2009年12月 7日 (月)

イメージ逆転したみたい。

 イメージの変化を感じる今日この頃、、、

 単車の場合は、1970年代から不良、暴走族を経て、ローリング族、レプリカ、峠、レース、そして、その後のアメリカン、SR、ビクスクの頭悪い系のカスタム、ワルぶりオタク系のZ改、カタナ改を経て、今はチョイワルオヤジのオッサンデビュー系重量車~デブ、オタク、、、って感じ。

 自転車の場合は、球技系の運動が出来ないガキンチョの趣味、貧乏くさい交通手段というイメージが長く続いていたけど、今は、スポーティでエコな好印象って感じ。

 そもそも、鈍くさく格好悪い印象は自転車の印象、単車は華やかで恐い印象だったのだが、今や、自転車はスポーティでヘルシー、単車がオタク的な印象が強いようだ。

 これって、時代の価値観の変化故の話だが、、、気が付けば、こうなっていたという驚きを感じるのが偽らざる感想だ。
 でも、時代の価値観がどう変化するか?未来の事は誰も判らない。価値観が変わった時、今、そういう方向に向かっている人のどれだけが今の世界に留まるのだろうか?
 単車では最盛期の1/10程度の販売台数になっている程に大きな変化があったけど、自転車でもどうなるか?判らない。

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単車の醍醐味

 二輪車でも単車と自転車はまるっきり違う。
 最近は僅かな距離でも努めて乗るようにしているのだが、ガレージから出て団地を下る過程でもそう感じる事が多い。

 自転車に乗って爽快!って思うのは、やっぱり或る程度の負荷を与えて漕ぐという状態が必須である。漕ぐという行為で得られる結果に拘わらず、自分なりに漕いだだけで身体が暖まり、精神が高揚し、心地良くなる。自転車の場合は、取り敢えず漕いで走り回ればそれだけで満足感を得て楽しくなるという要素がある。無意識に、何も考えなくても楽しいという感じがある。

 しかし、単車に乗って爽快!っていうのは、乗っているだけでは、そう感じられる事は少ない。単車で爽快とか楽しいとかの感覚を得る状態っていうのは、より限られた瞬間だけのように思う。普通に運転していて楽しいか?というと、必ずしもそうではない。
 単車で楽しい瞬間というのは、積極的な操作を心掛けて実行した時に、イメージ通りに出来た時である。運転操作では、目から入る情報を処理して上手い具合に行おうとする訳だが、上手くできたというのは、情報から思い描く理想通りに出来たということ。入ってくる情報にしっかり対応するということ。瞬間瞬間の思い通り感というのが爽快感というモノに大きな影響を及ぼしている。爽快感=上手く乗れたという実感である。

 発進する。右折、左折、Uターン、、、、色々あるけど、その操作一つに意識を集中し操作を積み重ねる。家から出て最初のコーナーを通過しただけで、イイ感じ!って感覚が得られるのは単車ならではの世界。イイ感じ!って感覚を得るには、見た情報に基づいて、ブリッピングしながらシフトダウンし、それと同時に制動動作を行う。荷重は前に載せながらもハンドルの自由度は奪わない、、、そういうバランスを保ちながら身体を支え、想定する速度で狙ったラインを一発で処理するのに必要なアングルを瞬間的に作り出す。と、同時に、車体の安定を保つべくアクセルワークと四肢で車体の重心を整えながら立ち上がる。どんな速度域、どんな路面、どんな曲率であれ、見た瞬間に状況なりに併せて、実践する走りのイメージを作り上げて、適切に実践する。その実践が思い通りであれば、その瞬間に爽快感が湧き上がる。実際、どんな瞬間でもイイ感じに乗れているな!って思う事は多く、こういう感覚は自転車では感じた事がない。これこそが単車の醍醐味だ。

 自転車の場合、状況を処理して瞬間で対応するという要素は少ない。頑張るほど周りを見ていない場合が少なくない。しかし、単車では逆だ。高度な状況になるほど、周囲から取り入れる情報の精度を高める必要性が高まる。

