2009年7月 9日 (木)

マコモ

 表題のモノはなんぞや?っていうと、イネ科の植物で、これを粉末にしたものが漢方薬として売られている。そんなに安くないけど、場合によっては飲んだり、或いは、塗ったりして使うモノ。

 ハッキリ言って、この辺の漢方は信じていなかったのだが、このマコモだけは別だ。

 自身、薬に頼るという生活はしてこなかったけど、このマコモによる外傷の治癒の速さだけには相当に驚いたもの。擦り傷がその日の内に治癒するといっても良いほどの速さ、、、、これはビックリである。

 色んな治療が世間にはあるけど、自身、体験上凄い!って実感したのは、このマコモの粉である。
 他には、火傷に対してだが、深海鮫の肝油である。これは、指先を火傷して刺すような痛みを伴っていて、色んな軟膏を塗っても効果なかったのだが、肝油を付けると、、、、あら不思議!痛み消えて無くなるというモノ。これもビックリした。

 世の中、いろんな漢方、サプリが出回っているけど、効果凄いぜ!っていうのには、なかなか出会わない。しかし、マコモと肝油は、少なくとも、その瞬間に驚いたのは確か、、、、

 ただ、今現在、愛用しているか?っていうと、、、、実は、長らく見ていないというのが正直なところ。

 今は、怪我しても水で流して後は放置状態。それでも案外早く治るし、化膿した記憶が無いのでOK。火傷関連で肝油は?っていうと、軽い火傷しても、それ程気になることが無いというのが正直なところ。暫くすれば火傷した箇所の皮が自然とめくれて終了である。
 もしかしたら、マコモとか肝油のパワーでなく、自分の治癒力の効果だったのかな?と今は思う事もある。でも、その時にマコモとか肝油が凄い!って思ったのは紛れもない事実。

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2009年6月 3日 (水)

膝が痛い、腰が痛い

 のは、何だ?
 先日、ぎっくり腰の記事を書いたが、結構、読まれる事が多かった。
 昨日深夜の記事は自転車での膝痛等の記事だが、これもアクセス少なくない。ということで、明日アップ予定のコメント記事を繰り上げて掲載してみる。

 ここからは一般論。

 ぎっくり腰の原因は、筋力低下、体重増加で骨に無駄な力が掛かるから。そして、無駄な力は無理な姿勢、無理な姿勢は、支える力の低下と支える重さの増大が原因である。

 ところで、膝の痛みを解説した記事の中には、老化とともに筋力低下、体重増加が原因という内容が良く記載されている。この中で、膝に掛かる負担の一例、歩行時には体重の重さが膝に掛かり、階段の上りでは体重の二倍、階段の下りでは体重の三倍の重さが膝に掛かり、これに耐えきれず階段の昇降が困難になるという話も見れる。

 ただ、言えるのは、老化すれば全ての人が膝痛、腰痛に悩むか?自転車愛好家の全てが膝痛、腰痛に悩むか?というと、そうでないのが現実だ。

 どんな事柄にも因果関係がある。そして、痛みが宿命的に全員に訪れるもので無いという現実があるならば、その痛みには必ず原因がある。そんなもんである。

 元気な年寄りが腰痛、膝痛をモノともせず、、、、これは、膝痛の大きな割合を占める変形膝関節症が重症化していないということ。
 変形膝関節症っていうのは、加齢、生活習慣云々で軟骨のダメージが蓄積したもの。やはり、原因が在る訳だ。

 この原因を取り除けば、何にしろ痛みから逃れられるのである。

 まぁ、仮に自転車乗りの膝痛が物凄いアスリートレベルの酷使によるもので生じる痛みなのであれば、それは酷使を辞めれば痛みから開放されるのだろう。その辺は、各個人が重々承知の事だろうから、痛みとの付き合い方、対処法は、As you likeだ。

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2009年5月31日 (日)

ぎっくり腰、適齢期

 会社の同僚がぎっくり腰で二日程休んだ。
 聞くと年齢が39歳という、、、、、で、思い返してみた。自分のファイナルぎっくり腰は何時だったか?記憶の中では5年前だ。5年前というと、ダイエットで減量する前の話。

