魚に関心が薄くなっているのが腹立たしいところ、、、、しかし、そこに金魚が居る限り、金魚にとって十分な環境を必要か?ということで、僅か100円の金魚に、水槽、敷石、エアーポンプ等々で飼育セットを準備して飼育が始まった。金魚の水槽の配置はどうしようか?と考えた結果、夜は暗くして、昼は明るい、、、っていうか自然のリズムに近いのがベストということで、玄関先に設置を決定。玄関先にはエアポンプ用のコンセントが無い、、、ということで、脱衣所のコンセントから延長コードを用い、床下配線して下駄箱迄引き出して、そこに接続、、、、そのための屋内配線工事を行って、水槽設置して完了。勿論、敷石は洗浄し、水槽の水もカルキ抜きして準備。この段階から作業はずっと一人、、、、水槽、敷石、水シダ等セット完了しても金魚を水槽に入れた瞬間には関心が有ったようだが、それも1日も経つと誰も世話しない、、、、、結局、自分がやっているのが腑に落ちないところ。

 一昨年、金魚が直ぐ死んだのは、やはり飼育環境の水量の少なさ、、、水が少ないと直ぐに濁って、汚れて、酸欠になって、、、、ということ。実際、適当な容器で飼育していたのだが、今回は割とマトモな15L級の水槽。金魚の数を増やさない限りは大丈夫。

 今回、金魚は普通の金魚で三匹しか居ない。取り敢えず、病気に為らないように大きく育てるつもり。

 そして、今回の夏祭りが夏休み初日だったわけで、その入手の経緯、飼育環境の準備を含め、娘の夏休みの自由研究の一つにしようかな?と思っている。

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2009年7月13日 (月)

過保護と過期待

 大雨洪水警報が発令されると、小学校は自宅待機になるんだそうだ。
 今の時代、連絡網が携帯Eメールでやってくる。

 それによると、警報が発令されると自宅待機、そして午前11時時点で解除されたら午後から授業、解除されなかったら休みとなる。

 こんな事、昔は無かったけど、、、、凄いモンである。

 これを過保護と言ってはいけないのだろうが、違和感を感じる。確かに、大雨で行方不明なんてなれば洒落にならないけど、其処まですべきか?というのは、、、、大雨洪水警報でも冠水のリスクの無い経路を選べば済むような気もする。

 昔を思い出すと、大雨で側溝を水が凄い勢いで流れている時は、色んなモノを流しながら、それを追っかけて学校に通っていた記憶もあるし、大雨とはどんな状況?を肌身で感じながら過ごしてきたようにも思う。

 それは、そうと、我が家の娘は1年生だが、同級生は凄い多くの習い事をしているらしい。で、我が家は?っていうと、まともな習い事は一切無し。少なくとも、塾系の教育は皆無である。公文、そろばん、いろいろと有るけれど、どうだって良い。特に学習塾関連は、通わせない方が良いかな?と思うのが正直な意見である。

 大体、受験とか学習とか、それで行う事っていうのは、通常のカリキュラムに先行するだけの教育も少なくない。別に、早い時期教える必要があるの?という気もする。
 暗算、計算が速い、、、、それにしても違和感を感じる。何故ならば、確立された手順を覚える事でトレースするだけの話。言ってみれば、慣れやすい時期にやれば慣れるだけの話。慣れた結果が計算の速さかもしれないが、それが何に役立つか?というと、正直どうでも良いように思うのである。
 塾関連での印象は、結局はテストで高得点、受験で有利というのがターゲットであり、そこに価値観が持てるかどうか?なんだろうが、表面的、点数的に高い点数がエライか?というと、どうでも良いのである。

 自分の意見としては、例えば、計算にしてもだが、人に聞いたやり方を高速トレースして答えを出す事よりも、そういう事を知らないでも、子供のレベルなりに自分の出来る方法を駆使して速く計算できる方法を探り実践する能力の方が遙かに重要と思うのである。

 トレースは、何処まで言ってもトレースであり、独自発想とは異なるモノ。大事なのは、成長毎に身に付けた知識を組み合わせて生む発想力であり、それは、自発的な体験を積み重ねさせる生活を如何に与えるか?が重要な筈である。

 親から子への遺伝とは、親の日常行動を子に見せる事。そこには親の工夫が有るはずだが、それを無意識に見るのが子への伝承だと考えている。
 何でも、人任せな親を見る子は、そんな大人になるだけだ。色んな工夫で対応する親をみれば、そういう方法もアリか!を自覚して、自身がそういうトライを行うようにモノを見るのが子供の成長だと考えている。

 結局は、親が子供に期待を掛けすぎるのは、自分の過去の後悔から期待を子供に託すということで、一族の伝承という面では、過期待以外の何ものでもないのだ。

 期待せずに自分のありのままを見せて、後は子供次第でほったらかす。これが良いように思うのである。

 小さいから刃物を遠ざける、、、なんて事はしない。1歳でもハサミを持ちたければ持たせる。今や、危険な遊びも笑いながらやっている。6歳児と2歳児が家の中で二人乗りしてバランシングバイクで暴走するのである。自分的には理想なのだ。