 筋肉を始めとする身体の使い方は全く異質なもの。自転車の場合は、連続的な筋肉運動が主で、それを持続的に維持するような安定した呼吸の継続という感じだが、単車は違う。筋肉の運動は瞬発的で断続的な運動となる。呼吸も安定したリズムを刻む質とは異なり、大きな変動を伴ったモノとなる。因みに、峠に遊びに出掛けた時、単車を扱っている時に記録する最高心拍数はどのくらいか?っていうと、最高で180bpm程度にはなる事は少なくないのである。筋肉がどうこうよりも、緊張度が高いのである。速度の次元が全く違い、非常に多くの情報を素早く処理し、繊細な動作を過不足なく適切に行うという状況は自転車とは全く異なるものである。
 状況に対する判断を考えると、処理すべき情報量は圧倒的に多く、どんな状況であっても速度的には自転車以上であり、多くの情報を一気に処理して、適切に行動するというのは、予想以上の負荷なのである。

 そんな訳で単車の醍醐味というのは、どんなに自転車に割く趣味時間が増えても色褪せない。自転車に乗る時間が増えるほど、単車の面白さが再認識される。
 不思議なモノである。

 昨日、レースクイーンから転身してフォーミュラレーサーになられた方の特集をやっていた。彼女の運動スケジュールは、基本メニューが水泳3km、自転車100km、筋トレという、、、これって、男性でも続ける事は難しい。
 先日、伊藤真一選手のレース中での心拍数の話がテレビで紹介されていた。最高で200bpmというレベルになるという。
 メディアで紹介されているのは一部だけど、職業とするモータースポーツの選手の身体の鍛え方は並ではないのだ。

 勿論、そう言う事が絶対必要か?というと、競技者でない限りは必要でないかもしれないが、競技者が垣間見る世界に踏み込む時には、やはり必要性があるから皆鍛える訳だ。趣味の世界のライダーであっても、そういう世界に入るには、そのための資質が必要な事を知っている人は少なくない。そういう世界を見たいがために、そういう資質に拘る人も少なくないのも事実。ただ、そういう世界は、資質無しでは見れないのも事実。そういう世界を知らない人が最近は多くなったのかな?というのが、スポーツバイクのユーザーの数とスタイルを見ての最近の感想だ。

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2009年12月 4日 (金)

単車のメカニズム

 単車で峠を走る。上り坂、下り坂とあるけど、どちらを走るにしても基本は、フロントタイヤに荷重は載っていても、フォークの自由度を奪うような腕の荷重は載せないのが鉄則。つまり、身体は腕で支えない。下半身で支える。下半身で支えながらも、重心位置を何処に持ち込むかを留意しながら身体の重心をコントロールする。つまり、アクションを開始する前の重心位置を身体の重心を動かす事で、新しい重心位置に移行させるような感覚。いってみれば、動きを不安定にしている。不安定な動きを解消するには、車体を安定させる。安定させるのは前輪に載せた荷重を抜く操作が必要。それがトラクション。トラクションを掛けるには、不安定な状態から安定した状態に移行させるための体位の入れ換えとアクセル操作だ。

 そういう事を念頭に入れて、この動きを得るためには、アクションとして何を支配的に行うか?それを考える。そういう操作を行う時には、何が必要か?で見えたモノを取り入れる。そんな感じだ。

 そういう考え方は、動作に留まらず、機構についても考える。速くアクセルを開けるためには、どういう挙動が必要か?その挙動を得るには何が適切か?それを考える。その操作を行う時、操作系の位置関係や作動性は何が大切か?何処を押さえるべきか?それこそが、個人の拘りであり、個人の実践を支えるバックボーンというか機材の要点だったりする。そして、機材やセッティングを作り出す時に、その拘りを最も近道に与えてくれる構成に何を選ぶべきか?が道具選びの第一歩である。