 減量する前の年齢は30代後半。ぎっくり腰を初体験したのが、30代半ばだったはず。

 ぎっくり腰になるのは、チョットした姿勢の無理が原因。そして、ぎっくり腰になると寝た状態から立ち上がったり、立ち上がった状態から寝たり、、、、そういう姿勢の変化が異様に堪えるのだ。

 そんな記憶を馳せながら周りに三十路後半を中心にぎっくり腰ネタで話してみた。

 すると、ぎっくり腰年齢は速い人で二十代後半、遅くとも30代半ばには経験する模様である。

 そして、ぎっくり腰は癖になると言われているけど、ぎっくり腰な人の多くは、元々の筋肉が少ない人、或いは、メタボ化進行で体重が増加した人が多い。

 これはぎっくり癖というよりも、ぎっくり腰に為りやすい身体の変化というか衰えがぎっくり腰を引き起こしているとも言える。それは、自分も結構ぎっくりしていたけど、減量以後は全くぎっくりしていないからだ。
 自分のパターンが全てのパターンとは限らないが、結局、ぎっくりは腰に掛かる負荷を筋肉が支えられなくなり骨に無理が掛かると仮定すれば、重量オーバーな変化、筋肉量低下な変化が腰骨に負担を強要して、その限界を超えた状態がぎっくりとかヘルニアに結びつくとも言える訳だ。

 自分の意見では、ぎっくり腰は三十路世代の最大の要因は肥満による体重増加、五十代以降では筋力低下が原因と考えている。

 ぎっくり腰はとても痛く、悲しい状態。これを回避するには体重増を抑え、筋力低下を緩やかにする取り組みを行う事。これを続けるのが最大の処方箋だと言えよう。

 因みに、ぎっくり腰にならずとも、デスクワークで姿勢の悪いPC操作を行っていたせいか、入社後数年の三十路前後の時代でも腰が微妙に痛いと感じていたが、今はどんな姿勢をとろうが腰に痛みは皆無、、、、、腰は月の要と書く。腰を守るには筋肉確保と脂肪除去が一番。身体の要を守るには、やはりダイエットと筋トレが有効だ。

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2009年5月28日 (木)

回復力

 先週末に網戸の張り替えで誤って指先を結構深く切ったのだが、その傷からの出血は直ぐに止まり、翌日からは皮が固くなり、殆ど違和感無い状態になった。所謂、完治には二日程度である。

 他には、裂傷、擦り傷も少なくないけど、殆ど、一日、二日で治る。そもそも、怪我した箇所が化膿した経験なんぞ皆無。思い起こせば、大腿骨の粉砕骨折の際もステンレスプレートによる固定手術の1週間後にはレントゲンで確認出来る程の骨の痕跡が見えたし、壊疽虫垂炎でも術後5日も要さずに完治した。

 自身、昔は治癒力はこれが普通って思っていたのだが、どうやら治癒力が異様に速いような感じで、掛かり付けの医者には『トカゲ?』って言われる程。

 怪我からの回復とか、手術創の回復っていうのは、考えてみれば失われた皮膚の再生であり、所謂新陳代謝の力なんだと思う訳で、やはりメタボリズム『新陳代謝』を整えるのは、活発なエネルギーの収支在ってのモノだと思うのである。

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2009年1月14日 (水)

病院に行く時は、、、

 嫁と話をしていた時の事だけど、病院に行く時は何時か?という話で、自分は、病気というか体内の不調の兆候を感じたら、即病院に出掛け原因を明らかにするまで検査するけど、怪我に関しては殆ど大雑把。病院に出掛ける怪我というと、骨折以外有り得ないのである。

 骨折の経験は自慢?では無いが結構豊富なのだ。何と言っても単車乗りである。派手な転倒は公道に限らずレースコースでも多数経験済みであり防具をしていても結構折れるのである。そんな訳で骨折時の症状というか痛みとか腫れの度合いは一発で判るのだ。その痛みの質で病院に行くべきか否かは怪我を被った段階で判るけど、普通?の切り傷、擦り傷、打撲如きでは当然病院には行かないのが習慣なのだ。

 これって、男の子では普通だと思っていたのだが、どうやら友人を見ていると違う様子。

 ツーリング等で転倒して裂傷を負っただけで、骨が心配だから一応病院に出掛けたとか、そういうのが結構多い。転けたって話を聞いて、見て、そいつに動くかどうかを聞いて、腫れの度合いを見たら、素人診断だけど、大丈夫だろ!動くし、立っているなら問題ない!って言うんだが、休日明けには会社休んで病院言ったとか、、、そういう話は頻繁に聞くのである。

 こいつら、可笑しい?って思っていたのだが、もしかしたら、自分が異常で、外傷でも病院に行くのは普通なんだろうか?