 仮に塾に通わせるとすると、少なくとも点数重視の塾はどうでも良い。科目に潜む本質、科目の存在理由をそれと無しに伝える事が出来る塾にしたい。
 自分の眼で見た限り、そういう塾は存在しない。敢えて言えば、自分で起業して経営していた塾程度かな?というのが偽らざる感想。それ故に、将来は塾を初めても良いかな?と思う今日この頃である。

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2009年7月 8日 (水)

話題の育児

 脳科学おばあちゃんの育児が話題である。
 テレビで取り上げられて視聴率も相当なモノ。そして、その実績とキャラから注目も高い様子。

 確かに、おばあちゃんの経歴も、だんなさんの経歴も申し分なく、お子さんの実績も完璧で、天才は作れる!って事も確かかも知れない。

 ただ、これに集中する親の心理だけは、今一つピンと来ないというか、教室に通っても同じ成果には到らないのでは?というのが正直な感想。
 天才子供の紹介番組は歴史上色々みたけど、その行く末がどうよ?っていうと、必ずしも、天才に見合った成長を遂げたか?も知らない。

 子供の成長において知識の吸収速度が速く、早い段階での学力習得が出来たとしても、到達したところが同じなら、別にイイのでは?というのが自分の考えである。早い成長には回り道させない事が道理かも知れないが、回り道故に、それが回り道と自覚する回路を生むかどうか?は、回り道しなければ判らないのも事実。

 遅くても、回り道しても、何でも良いから、結局は、意志を発揮するのが大事だと思うと、育児には子供なりにほったらかしが一番か?とも思うのである。ほったらかし+疑問に応える事だけで十分では無いだろうか?

 言えるのは、育児において、己の生活環境や経歴から、脳科学という分野に育児の方法論を見つけ、それを実践しようという発想に到った事実自体であり、その方法論を発想したがために、育児で遭遇する様々な対応を、自分なりの判断で行動した結果が今のおばあちゃんの意識の筈である。
 つまり、自分で閃いて実践したから得た成果とも言う。

 この成功体験は、その経歴や経験から生みだした自発性に最大の成功理由があり、それなくして、伝聞や指導だけでは、日々遭遇する予測出来ない対応でおばあちゃん通りの対応が出来る筈が無いのである。言わせれば、経歴や経験、知識が全て異なって、それに依存したいという依存心が最初に来る様な親には、同じ結果が得られるか?というと、それはチョット違うだろうという思いが強い。

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2009年7月 5日 (日)

ツール開幕記念!?100kmTTゴッコで遊んでみた。

 今日は7/4、ツール・ド・フランスが始まる日。初日は個人TTということで?TTゴッコをやってみた。

 ちなみに、今大会のツールの最大の目玉というか、ニュースは復活したランス・アームストロング選手だが、彼は18番目の出走で、タイムは15.5kmのコースを20分12秒で平均速度はナント驚きの46km/h!、、、、びっくりである。ゴールシーンではランス選手の強烈に発達した脚の筋肉が印象的である。アベレージで46km/hとは、下り区間で70km/hオーバーとのことで、、、、

 さて、そんな世界はおいておいて、今朝は9時半からホームコース四周回で100km弱の連続走行を行ってみた。
 終わった(ショップに到着した)時間が12時半だから実質3時間未満の高負荷走行である。走行モードは、

1周回目の往路着でジュース+写真撮影で5分程度の停止
1周回目の折り返しから2周回目の折り返し迄連続走行で同じく写真撮影等で5分停止
2周回目の折り返しから3周回目の折り返し迄連続走行で同じく写真撮影等で5分停止
3周回目の折り返しから4周回目の折り返し迄連続走行で同じく写真撮影等で5分停止
4周回目の折り返しから出発点に戻った後はショップへ直行

というパターン。
時間計測すると、
1周目往路が19分、復路22分
2周目往路が19分、復路21分
3周目往路が18分、復路21分
4周目往路が20分、復路24分
で、合計が164分である。往復で24km×4=96kmだ。
35.1km/hが走行時平均速度ということである。

因みにコンディションは往路は結構な追い風で40~45km/hを挟んだ走行、復路は向かい風で35~40km/h程度の走行である(1~3周目)。

しかし、4周目の往路で相当の失速である。一気に落ちた。

でも、ホームコースへの往復と、帰路でのヒルクライム二本で合計で100kmオーバーの距離を半日で走れたのはまずまずだ。 

先日の加計サイクリングが同じく100kmの距離で朝出発で夕方帰宅だが、走ろうと思えば、100kmなら3時間あればお釣りが来る訳だ。でも200kmの走行は6時間は無理っぽいなぁ、、、、200kmの走行は7時間は不要だが、6.5時間程度は掛かりそう。

でも、生活環境的に家を一人で半日以上消えるのは不可能だ。半日抜けでも4周回の全力走行は終わった後の体力の消耗の度合いが激しすぎである。後の家事、育児をやる気が湧かないのはダメダメである。

 35km/hオーバーでの連続走行は三周回が限界かも知れない。距離で70kmチョットが良いところだろう。100kmを伺う走りは不惑過ぎの自分的にはリミットだ。
 ただ、走り終えた時の疲労の度合いは?っていうと、全力で二時間泳いだ時の方がキツイというのが正直な感想だ。実際、今日の走行中の心拍数は最高でも160bpm以下に抑えられており、心肺的には、それほど追い込んだ印象ではない。

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