 勿論、道具であるからには、それを使う場面で、どう使う?がイメージできていないと選べないから、そういう理想を描く事も大事なのである。

 因みに、ここで考える事っていうのは、本に載っている事でなく、自分で行う上で感じた事に限定して考えるのが大事。人の話や一般論を欲張りに取り入れようとするほどに、自分の感覚で得たモノの情報が希薄になって、拘るべきモノが与えてくれる信号が感じ取れなくなるからだ。感じたモノを一つずつクリアにする。これが大事なのである。その積み重ねが、多くのモノを見抜く力を養うものであり、それが経験というものなのだ。

 これは、単車に限らない。チャリンコでも同じだ。何処に痛みも感じない乗り方、楽勝の高回転ペダリング、、、、色々あるけど、基本は、同じ考え方が通用する。自分のモデルを創る事。自分のモデルだけを自分で検証する。モデル作りは自由だが、検証に際しては、道理に適った理屈が必要。そういう意味で、子供やバカには出来ない世界があるのは事実。理屈や知識無しに答えを出せる人も稀に存在するが、それは極一握りの天才である。多くの一般人には、感性だけで答えは出せない。まぁ、感性だけで答えが出せる人っていうのは、ジャンルを問わず誰にも真似できない特技を持っているが、何の取り柄もない奴には、感性なんぞ無い訳であり、自分を含めた凡人の多くに必要なのは、やはり、細分化して考えた時に正誤を判定するだけの知識や論理だ。

 何かを進める時、大事なのは、テーマを細分して、その正誤判定を行うに必要な知識だ。そういう考え方が、単車の操作等々に役立つのである。

 持論だが、義務教育を始めとする教育っていうのは、生活における様々なイベントを処理する時の方法論を学ぶためにある。その実践の場は、仕事に限らず、趣味や遊びにも言えるのである。

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2009年12月 1日 (火)

スポーツ大陸の伊藤選手、カッコイイね。

 スポーツ大陸での特集は、元ホンダのGPライダーで今もSB1000クラスに参戦されている伊藤真一選手だ。伊藤選手は、自分にとって一二を争う程に好きな選手だ。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/04/post-643c.html

でも書いた事あるけど、1985年前後の記憶が強く残っている。デビュー前がAR125で峠小僧、同じ頃、菅生TT-F3のチャンピオン、その前は多分、モトクロスにも参戦されていた筈だし、その際のコメントが1985年頃の東京モーターショー開催に併せて発刊される自動車ハンドブックにも写真入りで掲載されていた筈。その時の名前は、真一でなく慎一だったような記憶があるけど、どうだっただろうか?

 何にしろ、その頃からのキレッぷりから大好きなライダーである。昨今の選手、大ちゃん、ノリックという世代は、幼年期からミニバイクという世代であり、レプリカ世代のオヤジの息子世代だが、伊藤選手はモロレプリカ世代であり、単車は高校生からというもの。
 それでいて一線級だから、今をときめくライダーとは毛色が違う存在なのだ。

 当時、若くしてホンダワークスで契約して纏っていたカラーが1989年型NSRで人気を誇ったSEEDカラーだ。伊藤選手の印象は、日本人で平選手に続く2ストロークスペシャリストという印象が強い。伊藤選手+2ストでの印象は、スポーツ大陸では取り上げられなかったけど、筑波か菅生か忘れたけど、菅生だったような気がするが、NSR500で上りストレートでフロントリフトでバクテン、転倒というのが印象的だったし、WGPのホッケンハイムリンクで当時のGP500の最高速度記録を打ち立てられた記憶もある。

 そんな希有な存在のライダーだが、二年前に股関節を砕いて人工関節を組み込んでレースに復帰された様子が放送されていた。番組でのコメントの一言一言に重みがある。速さ、走りに対する思い、拘り、、、、そして、レースに備えて自分の考え、手の内を人には知らせないという部分、、、、そういう話がテレビの中で聞けて、チョット嬉しかった。

 自分のイメージと実際の乖離部分を見定めて、それを補っていく。その方法は自分で考える。そして、そうやって得た考えは、本番迄、決して誰にも明かさない。そういうホンネが大切だ。
 この特集を記事にした理由は、正に最後の部分。物事は自分で考え、自分の理想に自分の実態を近づける。そして得た武器、能力の鍵は、決して他人に明かさないというところだ。