 その辺が微妙に関心があるところ。

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2008年12月27日 (土)

よくある事故が減らない理由は?

 年末の慌ただしい季節、例年通り?に交通事故、通勤途上災害が増える。
 そんな事故のパターンは、正に絵に描いたような、車のカゲの直進バイクと右折車両の右直事故、車と並進するバイクの車の左折巻き込み事故、、、、、そういうのばっかりである。不思議な程に減らない。

 この事故の言い訳の多くは、車が見ていないとか宣うバカタレがいるけど、バイクが車と並んで走るのは基本はNGであり、原付レーンを走る原付くらいしか巻き込みは起こりえない筈。最近、勤務先で原付二種が原付レーンを走って車と接触したというバカが居たけど、有り得ない。原付レーンとは、本来は原付一種の50cc以下専用のレーンであり、80ccを原付と解釈している時点で脳内は終了している。
 それで、車が悪いというのはバカ以外の何ものでもないのだ。原付二種は車と同じ速度で走ることが許されているというのは、原付専用レーンは走るなという事である。原付二種は税法上の区分で、運行時の基本は小型自動二輪なのである。

 こういうバカげた事故以外にも右直事故も凄くよく聞くけど、、、、、、何故に、このような型に嵌った事故が続くか?っていうと、乗り手に脳が無いのが原因である。イワシが群れで泳ぎながらも、一匹がよろめくと全てがよろめくのと同じもの。何も考えていないからだ。考えてみれば、そういう考えていない奴らが溢れているのが交通社会であり、それを理解して道路を利用するのが大事。

 勿論、画一的に完璧にルールを厳守するって奴は皆無だろうけど、そういう遵守度っていうのは、いろんな危険がはらんでいて、それを予知しながら承知の上で、事故に到らないという距離感を保っている筈なのだ。その距離感も無しに、呆然と事故に到るのは、やっぱり馬鹿野郎だ。

 考えていないバカ共は論外として、一方的に自分は法律を守っていると事故の度にわめくのもNGだ。バカが溢れているという事を自覚して、事故の害を被らない運転こそがベストであり、無事故、無違反を続ける事が大事なのだ。

 事故を起こす奴は仕方ないにしろ、貰い事故が多いっていうのは、実は、周りの空気が読めず危険を察知して逃げれていない事。加害者が大馬鹿野郎なら、貰い事故の多い被害者も実は、空気読めない鈍感野郎なのだ。
 だから、傷の多い車の運転者は危ないのである。凹んだ車に近づくな!これが判りやすい鉄則である。

 それにしても、この記事の発端は、通勤途上災害で左折車による原付二種の巻き込みだけど、原付二種が原付専用レーンを走っていたっていうのが大間違いの基。これを労災の安全会議で原因は車が悪い?という話で纏まるのは、アホの集団としか言いようが無い。渋滞路でレーン違反でガンガン走る80ccっていうのが有り得ないのである。
 こういう事故を起こす奴は、似たような事故を繰り返すのが通例で、こういう連中からは免許の永久没収で良いではないだろうか?と言うのは言い過ぎか?