 レースに限らず、趣味でも研究でも何でもだが、最近は、教えて貰って当然、教えてやるのが優しさ、教わるのが当然なんて考える甘チャンが多いけど、だれもホントに掴んだものは教えないのである。教わる事を当然と思う奴は、自分で考える事が出来ない死人のような存在なのだ。辛口だけど、それが本気で生きる人のホンネだろう。それが聞けたのは嬉しいし、そういう部分を感じたから20年来以上好きな選手として見ているのでもある。

 つまり、出来る出来ないを全て自分で考えている。だから、今年43歳になって年齢の限界を囁かれても、人工関節が必要な大怪我から復帰して二度目の転倒では歩行不能になる可能性があると言われても、他人や周囲の声に影響されることなく自分の可能性を信じて強い意志を持ち続けることが出来るのだろう。

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2009年11月 8日 (日)

同じ場所走ると、、、

 定期的に同じ場所を走っていると、名前を知らずとも面識が出来る。
 今日は、往路で以前であったデローザの彼に追い付いた。最初は対岸を速いペースで走るロードを確認していたのだが、橋を渡って同じ土手を走っていると、程なくして追い付いた。確認できる所まで近付くと、先日、遭遇したデローザの彼だった。追い抜き様に挨拶するとビックリされたようだ。その後、折り返し地点でしばし会話をして、当サイトにも来られた旨を聞いて別れた。

 一往復目の復路では高瀬堰の信号待ち中に背後に気配を感じて振り向くと、以前何度か併走した事のあるTREK乗りの方。挨拶して走り始め、安佐大橋の信号で再度会話、、、その場では、付かせて貰って良いですか?との事で、OKして牽いて復路を走行した。ペース的には35km/h+αレベルだ。
 信号待ちのタイミングでは、この方の出入りのショップのお客さん?で、兼ねてから気になる人が居られるので、チョット、確認する意味で聞いてみた。因みに、気になる人っていうのは、以前から記事にしていた女性のようだけど、走りのパフォーマンスは、このコースを走っている人でもトップレベルのスマートさと速さが印象的な人の事だ。何故気になるか?っていうと、明らかに女性だけど、走りは違う、、、で、どっちなんだ?というのが、ずっと引っ掛かって居たのである。
 すると、この方は案の定、TREK代理店のお客さんだそうで、連んで走る事は少ないけれども、よく走られる方、更には、なんでも実業団で競技をされている方らしく、女性ながら男性顔負けの方が居るらしいとの事で、納得できたのが良かった。

 人と走る事は基本的には無いけど、偶然のタイミングで会話するっていうのも悪くないモノだ。

 因みに、今日会話出来た方はお二方ともに結構乗られているような方。そして会話で尋ねた方も一線級の方。いずれの方も、ソロで走られているのをよく見掛ける訳だが、皆さん、結構な速さを発揮されている様子で感心するばかりである。

 ソロ同士で走っていると、こういう風に会話が生まれ、面識を持つようになるモノ。こういうのは最初から知り合いというレベルよりも、会話のレベルが一致しやすいように思う。

 思い起こせば、サーキットのスポーツ走行で出来る馴染みの顔とか、峠の常連仲間とか、そういう交流にも通ずるモノである。学友とか、同僚といった交友関係で何かを一緒に始めるという中での交流よりも、目的とする世界の中で活動中において生み出される交流の方が、その世界における会話や交流において、より深い感覚を得られるので、こういう人間関係の方が貴重なように思う。

 連んで何かを始めるというと、その最初の円に閉じこもりがちとなる。しかし、ソロで行って、その世界で生まれる交流というのは、自分のレベルに合わせて交流も変化していく。そういう交流の方が多分大事なんだろう。

 ところで、今日は会話だけだったけど、前回、40km/h巡航で後ろから離れず付いてきたデローザの彼、そして、今日は35km/h走行だったけど、前回は40km/h走行で最後迄付いてこられたTREKの彼、正直、速いなぁ!って思う。自分としては10km程の距離を40km/hで走りきるっていうと結構キツイのだが、風の抵抗が無いとは言え、後ろから離れず付いて来られてしまうっていうのは、自分で自分のレベルはまだまだだと思う程。理想を言えば、10kmの距離なら45km/hオーバーで走りきれる程の余力が自分に欲しい所だ。40km/hで10kmの距離を走ってつらさを感じるパートは、やはり心肺系だ。筋力的には問題無い。一時的に50km/h級迄上げる事は可能だが、燃料が切れた時にキツイ。
 今日、TREKの彼と話ししたんだけど、自分の限界は?っていうと、安佐大橋~安芸大橋の車道で信号無しの区間、3km程だが、そこを無風~追い風というコンディションで50km/hを維持するっていうのが限界。その状態では心拍数は190~210bpmとなる。この状態を10km維持するのは困難だが、45km/h程度なら現実的な数字だ。45km/h走行時は心拍数は170bpm程度、40km/hでは140bpm程度、165bpmなら運動強度で75~80%程だからどうにかなりそう、、、、。チョット気合い入れてスイムに取り組んでみるかな?

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2009年11月 6日 (金)

同じ二輪でも単車は、衰退っていうか、荒廃っていうか、、、

 水曜日は休暇をとって私用をこなした。それが終わって時間があったからCX怪で小さな雑用も片付けるべく移動しまくった。

 走りながら思ったのは、単車が少ないなぁ、、、、自転車が多いなぁ、、、、、自転車は縦横無尽に走っている、、、、自転車はスポーツ志向、速度志向が多い感じで、狭いフラバーのピスト風バイクがとても多い事にビックリしたり、市街地をレーパンできめて荷物背負ったローディも多かったりで驚いたのだが、反面、単車は少ない、、、、少ない単車で大きな割合を占めているのは、マスク+サングラス+半キャップ+ずらしたズボン+スクーターというパッケージ、、、、これに大音量のカーステレオ、、、、、これって、大昔のハイソカーブームでスウェット上下でクレスタシャコタンを乗っていた雰囲気に被る。そういう思想でチョイガキがビクスクでローダウンってパッケージなんだろうか?同じ二輪車で、自転車はオッサンのスポーツ真似に対して、単車がガキの安楽ツッパリ系って印象。

 どっちも好きでないが、スクーターのガキはわざわざ横に並んで爆音で寄せてくる、、、、まぁ、相手にしないが、ホームコースでローディが反応してくる以上に不愉快な気分になる。少なくとも、オヤジローディよりもガキスクはバカっぽいように見える。煙草をくわえて吸い殻をポイ捨て、中には信号無視して、爆音で音楽掛けてフラフラ走る、、、、見るだけで不愉快な気分になる。S4ガンマで油霧をぶっかけてやろうか?と思うほどだ。

 今、自転車に乗ると、マナー云々は別として、少なくとも世間の目は好意的だろうが、単車に乗ると、マナーの悪さに加えて世間の目は冷たい、、、、、同じ二輪車でも、こうも違うのにビックリだ。

 今年の東京モーターショーではカワサキが出展を取りやめた。国内二輪メーカーは生産拠点の海外移転を進めたり計画したりとの話も聞く、、、、販売台数はバイクブームの1980年代初頭の1/10にも満たないほどに市場は冷え切っている、、、、、単車の面白さは、爆音ツッパリではなく、三次元を駆使した操縦感覚で、この感覚だけは自転車では味わえない世界、、、、勿論、運動神経、反射神経、経験が必要だが、この楽しさは一度知るとやみつきになる世界だと思うんだが、どうして、スポーツ志向の自転車には向かっても単車には向かわないのだろうか?