 あんまり拡げすぎて戯れ言を下記並べるのもなんだが、絵に描いたような、型に嵌ったような事故や災害を起こす奴っていうのは、何時の時代でも、何処の時代でも結構多い。結構多いのは変わらないで、絶対に減らないのである。理由は、事故を起こす環境が悪いのでなく、本人が悪いのである。具体的には防衛本能、注意力が働かない欠陥をユウしているといっても過言ではない。
 だ・か・ら・・・・・こういう奴の殆どは、実は頭が良いってことは超稀であり、注意力散漫で流されやすい、持続力無しって事が多い。結果、、、、何をやっても出来損ない的結果しか得られなかったりするのである。

 まぁ、事故を起こしやすい奴は、何度も起こす。そういう奴に人は不幸が憑いているって言うけど、その人なりに不幸をイメージさせるのは、その人の取り組みが結果に結び付きづらい事を背景にある場合が多く、事故を起こしやすい奴は、失敗しやすい奴、見落としやすい奴、、、、一言で言って、鈍くさい奴なんである。

 まぁ、鈍くさくっても、頭悪くても、不幸背負っていても何でも良いのだが、事故の場合は、どんな場合でも誰かに迷惑を掛けるのがいけない。山奥で一人で転けて痛い思いするならいざ知らず、渋滞を招き不特定多数に迷惑を掛けたり、特定の他人が事故の相手となったりする事故っていうのは絶対NGだ。そういうモンである。

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2008年12月 5日 (金)

蒟蒻ゼリー反対声明?

 先日、蒟蒻ゼリー復活を喜んだ記事をアップしたけど、月曜日に消費者団体が反対声明だそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081201-00000044-yom-soci

が、ネットニュース。

この人達は、正月に餅、ぜんざい、しるこ、雑煮、、、、食わないのだろうか?餅には、加熱時間、熱湯へ浸す時間なんぞパッケージに書いてあるの見た事無いけど、文句言わないのは、餅を食うにあたって皆が配慮するのを常識としているから。

で、蒟蒻ゼリーってダイエット食を子供に食わせる配慮が無い事が最も責められるべきだが、、、と思ったりする。言うなれば、筋肉マニアが摂取するプロテインは普通の人が食うものでもない。
 これが一般的で無いなら、もっと身近な例で、ピーナッツは幼児に食わせると大事になるが、常識的に5歳以降迄食わせないとされているが、そんな注意書きは見た事無い。ピーナツの破片を肺に入れて大変な事態になる子供もいるけど、それに対してニュースには為らない。

 そんな中、餅やピーナッツのように危険でありながら表示されていない商品に較べると、蒟蒻ゼリーは非常に不憫な気がするのは自分だけだろうか?

 消費者庁創設って話もあるようだし、消費者団体も結構色んなメッセージを発信しているようだ。消費者保護のため!って言えば、聞こえが良いと言えば良いけど、、、、なんだかなぁ?って思うのが正直な意見。

 似たような話ではPL(製造物責任)法っていうのもそう。その一環かもしれないが、最近の機械類には、色んなシールが貼ってある。眩しいとか、巻き込まれ注意とか、、、、直感的には、大きなお世話って感じ。

 他にも労働災害関連もそうだ。労災が起こる。原因を探す。手順化する。指導、教育する。、、、、これって必要?有効?って感じ。

 確かに怪我は良くない。事故も不幸な現象だ。でも、それって、商品や場所を提供する側の責任か?というのは常に思う。それを言うと、刃物は売れない。下手すると、工具も売れない、、、、、蒟蒻ゼリーも以ての外、餅もNG、ピーナッツも駄目、、、、、、チョコも駄目、、、、、、、ぜ~んぶ駄目。って感じに為りかねない。

 大体、何が危険か?何が大丈夫か?どうしたら危ないか?っていうのは、成長と共に学び身に付けるもの。その危険は育児の段階で親が伝えるモノの筈。

 もっと言えば、同時公開の記事にもあるけど、そういう予知が出来ず不幸な事態に陥る事自体が、種族淘汰の宿命と捉えることは冷酷だろうか?そんな気さえするのである。

 消費者保護は大切だが、保護の意味合いが違う。保護とは、消費者が自分で判断するための情報を偽り無く提供できる指導を請け負う程度で十分な筈。危険かどうかは、消費者が判断すべき。判断能力をもぎ取るような体制が、判断が出来ない人間の増殖に加担するようなものだ。他の記事でも再々書いているけど、自己判断出来ない奴は、俺的には存在価値無しとまで思う。危ないと書いてないからやったっていうのは、どう考えても変である。燃えさかる火を前にして、ここ安全だからどうぞ!って言われて火の中を歩く奴なんか居ない筈。本来なら見りゃぁ判る話。消費者保護を唱う制度や団体は、消費者が判断する際の情報を正確に表示しているかを監視するだけで他には何も必要ないのでは無いだろうか?
 自分の身を守る、、、これは、子孫を繋ぐ意味で親が子に伝えるのが生物の掟だ。そこを社会とか組織で行う事自体ナンセンスであるっていうのが持論だ。もっと言えば、自分で判断出来ないような個体は消えて無くなっても仕方ないとさえ思うのである。