 スポーツ志向=過激ではないのだが、スポーツ志向に走ると過激な選択肢しか無いラインナップにも責任があるのだろうが、それはマーケットが小さいからという宿命でもあり、メーカー、ユーザーのどちらがどう?って言えないのは確かだが、楽しさを提案する事くらいは出来そうなのに、、、、自転車なんて、スポーツといってもタダ頑張って漕ぐだけだ。漕いで痩せる?のも効果かもしれないが、単車のスポーツというのは、別の要素が加わってくる。筋力、平衡性、俊敏さ、、、そういう楽しさが認められれば少しは変わるのだろうに、、、、って考えてしまう。

 先日のバカスクみて、単車に乗っていて悲しい世界だなぁ、、、としみじみ思うのであった。

 まぁ、世間で冷遇されようと、誰も乗らなくなろうとも、それでも自分はミドルツイン+2ストは降りないけどね、、、、

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2009年11月 3日 (火)

多分、芸能人は凄いぞ

 先日、片山右京さんがジロ・デ・イタリアのコースを走るテレビを見た人から話しかけられた。
 なんでも、あの人がそんな事ができるなんて!って事らしいけど、自分の感想としては、そのテレビ放送自体は見ていないけど、片山右京さんのような方なら、ビックリするはなしでは無いだろうって感想だ。

 そもそも、元々、頂点カテゴリーに上り詰めた一流のアスリートである。F1に限らず、MotoGPでも肉体の鍛え方は半端で無いのだ。更には、自転車好きで自身のブランドでリーズナブルな商品を売る事を認める程の人である。更に遡れば、元々は、陸上部長距離選手であり、更に遡れば、自転車好きで色んな所に旅する事が好きな少年だったのだ。
 片山選手というと1963年生まれ、、、そう、自分と同じ時代に幼少を過ごしている。我々の幼少期は大サイクリングブームで、サイクリングが花盛りな世代である。

 そんな自転車大好きな少年が、学生時代に運動部で陸上競技に取り組んだ後に、カテゴリーのトップに上り詰めたのだ。運動能力的にも、経験的にも、運動を専門的に取り組むための手順も全てを兼ね備えており、ハッキリ言って、その辺のブームに乗ったアンチャンが対等に見れるレベルではないのは明白なのだ。

 因みに、F1というと佐藤琢磨選手も自転車競技で、インターハイ、学生選手権を総ナメにする程の実力である。

 そんな話の流れで、自分の考えを彼に話したのだが、そんな一流の選手でなくとも、サイクリストで著名な人の殆どは、その辺の無名なアンチャンとは別の次元のレベルで自転車と取り組んでいるだろ?って話をしたのである。

 仮に、同じ年齢で同じ時期から始めたとしても、その辺のブーム系ニワカアンチャンと著名人では全く違う次元になっているだろう。その理由を聞かれたので一寸挙げたのが次の通り、、、

・そもそも、著名な人は、自立心、競争心が強い。
・一芸に秀でる人が多いのは、物事を進める壺を心得ているだろう。
・時間の制約という言い訳をしない。
・財力が違う。
・取り組む場合に築ける環境が違う。

 ってところだろうか?一芸に秀でるから、公の面前で活躍できる世界で生き残れるのは、その手順を本能的、或いは、環境的に身に付けているだろう。それに自信というか賭ける思いがあるのは、自立、継続、競争の面で大きな武器となるだろうし、生活のマネージメントを組織に強く縛られるという言い訳をしないだろうし、著名故に、思いを具現化する上でのタイムロス、モチベーションロスとなりうる金銭面の問題も少ないだろう。更に大きいのは、ゼロから始めるにしても、著名故に、その世界の専門家との縁を築く面で有利とも言える。

 そんな事を思えば、金無い、時間無い、センス無いようなアンチャンが著名な方に太刀打ち出来ない方が可能性は高いのでは?と思うのが正直な感想だったりする。著名な方に対するネガティブな意見の殆どは、ひがみ、妬みが背景にあるんだろう。

 物事の上達で一番大切なのは、環境と時間だ。環境とは、物事を進める上で正しい道に導いてくれる先導者がいるか?ということで、そういう環境を作るのは並大抵ではない。こういう環境は、どんな分野でも構わないけど、そういう環境を経験する事が、別の取り組みを行う上でも大きな武器となるのは確かであり、一般の人にとって、そういう環境に接する事が出来るチャンスっていうのは、実は学生時代迄の部活だったり習い事だったりするのだ。
 好きな事が遊びで終わるか?その先に進めるか?の大きな違いは、誰でも実は知っていることだが、要は、部活や習い事、スクールといった環境で導かれたかどうかで決まる。それ程に環境は重要なのだ。

 今、数多くの著名人が自転車に嵌っているようだけど、多分、どの方も、その辺のアンチャンが思っているレベルを遙かに超えた次元だと言えよう。そんな方々を揶揄する表現も耳にするけど、それが出来るレベルにあるのは?っていうと、同等の環境を持っている(持っていた)だけでは追いつかず、同じような時間密度で過ごせても対等というレベル止まりであり、それよりってなると、それは、運動というモノ全てに当て嵌まるけど、成長期の身体機能の発達時期に上手い具合に各部を鍛えるような運動に取り組んだ経験のある人という過去の条件が必要だろう。
 そう考えると、著名な方々のレベルっていうのは、素直に凄いなぁ!って思うのが一番なのがよく判るだろう。

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2009年11月 2日 (月)

本屋にて

 この週末、家族でショッピングモールに出掛けた。朝、雨の降る前に30km程走った後、10時前に店についたのだが、そこでは家族が思い思いの店でお買い物、、、、最後は、文具と書籍を扱う巨大本屋で買い物をした。

 そこで、単車、自転車の書籍売り場を少し覗いたけど、凄く多くの人が集まっている。そして、自転車関連は凄く多くの種類の本が並んでいる。結構、一生懸命立ち読みしている人も居る。

 で、サラッと見て、陳列雑誌のタイトルみて、、、、感想は、『ふ~ん、、、』で、終了。売り場に居た時間にして、、、、10秒未満。

 見てどう?って思うことが全く無い。関心が全く沸かない。不思議なモンだ。雑誌類に関心を持って特集記事を本気?で読んでいたのは中学生時代だ。高校時代になるとボチボチ、大学時代は惰性で買う程度で読む事は無し、、、大学時代後半になると、買う事もなくなり、たまに立ち読み程度、、、、で、今は、表紙見た瞬間にパス、、、、そんな感じ。

 多分、雑誌の情報を評価していないから。雑誌如きで得る情報がある筈無いと判断しているから。雑誌の特集で、特に意味無いと思うのが、○○で速くなる!○○で上手くなる!って特集。正しくゴミ以下だ。こんな事を書いている時点で、雑誌自体の評価が下の下で判断してしまうのだ。

 でも、そういう特集が凄く多いみたい、、、チョット笑っちゃう。

 雑誌、ムックの類で関心があるのは、歴史を遡る雑誌とか、イエローブック的なデータベース的な雑誌くらい。それ以外、技量関連の上達本とかインプレッションとか、特につまらない。

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2009年10月20日 (火)

時間配分のプライオリティ

 秋というと、色んなイベントが目白押しである。自転車ネタでいうと、地元なら中国サイクルGPとか、しまなみアイランドライドとか、、、結構、盛況のようだ。
 秋に限らず、日曜日の風景で印象に残るのは、朝9時~10時前は北部に出掛けるサイクリストとよくすれ違う。すれ違う理由は?っていうと、自分は7時台から走って9時台に帰宅するからだが、多くの人は9時台以降に出掛ける様子だ。

 この何処が不思議っていうと、すれ違う人の多くは三十代、四十代という世代で多分同世代が少なくないと思うのだが、、、それ故に不思議だな?って思うのだ。

 何故不思議?っていうと、日曜日の過ごし方は、家族と一緒にというのが基本であり、買い物にしろ、お出かけにしろ、そういうのが優先されるのでは?という思いがあるからである。我が家でのお出かけというと、遠出の場合は9時過ぎ、近場で買い物の場合は10時前に出発というパターン、、、、それ故に、自転車に乗るのは、それ以前の話。だから、チョット早起きして活動して、その後に家族と行動を共にするのである。
 秋は?っていうと、子供が幼稚園、小学校の間は、、、、、運動会、作品展、秋祭り、亥の子祭り、習い事してれば発表会、男と女の子が居れば七五三の前撮り等々と目白押しであり、色んなイベントは勿論、仲間内でのツーリング、サイクリングで予定を入れるのは実質不可能な状態。