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2008年7月13日 (日)

自然治癒力維持への相反因子

 自分の考えでは、基本的な人間の生活環境でもたらされた身体の不具合っていうのは、初期段階では原則、放置プレーという考え方である。

 但し、人間の本質的な生活環境以外の要因で抱える不具合や、不具合に気付かずに疾患が重症化したような場合は、医療行為に依存するという考え方だ。

 例えば、話題の生活習慣病だが、これは重大疾病である糖尿病、脳梗塞、心筋梗塞に到る前段の高血圧、血液成分値異状への序章であり、その兆候が検査数値の乱れや肥満という初期症状を呈したモノと考えており、それ故に、自覚症状のない生活習慣病状態っていうのは、その疾病系統では初期症状故に、医療行為に掛かる必要が無いという判断だ。

 日本人の死亡原因のトップに位置する癌は、癌の発生が正常細胞の変異によるもので、変異の理由が細胞にとっての異状な環境という説を考えると、細胞にとって異状化する環境というのは、現代人の文明生活による本質外の環境負荷によってもたらされているのでは?と思っている。判りやすい例が、野菜不足による消化器系がダメージを受けて生じるポリープ、癌、或いは、喫煙習慣による呼吸器系の癌、更には、強度の紫外線負荷による皮膚の癌が思い浮かぶけど、癌という異状細胞は、古代人の生活では生まれなかったモノでは?という思いが強いのである。それ故に、癌っていうのは、無自覚でも受ける異状環境負荷によって作られるモノでは?という意識故に、早期発見、早期治療を心掛けたいと思うのである。

 もっと身近な例では、怪我、骨折等があるけど、骨折にしても人間の本質的な能力を使った生活の範囲では、殆ど骨折なんぞ有り得ないのである。人間が自分の身体を使った動きの範囲で受ける損傷の程度は知れている場合が多いけど、自転車、バイク、車等々の交通手段で身体能力以上の速度からの衝撃で受ける場合が多い訳で、人体の想定外の負荷による骨折等の修理?は、やはり人為的な行為が必要だろう。

 しかし、生活習慣病と同様に、普通に歩いたり、走ったりする中で遭遇する怪我による損傷、具体的には、切り傷、擦り傷という外傷については、人間の本質的行為で普通に遭遇するトラブル事例であり、そのような本質的活動過程で受ける怪我は、人為的な医療行為っていうのは殆ど不要ではないか?と思うのである。
 大抵の外傷は、放ってたら勝手に治るのである。

 生活習慣病にしろ、軽傷に属する外傷にしろ、人間の本来の機能のみを使う生活で受けるトラブルっていうのは、案外、医者に掛かる必要もなく、自然治癒力で治すっていうのが一番なように思う。
 そして、そのような自然治癒力っていうのは、人間本来に備わっている力であり、その本来の力っていうのは、複雑な人間の生体機能がしっかり機能するには、人間の機能のネットワークの殆どが未知な現代では、軽度な疾病や、ダイエット等で安易に化学物質を投与して、必要物質の分泌条件を阻害するような行為は慎んだ方が良いように思うところである。

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2008年7月 5日 (土)

故障からの帰還

 先々週、原因は分からないけど背中から左脇腹に掛けて嫌らしい痛みを感じた。骨でも無い、どちらかというと筋肉か?筋を違えたか?良く判らないけど、前屈出来ない程の痛みを感じたのである。痛みを感じたのが6/22の日曜日頃だったかと思う。