 でも、多くの人は、どうにか時間のやりくりをして時間を作られているようで、或る意味感心するのである。

 まぁ、大学生の時代に合コン等で週に数回は飲み歩いていたが、そこで思うのは、平日、週末関わらず、深夜時間帯に繁華街を彷徨くスーツ姿のサラリーマンは、何故、こんな時間に繁華街でふらついているのだろうか?って疑問だが、これも今考えれば、そういう時間を確保する事に成功しているから、それが出来るんだろうと感心せざるを得ないのである。

 正直、自分の生活時間を日単位、週単位、年単位と見て、殆ど時間の隙間が無いような印象。なかなか、自分だけで連続した時間を確保するのは難しいかな?というのが正直な気持ちである。どんなに確保しても年に二~三日程度だろう。それでも夕刻には帰宅するのがデフォルトであり、そう考えると、連続して確保できる時間は10時間未満、、、自ずと行動は制限されるのが現実なのだ。

 そういう現実では、なかなか思い通りの趣味生活は出来ないし、年に僅かのお出かけであっても、当然、家族への配慮は欠かせない。この辺が独身の頃とは大きく懸け離れている。

 日々の時間の隙間の利用法も健康維持のために時間を配分(日頃の運動習慣の確保)すると、ホント自分の好き勝手時間っていうのは一日に1時間も確保し辛いのが現実、、、、歳を取ると、周囲からも、内面からも色んな制約を受けるモノである。まぁ、制約があるからこそ、工夫して、時間の使い方を考えるのだろう。

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2009年10月17日 (土)

お・き・ば

 単車はナンバー付きが9台ある。取り敢えず、置き場は確保してある。でも、これって病気である。収集癖っていうのは重症だ。

 で、今、、、自転車は、、、、、入手順に見ると、西DAHON、オ・モイヨWW、スピママ、ラングスターTT、小林スポルティーフ、ルイガノMVF、BSトライバイクときて合計7台だ。ここで、スピママ号はエリオの中だから6台が書斎である。

 そして、この夏に、ステンレスロードが完成、次いで、シルクピストが完成で9台目、更に、進行中なのがシルクのロードだ。これが10台目、、、、、、今、ステンレスロード以降は置き場が無いのが現状、、、、、今の状態は?っていうと、ニシダサイクルさんに展示と言いながら放置プレー状態となっている。

 いつまでも、この状態が許される筈がない、、、、10月末を目処に持って帰らないと申し訳が立たない。

 そんな事を思いながら、火曜日にテレビを見ていたら、自転車名人二代目を襲名した鶴見辰吾さんが出ていた。何でも自転車が好きで7台あるそうだ。で、置き場がリビングに侵食しているという、、、、まぁ、鶴見さんとは同い年というだけで趣味も選択も全く違うから良く分からないけど、番組で見た限りでは最新っぽいロードバイクを大量に所有されている様子。それに比べると、我が家は小径車、折り畳み自転車も多いので場所的には小さくまとめれそう、、、それでも10台は厳しい。彼のようにリビングに置くなんて、、、、、我が家でそれは許されないなぁ、、、、、置き場をどうするか?立体的な空間利用で、なんとか今+3台で10台の置き場を確保しないといけない。

 しかし、子供も大きくなるし、子供部屋を確保しないと活けない。すると使える部屋が八畳寝室と四畳半の小部屋。八畳は寝室だから四畳半だけだ。四畳半部屋にはPCラック類を移設する予定。すると、、、、本棚等を置くとスペースは消える。

 最悪、ガレージ作り直して一階がバイク、二階が自転車というような構造にしないといけないかも知れない。いっそ、引っ越すか?なんて考えたりする。兎に角、何らかの対策が必要なのは間違い無い。少なくとも空間利用する方法が必要。ラック式で上から縦にぶら下げる方法かなぁ?スーツハンガーみたいにチャリンコハンガーでも作ろうか?

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