 これは筋肉痛とは違う痛み、しかし、故障痛という程でも無い痛みである。普通に自転車に乗ったり、ローラー台でブン回したり、或いは、スクワット、ベンチプレスが出来ない程ではないのだが、確かに痛みを感じていた。
 この痛み、日にちと共に気にならなくなったのだが、その状態で6/27(金)に水泳にいって3km程泳いだ後に、痛みが倍増して襲いかかってきた。
 しかし、日が経つにつれて痛みが気にならなくなって7月に入ると問題無い状態、、、、で、7/3(木)に再び水泳に出掛けてみた。泳ぐ際には、背中周りの具合を確認しながらの泳ぎ、、、勿論、泳ぐ量も速度も基本は不変であり、60分で3km程度というピッチを守っての水泳である。

 で、7/4(金)の朝の段階で、痛みの度合は増えていない事が判った。殆ど気にならない状態である。筋肉痛はおろか、故障痛が生じるような過度な運動は行っていないのだが、何故か、痛みを感じていた。この痛みは筋を違える等の軽度な故障だったのだろうけど、10日程度で回復できたので、取り敢えず安心である。

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2008年2月 7日 (木)

自己防衛本能喪失

 火曜日の朝は、勤め先で安全についての講演会があった。なんでも、今期に入って労働災害が多発しているためで、この労災対策に有効な方法は?ってノリで絶対的に本質的に事故が起こりえない物理的対策を施すことのススメが説かれたりしていた。

 一方で、最近は?っていうと、毒物が混入されてしまった中国産餃子の問題、もっとジェネラルに言うと、あらゆる製造物における製造者責任、PLの考え方に基づく、リスク要素の告示に非常に神経質になっている。

 普通に、そんな実態を眺めると、確かに大事な事だなぁ!って思うのだが、自分的には、ここまで言う必要があるのか?そこまで配慮すべきか?って気持ちがあるのは否めない。

 大体、何が危険で、どんな事態に陥るか?っていうのは、普通に生きていれば、普通に見えるのが人間で、そういう危険を察知する能力っていうのは、成長過程において身に付けるべきものであり、そこに告示されていないから、告示義務怠慢が負傷の原因というのは如何なものか?と思うのが正直なところ。

 一口食べて変なら食べずに吐き出すってのが自然である。見るからに危ない場所には近づかない。危ない場所に潜む危険要素は自分に見つけ、それに応じた対策を自分で講じるってのが、自然な行動であり、それは本能的に身を守る習性ではないか?
 こういう習性的行為を取れないのだとすれば、最も重要なのは、状況に潜む危険要素を一から十まで対策するのではなく、その危険要素を察知して自己防衛する能力を教育する、或いは養わせる事が最も重要だと思うところだ。

 最近のニュース、周囲の状況を見ると、そこまで言う必要があるの?って気が極めて多い。何故に、そうなったか?というと、平和ボケ、安全ボケで、自分で負った怪我や損害を全て周囲の責任に転嫁する価値観が広まったためとも思える。

 こういう状況となった人達や、この事態を当然と思い、義務的に教育する事だけに熱心な管理者っていうのは、なんだか、微妙な存在だ。
 こういう人っていうのは多いけど、こういう人っていうのは、自発的にデザイン、創作して行動を起こすタイプの人とは違い、上役から言われた事を義務的にこなす人が、こういう問題の管理者に当て嵌められているようにも見える。言われた事を、繰り返し、淡々と行う事が得意な人が管理者になり、言われた事さえもが、なかなか出来ない人っていうのが、その教育対象になっているようにも見える。

 そういえば、よくルーティーンの業務という言葉があるけど、全ての仕事に単純な繰り返し作業っていうのは、実は存在しないのである。にも関わらず、ルーティーンという言葉を使いたがるバカってのは、実は、現状における行動に改善しようとする目、好奇心を失っているという証明でもある。極論すれば、繰り返し作業を進歩の無い作業と思いながらも、それを繰り返す事で働いていると思っている奴がいるとすれば、それは存在価値ゼロであり、そういう機械的な作業自体は機械にやらせば良いのであり、それに違和感を持たない奴=ルーティーンに染まった奴=新しい価値が創造出来ない奴=価値無しなのである。繰り返し作業に見えても、そこに何かを感じ、新しいモノが見付けれる奴ってのは、恐らく、日常のチョットした隙に潜む危険も察知できるし、ミスも予防できる。そういうのが本能である。

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